
なにかを強く主張し、変えようとすると、「それはわがままじゃない?」と言われてしまう。
あるいは、身近な人の行動を「わがままじゃん」と思ってしまう。
多様な人が生活するからこそ、「貧困」や「女」といった属性で簡単にはつながれず、他人と痛みを共有できない時代に、どうやって主張をして、環境を変えていくことができるのか。その方法を、中高生に語りかける講義形式で探ったのが本書です。
著者の富永京子さんは社会運動の研究者です。
デモや署名活動といった「社会運動」こそ、「主張をし、環境を変えようとすること」ですが、調査をしていると、社会運動は「怖い」「中立じゃない」「自己満足だ」「クレーマーだ」といった批判が数多く寄せられると言います。
それは、何かを主張することが「わがまま」だと捉えられる状況とよく似ています。
おまけに社会運動は、どこか“遠い”、“自分とは違う”ものとして捉えられている。
それじゃあ、どうして社会運動は遠いのか、どうして私たちは意見を言うことに抵抗感を感じてしまうのかを、一旦、“遠い”社会運動ではなくて、“身近”な「わがまま」の例から考えてみよう、というのが、本書の出発点です。
「家が遠いから、部活の朝練を休んでもいいか」
「学校指定じゃないカバンを持っていって何が悪いのだ」
「体育祭なんて必要なのか?廃止だ、廃止!」
といった日常の問題にまつわるわがままを事例に、
・どうして意見を言うことを「わがまま=自己中」とおもってしまうのか?
・「わがまま」言う”意味”って何だ?
・とはいえ、意見の違う人と対話するのは無理だ、炎上する……
・モジモジ系でも意見を言う方法があるのか?
・他人のことに首を突っ込むのはいかなるものか?
といったモヤモヤを、社会学の先行研究(マンハイムや『ハマータウンの野郎ども』から最新の研究まで)や、実際の社会運動の事例(就活のバカヤローデモ、#Metoo、不買運動など)も用いてときほぐしていきます。
「わがまま」から、「社会運動」へ。「社会運動」から「わがまま」へ。
大小のレンズをつけかえることで、個人的な「わがまま」を、ゆるやかに社会へとつなげていく。
それは「わがまま」を、社会を変える契機としてポジティブに捉え直し、同時に、政治や社会、社会運動をより身近に引き寄せる試みでもあります。
「これはアリ、それはナシ」の見えない線引きをゆるめ、もっと気軽に社会を考え、社会と関わるための、みんなの「わがまま」入門書。
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