この研究のテーマである「ジェンダー平等社会の実現に資する研究と運動の架橋」という視点から少し勝手なことを言わせてください。

私も少しだけですが、日本軍「慰安婦」問題に関わっています。日本維新の会の橋下元市長が、「慰安婦は戦時下では必要だった」と述べ、在沖縄米軍に対しては「もっと風俗を利用して欲しい」などと述べたことを契機に、その発言の撤回と謝罪、そして辞任を求める活動をしていました。しかし、彼は謝罪はおろか撤回もせず、しかも維新はご存知の通り勢力を伸ばしている状況です。この問題と取り組むためにも、運動と研究をつなぎ、深めるものは何かということを考えたいと思います。

「慰安婦」という存在はずっと認識されていました。しかし、それをどう認識するかが、ある時点から大きく変貌しました。当初は、それこそ、当たり前のこと、当然のこと、せいぜい、かわいそうだけど仕方がないという認識が大半を占めていたと思います。彼女たちをレイプした側からは、彼女たちは売春婦だったんだ、から始まり、戦争中のほろ苦い思い出だとか恋愛だとか(なんなんだ!)というところから、性犯罪であり、暴力であり、戦争犯罪であることがわかってきたわけです。なぜそのような変化が起こったか。

まずもって、最初にあるのは言うまでもなく被害者の怒りです。それが告発として表明され、これが性犯罪であること、被害者が被害者であることがわかってきた。だから怒りが最初にある。まずそれが一番大切なことではないか。そしてその次に、怒りを怒りとして当事者が認識できたこと、また、怒ってもいいのだと思えることが必要だったのだと思います。そして、その怒りに名付けることできて初めて、怒りが他者に対して表明されうるし、周りも認識することができる。つまり、繰り返し性暴力を受けた痛みと苦しみ、その後の差別と偏見、国家の巨大な力に沈黙させられてきたことが、とてつもなく理不尽であるという怒りです。

しかしまず最初の、怒りを認識するということ、これがまた簡単ではない。理不尽なことが起こっても、それを理不尽だという認識がなければ、まずでてくるのは、体の不調です。頭が痛い、お腹が痛い(不登校の子どもの多くは怒っているんだと私は思っています)、そして精神的不調、眠れない、鬱になる、それでも怒りとして認識できなければ、次には自分を責める。私がおかしい、私が悪い、この社会に同調できない私のせいだと思う。そして何か違和感を感じている自分を攻撃することになる。だって、誰も社会が悪いなんて言ってくれないんだから。そして自分を傷つける。自死、リストカット、摂食障害などの様々な依存症、あるいは他者を巻き込んでの犯罪に至る場合もある。

怒りを怒りだとわかるというのは、怒ってもいいと思えることでもあると思います。怒ってもいいと思えるためには、同じような体験を共有し、理不尽を感じ、怒っている人がいるんだということを知る必要性がある。理不尽だと思っているのは私一人ではない、広く共有できることだ、つまり個人的なことは政治的なこと、ということですね。ここにあるのが運動と言ってもいいかもしれないと思っています。これは卵が先か鶏が先かみたいなことかもしれないですけど。

運動があるというのは、怒りを言葉にして共有することができている、あるいは少なくとも言葉化しようとしているということだと思うのです。そこにすでに、知識の共有、研究(と言えるかどうかわからないけど)、少なくとも議論の最初の糸口があるのではないか。怒りを表明するビラ、集会、ミニコミ、今でしたらツイートとかSNSエトセトラ、それに対する意見、反論、そしてついに、怒りに名前がつけられる、言葉化される。それが知の共有と研究ではないかと思います。

名付けるというのはとても大切なことだと感じています。性暴力という言葉がなければ、いたずらと言われ、些細なことのように扱われていた。DVという言葉がなければ、犬も食わない夫婦喧嘩と言われていた。被害者などいなかったわけですね。怒るなんてとんでもなかった。名付けることによって、怒ることができ、怒りを共有することができ、怒りをさらに研究し、どうすればこんなに理不尽な目に合わなくて済むのかが議論されるようになる。

つまり、まず個々人の怒りがあり、その怒りが共感され練り上げられることで名付けが行われ、この理不尽をどうすればいいのかと考える、そのプロセスこそが、運動と研究の架橋ということになるのではないかと思うのです。

私は70年代の初めにウーマンリブに出会ったのですが、その前は、私自身、私が悪いと思っていました。そこそこ恵まれた状況にいる私が、なぜこんなにしんどいのか、苦しいのかわからない。で、御多分に洩れず摂食障害になりました。私165センチあるんですが、その時37キロでした。下手すると死んでますよね(実際、摂食障害は緩慢な自殺だと思っています)。そこでリブに出会った。同じようなしんどさを抱える女性たちと体験を話し合い、共有し、言葉化して行った。そうか、私は女であることで差別されているんだ、それが苦しさの根源だったんだと知りました。そして、それに対して怒ってもいいんだと思えて、初めてかつての自分が、苦しみながら必死で生きようとして死にかけていた自分がかわいそうで泣きました。まあそんなことはどうでもいいんですが。当初、私は、たまたま偶然にリブに出会えたんだと感じていました。でも、いまにして思うと、この苦しみがなんなのかと必死で怒りのアンテナを立てていた私、呼びかける運動、共有できる知の集積の出会いは必然だったのではないかと思っています。

推測ですが、慰安婦とされた女性たちも、理不尽を自分の体に溜め込んで沈黙させられていた、心を病んだ方もたくさんいらっしゃると思います。お一人が勇気を持って怒りを表明された時、一方で女性運動があり、その怒りを共有するある程度の知の集積があった。そしてようやく、これが性犯罪であり、暴力であり、戦争犯罪であることが明らかになっていった。運動と研究が、連動しながら深化していくことで、一人の怒りが、多くの人の同様の体験をつなぐことができる。さらに、多くの名付けがあり、さらに多くの体験の共有ができ、さらに運動が広がる、これが運動と研究を架橋するということの意味かなと思います。

こういった重要な研究に対して、捏造ということはもちろんですが、あんなのはフェミニズムではない、活動であって研究ではないなどと言うところが杉田議員の一番愚かしいところだと思っています。フェミニズムが、活動であり同時に研究であること、それがフェミニズムの一番と言っていいほどの意味であることを、まさに指摘した研究であるからです。
この研究から、さらに運動が深化し、さらに研究が進化することを願ってやみません。いや、もとい、願ってる場合じゃない。地(地べた)と知(研究)を切り結んで(古いなあ・・)、さらに怒りに磨きをかけて闘いましょう。