
ひょんなことから、テレビでハイジの話をすることになった。ハイジといえば、スイスの山から大都会フランクフルトに連れていかれ、ホームシック&夢遊病になった少女である。その後、山に戻されて元気になるが、今度はフランクフルトから足の悪いクララがやってきて、ハイジの励ましを受けて奇跡的に歩けるようになる。まあ、だいたいそんなストーリーが思い浮かぶだろう。
原書のタイトルは、「ハイジの修業時代と遍歴時代」。意外にもゲーテの本(「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」)のパロディーだ。ゲーテの本と同じく、「ハイジ」も一種のヴィルドゥングスロマンとして書かれている。ハイジは、フランクフルトでいろいろ辛い思いはするのだが、その結果字が読めるようになり、礼儀作法が身につき、信仰心も得る。これらは原作者シュピリが、人間が一人前になるために必須だと考えていたことなのだ。もしハイジがフランクフルトに行かずに山の上に居続けたら、字も読めず、学校にも行っていないので、おじいさんが死んだときに路頭に迷っただろう。近くに住むペーターの家族に引き取られる可能性はあったが、ペーターとて字が読めない。ハイジは一生貧しい山羊飼いの妻として生きるしかなかったかもしれない。ところがハイジは病気にはなるものの、フランクフルトの人々に愛され、お金も与えられて山に戻ってきた。そして、おじいさんもハイジに感化されて信仰心を取り戻すところで第一部は終わる。この第一部が大ヒットし、すぐに続編「ハイジは習ったことを役立てることができる」が出版された。クララの奇跡的な歩行は続編でのできごとだ。
ハイジもクララもペーターも、なぜか一人っ子。そして片親もしくは両親を亡くしている。ハイジの物語では祖父母の世代が活躍する。ハイジのおじいさんも、クララのおばあさまも、ペーターの目の見えないおばあさんも、とても存在感がある。さらに、血縁によらない新しい家族も生まれている。クララの主治医クラッセン先生は、夢遊病のハイジを診察して山に帰らせてくれた人だが、その後一人娘を亡くしてハイジのもとにやってくる。ハイジのおじいさんのよき友人となり、最後にはハイジを養女にする。ハイジにはそれによって経済的保証が与えられ、より高い教育を受けるチャンスも生まれたといえるだろう。
しかし、この物語はハイジが10歳くらいの時点で終わってしまう。「赤毛のアン」の原作者モンゴメリと違い、シュピリはそれ以上の続編は書かなかった。おもしろいことに、ハイジは原文ではずっと中性名詞。つまり、第二次性徴の現れていない子ども扱いなのだ。
その後、フランス語圏で別の人が「ハイジ」の続編を書き、それによればハイジはペーターと結婚し、学校の先生になるのだそうだ。19世紀末のスイスの山村では、想定される女性のキャリアとしてそれが最大限だったのだろうか。男性を主人公としたビルドゥングスロマンの場合は主人公が芸術家になったりするが、女性にとっての選択肢の少なさが、「ハイジ」の結末からは透けて見える。
ともあれ、「ハイジ」原作は読みごたえがあるし、1970年代のアニメとはストーリーもかなり違う。今回の「100分de名著」で、それに気づいてもらえればとても嬉しい。放送は6月から、毎週月曜日の22時25分〜50分です(Eテレ、全4回)。
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