久しぶりに家族のしがらみから解放され、東京まで2泊3日の一人旅。お留守番の90代の母と叔母には3日分の食事を用意して。娘と孫は別の新幹線でディズニーランドへ出発。
9月21日(土)、ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)の理事会で池袋の立教大学へ。土曜日というのにキャンパスは大勢の学生たちがたむろしている。WANも発足10年を超え、世代交代も徐々に進んでいる。うれしい限り。そろそろ私もバトンを渡そうかな。夜は品川のホテル泊。一人、ゆっくり東京の夜を過ごす。
翌22日(日)、「都の西北、早稲田の森」へ向かう。いつもFacebookで拝見する画家の内海信彦さんの「早稲田リベラルアーツ・アソシエーション」第二期第一回講義「20世紀の芸術家は、なぜファシズムに立ち向かえなかったのか――蔓延する反ユダヤ主義的言説の検証と、その思想の源泉を探して」に参加するために。講義は午後からなので、午前中は早稲田界隈をぶらぶら歩く。
高田馬場から早稲田通りを東へ歩いて10分ほど、右手に南部藩下屋敷跡の鬱蒼とした木々の中にインド大使公邸がひっそりと建っていた。近くにインド料理店や中華料理店が並ぶ。
早稲田大学の西門を入り、うろうろしていたら、改築中の大隈講堂と大隈重信像が見えた。すぐ前に會津八一記念博物館がある。常設展の會津八一と富岡重憲の東洋美術コレクションを、静かな館内で一人、見る。木々の向こうに1928年に建てられたという、エリザベス朝様式の坪内逍遥記念演劇博物館が、空高く建っていた。

大隈講堂

會津八一記念博物館

演劇博物館
正門を出てケヤキ並木の早大通りを東へ歩くと、近くの神社のお祭なのか、子どもたちがお神輿を担ぎ、賑やかなお囃子の音が聞こえてきた。山吹町交差点まで広く、まっすぐな一本道だ。
ランチを済ませて、午後は大学正門横、早大通りに面した早稲田キャンパス26号館(大隈記念タワー)5階502教室へゆく。部屋の壁には前日、終了した内海信彦氏の個展(東京・京橋ギャラリイK)の作品が数点、飾られている。若い人たちが続々とやってくる。予備校で教える内海氏の教え子たちなのかな。16歳~76歳の私まで、参加者の年齢幅はグンと広い。
午後1時~5時まで4時間ぶっ通しの内海氏の独演会。言葉があふれ、あふれて、あちこちへお話が飛んでいく。熱い思いを受け止め、若者も年配者も、時に大いに笑い、時に怒り、共感しながら聴くさまが、なんだか不思議な感じ。この写真の中に私、写っていますよ。さて、どこに座っているでしょうか?

早稲田リベラルアーツ・アソシエーション 撮影・山田遼
1960年、7歳だった内海氏は、今年2月に100歳で亡くなられた叔母で日本画家の堀文子さんに手を引かれ、「安保反対」デモに国会議事堂へ向かった。16歳の高校生の私も男子学生と腕を組み、御堂筋のフランスデモに行ったっけ。年代の近い内海氏の語ることが私には、よくわかる。若い人たちも、時代を知ろうとするその意思と志が、彼らの表情によくあらわれていた。
二項対立的に「共産主義、社会主義は善。その対極にファシズムがある」との思い込みは欺瞞だ。「左派ポピュリズム」もまた、ファシズムなのだ。「ハンナ・アーレントが全体主義の実例にソ連におけるスターリニズムとナチズムを挙げたことを日本の知識人は見過ごしてきた」と内海氏は言う。
本棚にあった古い本、『ローザ・ルクセンブルク』(トニー・クリフ/浜田泰三訳/現代思潮社。1968年)を読み返す。ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトが、1919年1月15日、ドイツ社会民主党(SPD)政府国防相ノスケ指揮下の軍人の手により虐殺されて、今年で100年。共に「スパルタクス団」を結成し、女性解放運動の母と呼ばれるクララ・ツェトキンのローザへの弔辞。「深い人間的共感と、真実を希求する熱烈な姿勢、無限の勇気、そして明晰な頭脳による、ローザ・ルクセンブルクの思考の独立性は、官僚主義と修正主義を批判し続け、真の革命家としての闘いを闘いぬいた。言葉にはいえない意志と決断と無私と献身をもって、彼女はその全生涯と全存在を社会主義に捧げました。彼女は鋭い剣でした。革命の生きた焔でした」とある。ローザ・ルクセンブルクからクララ・ツェトキン、ハンナ・アーレントへと続く道を、深く考えさせられる思いがした。
反ユダヤ主義を「人種的」なものへ転換し、利用したのが、1933年、ドイツで政権を獲得した「国家社会主義ドイツ労働者党」=「ナチス党」総統のアドルフ・ヒトラー。「仮想敵をつくることで国民の結束力を強め、説明のつかない出来事を「誰々の仕業」と断定し、思考停止にさせることが「陰謀論」の本質である」と内海氏は言う。ヒトラーはまた、当時の芸術家の作品を「頽廃芸術」と見なし、「見せしめ」として弾圧していく。それに抵抗する術もなく、沈黙せざるをえなかった芸術家たち。
今の日本の全体主義社会と、なんと似ている風景か。私も含めて、複眼的な視点でものごとを分析し、思考することを、みんなが避けようとしているといわざるをえない。
別れた、もと夫の個人誌『試行社通信』(第396号/2019年10月10日/八木晃介)が届いた。「見えない知性とは――時流と変節」を読む。今月号は、うん、なかなかいいことが書いてある。
「この国のかかえる全体の問題を正しくトータルに捉えている人は、どこかに存在するのでしょうか。たぶん、そんな人はほとんどいないものと思われます」「社会全体を見ないのか、見ようとしないのか、ほんとうに見えないのか。それを「変節」ないし「転向」というべきか否か」。社会的世界とは常に絶えず、生成しつつあるもの。スタティック(静態的)なものではありえない。社会全体を見えにくくする要因の一つを、彼は「既成事実を捏造することだ」という。「あったもの」を「なかったこと」にする既成事実の詐造の前に私たちは無力になってしまう、と。
では社会全体を正しく読み解く方法とは? 「一つは社会の森羅万象について基礎的な知識を蓄積すること。もう一つは人と人とが媒介物なしに結合する方途を考えること。それにはどんな結合が可能かを考え尽くすことが私のコミュニズム(共同主義)のユメだ」と結ぶ。
この時代、言葉の真の意味を理解することは、なんて難しいんだろう。だけど自ら考え、考えて、理解したことを、声に出し、共に行動につなげていくことは、きっとできるはずだ。若い人々の生き生きした表情を見ながら、「ここにも希望を託せる人たちがいる」と、そっと呟いて会場を後にした。
帰りは娘と孫と合流し、改装なった東京駅丸の内北口と銀座をぶらぶら歩いて、新幹線に乗る。東京は、やっぱり疲れるぅ。でも、いっぱい、いい刺激を受けて、さあ明日から、また日常が始まる。
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