ストーカーとの七〇〇日戦争

著者:内澤 旬子

文藝春秋( 2019-05-24 )


 話をするのがとても下手だと言うと、大抵の人に首を傾げられる。誰を相手にしても臆せず喋りまくるからだ。しかし肝心なことを伝えることが、できていないと常に思う。テレビやラジオに呼ばれるたびに、あれもこれも言えなかったと、放映を視聴しては布団をかぶって身悶えすることとなる。
 このたび上梓した『ストーカーとの七〇〇日戦争』は、私自身が体験したストーカー被害の顛末を詳細に書き綴ったものである。降り注ぐ嫌がらせに対して打った手の中には、間違ったものも多かったのだが、それも隠さず、間違った対応によって何が引き起こされたかも書いた。ひとつひとつの間違いの積み重ねの末に、気が付くと孤立してしまった恐怖も。
 ストーカー被害者自身が被害体験をつまびらかに語ることは、とても少ない。書くに至った理由のひとつには体験談や参考書の類が非常に少なかったことがあげられる。しかしなによりストーカー事件を解決するための法制度が整っておらず、被害者がずっと辛く不安な気持ちを抱え、隠れて暮らさざるを得ない状況が、あまりにも知られていない。これをどうにかして変えていかねばならないと思ったことが大きい。

 日本社会では、被害に遭った者にも落ち度があったと言われがちである。私も書けば加害者がまた怒り出すのではという不安のほかに、読者の批判にもさらされるのではという懸念が頭を離れなかった。
 それには被害に遭っている間ずっと、加害者から「こんなたいしたことないこと(大量のメッセージを送り付けること)で逮捕させるなんて被害妄想も甚だしい」と言われ続けていたこと。それから事情を説明せざるを得なかった友人知人たちからは、今のところは実際に付け回されたり刺されたりはしていないのだから、これ以上ことを荒立てない方がいいのではといった言葉をかけられていたことも、大きい。
 それではネットによる付きまとい行為が、大したことないことなのかというと、とんでもない。加害者側の労力は自宅でPCをいじっているだけなので少ないから被害者へのダメージも少ないと思うのかもしれないが、受ける側は何をするのも怖くなり、日常生活にも表現活動にも深刻な影響をもたらす。だからこそストーカー規制法の改正後にはネット上の付きまといにも適用されるようになっている。私の場合は加害者が元交際相手だったにもかかわらず、氏素性を偽っていたことが一度目の逮捕によって判明したことも、恐怖をさらに増大させていた。
 QOLを著しく損なわれながらも、友人や知人と相対するときには、普通を装う。警察に駆け込んで事情聴取されたときすらも、冷静を装ったことで「あまり怖がっていない」と疑われたくらいだ。相手に常に気を使ってしまう自分の気質に加えて、友人知人に対しては、普通を装う時だけ、自分は安全なのだという錯覚に陥っていられることもあるのではないかと思う。実に矛盾しているのだが、自分の置かれた状況を分かってほしいと思う反面で、平穏を装っていたくて、笑顔で事情を説明するものだから、どうにも苦しい気持ちが伝わらない。 それでも声をあげるならばできるだけ大きな声をあげようと、連載させてもらえるところを探した。面倒事には関わりたくないと尻込みされるなか、週刊文春編集部はこちらの抱える細かい事情も検討せずに、即答でやりましょう!と答えてくださったのには腰を抜かすほど驚いた。 そして週刊文春に連載しますのでと若い知人男性に言えば「文春に騙されて恥をさらすんですね」と言われてまた驚いた。ハア? ダマサレテ??いや、持ち込んだのは私だし。書くのも記者じゃなくて私だし。まさかスキャンダル暴露と同一視されるとは……。 どう違うのか、被害体験を書くことで、被害者の立場から求める解決方法を、そのための制度改革の必要性を訴えたいのに、それをうまく相手に説明できないポンコツな口が憎い。憎いけれども、私は書くことはできるのだ。一応プロなのだし。しのごの言わずにすべて書いて、スキャンダラスな興味本位で読む人も引っ張り込んで、制度改革の必要性にまで目を向けさせてみせようじゃないか。 ということで慣れない法律用語や精神医学用語に呻吟したあげくに連載を始めたところ、友人知人から「まさかこんなに大変な思いをしているなんて、全然知らなかった」というありがたい感想を次々といただくことになった。ああ、そんなに伝わっていなかったのか。なんとなくそうなんじゃないかとは思っていたんだけど。

 ストーカーを逮捕し、送検、起訴して裁判で有罪判決を出してもらったところで、被害者は安心することはできない。初犯であれば執行猶予がつくし、たとえ実刑となり服役したところで、ストーカーはロックオンした相手への執着を消さないからだ。もちろんすべてのストーカーがそうなるわけではない。警察に注意警告を受けた時点で理性が戻り、ストーキングをやめる加害者が大半だという。しかし一部のストーカーは被害者が警察を頼ることで余計に逆上して執着/憎悪をたぎらせ、再び自由の身となったときにまた被害者へと向かっていくのだ。なぜか。
 恐怖にさいなまれながら、どうしてそうなるのかを探っていく過程で、ストーキングが依存症の一種であることを知り、腑に落ちた。本人がやめようと思ってもやめられなくなる、行動抑制に問題のある精神疾患だったのか。
 私の加害者は、残念なことにその一部のストーカーに当てはまり、一度目の逮捕でさらに逆上してしまった。冷静になってもらおうと試みても、どうにもならないどころか、何を言っても聞き入れず嫌がらせが止まらない異常さに辟易していたので、病気であることを知って心から納得。さらに効果のある治療法があることもわかり、真の解決方法はこれだ!!と思った。処罰が必要ないというのではない。精神疾患ではあるが、善悪の区別はつくので、処罰はぜひとも受けてほしい。しかしそれと同時に治療を受けて、被害者への執着や接近衝動を落とし、二度と被害者に付きまとわないように無害化してほしいのだ。
 けれども現在の法制度では、加害者を治療に結び付けることができない。それどころかストーカーを治療できることすら、刑事も検事も裁判官にも知られていないという状態だった。被害者が治療をと口にすれば、加害者に温情をかけていると思われてしまう。
 最終章では書下ろしで、被害体験から感じた制度の矛盾や問題点を、素人ながらも洗い出し分析を試みた。被害者が安心して暮らしていくために制度を変えてほしい。加害者をただ罰してその後は放置するのではなく、適切な治療をして社会復帰させ、再犯をしにくくするしくみを作っていただきたい。それは被害者の安全だけでなく、社会全体を守ることにもつながるはず。SNSが普及した現代では、だれもが簡単にストーカー事件の被害者にも加害者にもなりうるのだから。
 ちなみに本が出版されて一か月が経ち、被害者=私への批判的なご意見ご感想を賜ることもあるのだが、それをはるかに上回る力強い共感を数多くの方からいただき、心折れることなく「書いて良かった」と心から思っている。小説家の桐野夏生さんにはちょうど連載を書きはじめる前にお目にかかる機会があり、「書くことが貴女を守る」と背中を押してくださった。いまになってこの言葉をしみじみと実感している。
 また、実際の執筆にあたっては、ストーカーの行動原理を熟知し、被害者の要請を受けて加害者と対峙し、何度も治療に結び付けているカウンセラーの小早川明子先生の支援および協力を仰ぐことで、ようやく可能となった。先生に出会えなければ、どんなに書きたいと渇望しても、書けなかっただろう。
 どうか多くの人に本書を読んでいただき、ストーキングが精神の病気であることを、知って、被害者が治療を望んでいる実情にも関心を寄せてほしい。
 また、現在被害に遭っている方には、どうするべきか、なにをしたらいけないのかが少なからずわかるようになっているので、どうかアクセスしてほしい。もし本を一冊読み通す気力がなければ(私の場合、実際に被害に遭っている間は本を読むことができなかった)、周りの信頼できる人に読んでもらうだけでもいい。解決へのヒントを見つけられるかもしれないし、被害に遭っていかに苦しい思いをしているのか、理解を得るための助けになるはずだ。そして同時にどうかひとりで悩みを抱え込まずに、少しでも怖いと感じたらまずは公的機関へ相談していただきたい。
 本書の終わりにも書いたが、相談窓口の一覧はこちらから。 https://www.npa.go.jp/cafe-mizen/consultation/