11月3日が近づいてきました。
slutwalkの趣旨を知っていただくため、ZINEの冒頭のslutwalk鼎談をPDFにてアップします。

slutwalk運営みんなで話し合って作った声明です。よかったら一読ください。

①セックスワークについて

セックスワークについてslutwalkで言えることは「売れ」とか「売るな」とかいう話ではなくて、「売っていたとしても暴力をふるうな」ということです。

売買春の是非についてここで議論はしません。私たちが受容しようが否定しようが、売買春がどのような背景であれ存在するのは事実です。そして現状日本ではリスクが高過ぎるし、セックスワーク自体も向き不向きが大きく、どんな人でも困難が多い職業です。

ここで言えることはジャッジの大鉈をふるうのでなく、セックスワークに関わっていたとしても社会の中で生きていくことが不利にならないものにするかという視点こそが大切であるということです。

誰もが困った時にヘルプを言いやすい世の中を作るためにも、どこの誰であっても助けを求めていいと、どんな職業の誰であろうが暴力を振るう/振るわれることを許さないと、slutwalkは道を行く事でメッセージを届けたいと思います。

②slut(あばずれ)について

slutwalkについて、露出高い格好でなきゃだめなのかな?性的な事に能動な人だけのデモ?と疑問の方、ご安心ください。

slut walkはそもそもがslutという言葉を投げられる類の格好が暴力を振るわれても仕方ないとみなす事への抗議です。 今回のスローガンである「あばずれ上等」にしても、「あばずれ」になれ、そうした格好を選べ、性的な事に能動的になりましょう、という事ではありません。もちろん誰かを名指す言葉でもありません。

性的な事にポジティブやネガテイブになるのは1人の人間の中でも起こることです。

slut walkの意訳としての「あばずれ上等」という言葉は、被害者の落ち度を探し、貶め、彼女/彼への暴力を肯定し、それを可能にする、まだまだ世界的にも克服されていないそうした価値観への抵抗としての言葉です。
例えそう見られる格好だとしてもそれがどうした!暴力は振るうな!個人の意思の尊重が大事だ!ということです。(繰り返しになりますが発端がそこですから)

「あばずれ」も「おしとやか」も服装や態度を形容する言葉です。「あばずれ」だとか、「おしとやか」だとかと相手の服装や態度を形容することは、いったい誰の期待に応えるためにあるのでしょうか?日常的に振るわれるそうした品定めは、誰のための、何のための価値基準に基づいて行われるのでしょうか? 私たちは誰かの期待に応えるために生きるのではなく、自分自身のために、その尊重のために生きてもよいはずです。そうしたことの吟味や葛藤の末に出された自分の身体についての暫定的な見せ方は、「あばずれ」に見えたとしても、「おしとやか」に見えたとしても、どちらも(それ以外も)尊重されるべきではないでしょうか。あなたが望む格好や態度や振る舞いとして。

今回の「あばずれ上等」というスローガンは、「戦争は終わった、もしあなたが欲するのなら」というスローガンが、いまだ世界中にある戦争を見ない事にしているものではないのと同様です。希望の先取りと灯火の言葉として解釈していただければと思います。

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