
7月26日の毎日新聞夕刊の見出しに引っかかりました。「なぜ皆、首相に就きたがるのかしら」と、4段の大きな見出しです。記事の内容は、
イギリスのエリザベス女王がジョンソン氏を新首相に任命したとき、女王が「なぜ、皆、首相に就きたがるのか分からないわ」と述べたと、ジョンソン氏が首相官邸の職員に漏らした。イギリスの新聞などは、ジョンソンが女王の非公式な発言を漏らすという「失態」を犯したと伝えている。
というものです。わたしが引っかかったのは、ジョンソンが「失態」を犯したことでも,新聞が非難したことでもありません。女王が言ったという「‥‥就きたがるのかしら」の「かしら」です。そして記事の中の「就きたがるのか分からないわ」の「わ」です。
「かしら」「わ」は終助詞と言われ、「一緒に行こうね」の「ね」や、「バスが来たよ」の「よ」などと同じく、文の後について、話者の意思や感情を加える助詞です。中でも「かしら」は問いかけに使うことばで多く、女性が使う助詞とされています。「わ」も、相手に知らせる気持ちを表すことばで、女性専用語とされています。男性のことばにも「さっぱりですわ」のような「わ」がありますが、こちらは「わ」を下り調子のイントネーションで発話します。女王の言ったとされる「分からないわ」の「わ」は「女性専用語」とされるものです。
まず、英語には日本語と同じような終助詞はありません。イギリスの女王の話しことばとして「かしら」「わ」に相当する英語を話しているとは思われません。
イギリスから来た20代の女性に、この見出しの元になる英語を考えてもらいました。女王が言ったとおりではないかもしれませんが、日本語訳に対応する英語です。
①「なぜ皆、首相に就きたがるのかしら」
I wonder why everyone wants to be the prime minister.
②「なぜ、皆、首相に就きたがるのか分からないわ」
I don't understand why everyone wants to be the prime minister.
どこにも、「かしら」「わ」に相当する語句は見当たりません。強いてい言えば、①のI wonderが「かしら」に近いといえるかもしれません。しかし、I wonderが相当するとしても、その訳としては「~就きたがるのかなあ」「~就きたがるんだろうか」「~就きたがるの」とすることもできます。「かしら」でなければならないことはありません。
②の方はもっとむずかしいです。「~分からない」でも、「~分からないよ」でも、「~分からないんだ」とでも言えそうです。
この見出しや記事の記者は、次のような思い込みで「かしら」「わ」を使っています。つまり、女王は女性だ、日本語では女性は「かしら」「わ」の終助詞を使う、だから女王のことばを日本語に翻訳すると「かしら」「わ」をつけなくてはいけない。この三段論法は正しいでしょうか。
まず、みなさん、ご自分のことばを振り返ってみてください。
「なぜ、安倍さんは憲法を変えたいのかしら」
「どうして、そんなに憲法を変えたいのかわからないわ」
と言いますか。おそらく、
「なぜ、安倍さんは憲法を変えたいのかなあ/…変えたいんだろう」
「どうしてそんなに憲法を変えたいのかわからない/…わからないよ/…わからないね」
などと言っているのではないでしょうか。
私たちの研究会で、自然談話の録音資料を作って調べたことがあります。女性の談話に「かしら」の例もありますが、「かなあ」の方がずっと多いのです。女性専用と言われた「だわ」も、この資料ではほとんど出てきません。「だわ」は死語化寸前だという論文も出ています。今、ことばの性差はどんどん縮まってきて、女性専用と言われたことばを使う女性は減り、「かな」「だよ」のような、そのものが中性化した表現を使う女性が多くなっています。
そういう現実をふまえると、イギリス女王の発言に、いかにも「女性的」とされる「かしら」をつけるのは適切ではないと私は思います。(今では「女性」そのもの概念が変化変質しているので、「女性的」という言い方は安易に使うことはできませんが、従来の女性の特質を含意するものとして、「 」付きで使います。以下同様です。)
元の英語の発話にそうした女性性がないときに、日本語だからと言って、日本語の女性性を付け加える必要があるのでしょうか。しかも、その女性性が揺らいでいるときに、従来通りの規範的意識でこうした表現を選ぶのは正しいことでしょうか。
読者の中には、へえ?イギリスの女王も日本語と同じ「就きたがるのかしら」「分からないわ」なんて言うんだ!と驚く人もいそうです。それよりも、やっぱり、イギリス女王も日本の女性のような「女性的」な言葉を使うんだ、と妙に納得する人の方が多そうです。
その後者の意味で、わたしはこの「かしら」「わ」は使ってほしくなかったと思います。現実の女性のことばが中性化しているときに、従来の「女性化」に引き戻す力になるからです。たかが、終助詞の「かしら」と「わ」のことぐらい、といわれるかもしれません。いや、小さな終助詞が女性のことばを縛って来た歴史を忘れてはいけないのです。
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