
オーキッド(シャリファ・アマニ)は、映画スター・金城武が大好きなマレー人の女の子だ。ある日、友人と香港映画を探しに市場へ出かけた彼女は、屋台で海賊版のVCD(ビデオCD)を売る、華人の少年ジェイソン(ン・チューセン)と出会う。一目で互いに好意をもったふたりは、ファーストフードの店や公園でデートを重ねながら、心の距離を近づけていった。
マレー系の女なんてやめておけ・・・と言っていたジェイソンの親友キョン(ライナス・チャン)も、オーキッドに会うなり一瞬で魅了され、やがて、ふたりの恋を応援するようになっていく。オーキッドの両親(母アイダ・ネリナ、父ハリス・イスカンダル)や、お手伝いのヤムさん(アディバ・ヌール)、ジェイソンの母親(タン・メイ・リン)も、それぞれに娘と息子の恋愛を温かく見守ろうとしていた。
ところが、ふたりの恋愛は、互いの出自が異なるせいでスムーズにすすまない。さらに悪いことに、ギャング団に入っているジェイソンが引き起こしたある出来事のせいで、ふたりの関係はいっそうこじれてしまうのだった――。
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多民族国家マレーシアを舞台に、民族や文化などの出自が異なる若者たちが出逢い、互いの間にある障壁を乗り越えようとする――。ヤスミン・アフマド監督は、異文化が交差する物語を優しく、ときに厳しく描いた6本の作品を残し、2009年に52歳で急逝した。
マレーシアでは、マレー系が人口の大半を占めるが、中華系、インド系などの民族が、それぞれに独自の言語や宗教、生活習慣といった文化を守りながら暮らしている。基本的にはそれらが融合することはなく、互いの生活習慣や文化を尊重し共生している国だ。だが、映画の世界ではマレーシア政府の映像検閲局(LPF)や、1981年に設立されたマレーシア映画振興公社による規制のせいで表現の幅が狭められ、映画の中のマレーシアは、ほぼマレー人の役者でマレー語だけをしゃべるということが続いていたという。
ヤスミン・アフマド監督は、そんなマレーシア映画界に2005年、監督2作目となる本作の上映で新たな風をもたらした。登場人物たちはマレー語や英語、広東語をごちゃまぜにして話し、しかも物語はマレー系の少女と中華系の少年の恋愛物語である。音楽も、登場するエピソードまで多文化に彩られた『細い目』は、相当な驚きをもって迎えられ、結果的にマレーシア・アカデミー賞に輝いた。それだけでなく、フランスのクレテイユ国際女性映画祭グランプリや、東京国際女性映画祭最優秀アジア映画賞なども受賞し、その衝撃は世界に広がった。その後もマレーシア社会の理想と現実を映し、社会にさざ波を起こし続けた彼女が、1作目の『ラブン』からわずか6年の活動期間で生涯を閉じたことが本当に惜しまれる。
「細い目」というのは、マレー系の人たちが中華系の人たちを揶揄して言う呼称である。それを、映画のタイトルにしたうえ、その意味までも肯定的なものに変えてしまう軽やかさに驚かされる。物語の中ではさらに、民族や文化、立場や性差といった、人を隔て、ときに差別の理由に使う垣根にほころびを作り、あるいはそれを軽々と越えていく度胸と度量があって引き込まれる。全編に散りばめられている人を傷つけないユーモアに、すべての人間へのフラットなまなざし。楽しく心が躍る瞬間も、どんな痛みや悲しみも、常に淡々と描く優しさにつつまれていて、うっかりしていると涙がこぼれてしまうのだ。
本作では、社会的にはタブーとみなされる子どもたちの恋愛を、身近な、母親たち大人世代が積極的に肯定するところも新鮮だった。自らも親たちの反対を押し切って恋愛をしていたり、民族を超えて結婚した経験を持っているが故の諦めにも映るけれど、自分で人生を選び、その結果として生じるさまざまな困難を引き受けてきたからゆえの懐の深さでもあるなぁと心に響いた。個人的には、幼少期のふたりが登場するファンタジックなシーンと、ラストシーンの余韻が大好きな作品だ。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)
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