夏の終わり、暑さが残る季節は、なぜかいつもメランコリックになる。ふと目を止めた『本に読まれて』を読み、誘われて『シネマのある風景』にたどりつく。須賀敦子(1929~1998)、山田稔(1930~)、同世代の二人が書く絶妙のエッセーを読むと、憂鬱な気分もいつしか消えていった。

 須賀敦子は24歳でイタリアに渡り、イタリア人の夫ジュゼッペ・ペッピーノ・リッカの死後、42歳で日本に帰国。56歳から随筆を書き始め、62歳で『コルシア書店の仲間たち』で世に出る。1998年、70歳で逝去。ほんとに惜しい。老年期の彼女の筆の冴えを読みたかったのに。『本に読まれて』(中公新書・2001年)は須賀敦子の没後に出版された、彼女が最後に遺した読書日記だ。

 たとえばマルグリット・デュラス『北の愛人』の書評は、 映画の冒頭シーンさながら絵のような情景で始まる。佐野英二郎『バスラーの白い空から』は、死者の目線で「理念としての死」を語る。ベルトリッチの映画「シェルタリング・スカイ」の原作者ポール・ボウルズに惹かれて、何冊もの著作を読み込んでいくさまが、熱く語られる。

 最近、78歳で亡くなった池内紀の『錬金術師通り 五つの都市をめぐる短篇集』は幻想的な旅行記。「プラハの旧ユダヤ人地区を歩いて魔法じみた暗さの中をまるで自分が歩いたかのような気分にさせる」と、著者といっしょに旅する読者となる。ユダヤ人地区の路地裏で買い求めた赤いストールを今も大切に。ホステル・フランツカフカの安宿に泊まった旅の風景を、私もまた共に旅をする。

 車を駆ってアメリカ大陸を走る長田弘の『詩は友人を教える方法』は、自らへの問いに始まる書き出しだ。「旅行、好きですか、と訊かれると、たいていの場合、私は、さあ、と考えこんでしまう。好きみたいな、きらいみたいな、です。それでいて、旅に出ることを考えるのは好きだし、かばんに必要なものをつめたり、そのかばんがどうしても重くなってしまったり、とくに家を出るとき、おいていかないで、と家ぜんたいが叫んでいるような、あの恐ろしい感じに締めつけられることさえなければ、毎日だって旅に出たい。できることならひとりで行きたい」と。

 ああ、みんなおんなじだ。「人は旅に出るとき、いま、ある場所を動くことに自己の存在を失うかのような不安を抱くのが常」と、学生時代に読んだ心理学者・島崎敏樹の本の一節が蘇ってきた。

 大竹昭子の解説。「こんな書評がありなのか、と驚いた人も多かったのではないだろうか。ある情景から入っていったり、過去の記憶がひもとかれたり、いったいこの人はこれからなんの本の話をはじめようとしているだろう、と。須賀は書評を書くのに、なぜこのようなエッセーの形式をとったのだろうか」と問う。その謎解きは、この本を読んでのお楽しみに残しておこう。


 須賀敦子の書評に誘われて、山田稔の『シネマのある風景』(みすず書房・1992年)を読む。この本もまたエッセーなのだ。パリは、エッセーがよく似合う。

 1966年、初めてパリを訪れた山田稔は「パリ――シネマのように」と表する。フランス語で「それはシネマだ」という表現があるという。「シネマとしての人生を生き、人生としてのシネマをみつづける」と。

 「女も男も、老いも若きも、子供たちですら孤独を背負い、自立をねがいつつ他者との結びつきを失うまいとして生きている。私がパリの映画館のスクリーンでくり返しみたのはそのような孤独と連帯の間にゆれる人間のドラマだった」。

 1960年代末、パリ五月革命をカルチェ・ラタンの下宿で迎え、以来、何十年もパリ在住の私の女友だちがいる。夜昼となく、お構いなしに長い、長い電話を、パリから突然かけてくる彼女も、パリの「自由」と「自律」に染まった一人なのかもしれない。

 山田稔のおすすめの映画。「ニュー・シネマ・パラダイス」(ジュゼッペ・トルナトール監督。イタリア・1988年)は、エンニオ・モリコーネのサウンド・トラックとともに何度でも見たい名画。シシリアの小さな村の映画館で働く映写技師アルフレードと少年トトの物語。シシリアはシラクーサとカターニャとタオルミーナは訪ねたけれど、ロケ地の村・パラッツオ・アドリアーノにも一度行ってみたいなあ。

 映画のワンシーン。事前に映画を検閲する神父が、キスシーンのたびに鈴を鳴らしてアルフレードにフィルムをカットさせる。まだ昭和20年代だったかな、夜、小学校の校庭で白い幕を張って映画会が開かれた。風が吹くたびに画面が揺れ、ラブシーンになると、先生が手でカメラのレンズを塞いで見えなくしてしまう。子どもたちがブーイングしながら見ていたことを思い出す。

 「私はシャーリー・バレンタイン 旅する女」(ルイス・ギルバート監督。イギリス・1989年)は、46歳で離婚して、メソメソしていた私の背中をポンと押してくれた映画。ワインを片手に夕食の準備をしながら思いにふけるシャーリー(ポーリン・コリンズ)。食事の準備が遅いと癇癪を起こす夫ジョーに、翌朝、シャーリーは置き手紙を残してギリシャ旅行に旅立つ。ミコノス島のレストラン。朝食に、海でとってきたばかりの蛸が並ぶ。「ハムエッグ&トーストを」と所望するイギリス人観光客を尻目に、シャーリーは一人、おいしそうに食べる。店のオーナーのコスタに誘われ、沖合の小舟の上でのアバンチュール。連れ戻しにやってきた夫への彼女の自立宣言がカッコいい。

 山田稔は、「コメディ・タッチで描かれるこの映画には、どこか哀感がただよう。それはシャーリーの求める自立が、孤独とうらはらであるからだろうか。彼女は旅を続けるしかない、孤独と道づれに」。この映画を見て、私は「旅する女になろう」と決めたのだった。

 「バクダッド・カフェ」(ベルシー・アドロン監督。西ドイツ・1987年)のヒロイン・ジャスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)もまた、シャーリーと同じ生き方を選ぶ。ディズニーランドからラスベガスへの道中、夫婦喧嘩の後、夫と別れたジャスミンは重いトランクを引きずり、モハーヴェ砂漠の、うらぶれたモーテル「バクダッド・カフェ」にたどり着く。不機嫌な女主人、昼寝ばかりしているバーテン、ハリウッドから流れてきたカウボーイ気取りの画家たちがたむろするカフェ。やがてジャスミンは自分の居場所をそこに見つけて、仲間とともに「バクダット・カフェ」の大切な一員となっていく。主題歌「Calling You」を歌うジェヴェッタ・スティールの声が、いつまでも耳に響く、いい映画だ。

 本に読まれて、シネマに誘われて、やっと季節の変わり目をやり過ごせそう。ああ、もうすぐ秋だ。