ある日、学生時代を過ごした街へ出張でやってきた湯佐薫(寛一郎)は、むかし下宿していたアパート「月光荘」の大家さんだった川島雪子(吉行和子)が孤独死した、という新聞記事を見つける。その足で20年ぶりに月光荘へ向かうことにした薫の胸には、当時のさまざまな思い出がよみがえっていった。

――薫が大学3年のとき、雪子さんの一人息子が亡くなってしまったあとのことだった。薫は雪子さんから、彼女が「サロン」と呼ぶ食事会に誘われるようになる。月光荘には、自分のほかに小野田さん(菜葉菜)という、会社づとめの、暗い印象の女性がおり、サロンでは彼女もたいてい一緒だった。

毎回のサロンでの豪華な食事や、ときおりもらう雪子さんからのお小遣い。彼女や小野田さんからの過剰な好意を、薫もしばらくは「孫ごっこ」と称して、ありがたく受け取っていたのだが――。
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自分の欲望やエロスとちゃんと向き合うことは、けっこう難しい。とくに、自分よりも他者の欲求を優先することや、誰かの期待に沿ってふるまうことに慣れてしまっていると、自分で自分を喜ばせることが下手になってしまう。

浜野監督の作る作品は、女たちが誰かにとって便利で都合のいい存在ではなく、一人ひとりが欲望をもち、のびのびと生きていていいなぁと思う。映画では、雪子さんも小野田さんもどこか謎めいた怖い部分や、暗い過去を持っているけれど、それらすべてを含めて人間としてユーモアたっぷりに描かれているのが好ましい。

そんな女性たちの間で翻弄される薫を、寛一郎が抜群の「微妙な表情」で演じていて見ごたえがある。雪子さんの友人で喫茶店主を演じた大方斐紗子の、凛とした演技も大好きだし、本作で友情出演している佐藤浩市(寛一郎は彼の息子。吉行和子は三國連太郎とも共演をしたことがあるので、これで親子三代と共演したことになるのだそうです。すごい!)のすっとぼけた演技も楽しめる。

雪子さんの足音

著者:木村 紅美

講談社( 2018-02-02 )


本作は、木村紅美の小説『雪子さんの足音』(2018,講談社)を原作として描かれた、浜野佐知監督の6作目となる一般映画である。

本作の制作のきっかけは、あるとき吉行和子さんのマネージャーと飲んでいた浜野監督のもとに、吉行さんから「とんでもない“バーサン”が演りたいって伝えてね」というメッセージが届いたこと、なのだそうだ。

「たったそれだけで映画を作ろうとしていいの?」と思わず言ってしまいそうになるほどの、監督と出演者の信頼関係には驚かされてしまう。けれども、互いの仕事への信頼と、作品で描こうとする女の欲望やエロスへの信頼――そういえば「浜野組」が作る映画には、いつも安定した“それら”があって、観終わるとなぜか、生きていることを丸ごと肯定されたような、温かい気持ちになるのだった。「たったそれだけ」の関係を築くのは、ほんとうはものすごく難しいことなのだ。


本作では、さらに不思議な縁が重なったようである。脚本家の山崎邦紀さんが「とんでもない“バーサン”」の映画化へ向けて探し当てた原作『雪子さんの足音』の著者、木村紅美さんは、浜野監督が映画化した尾崎翠(『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』)の、積年の大ファンなのだそうだ。尾崎翠といえば、吉行さんの妹で詩人の吉行理恵さんが大好きだったご縁で、浜野監督と吉行和子さんは出会っている。つくづく、幸せな出会いの連鎖で作られた作品だと思う。

日本映画のなかで、高齢期の女性たちのエロスが描かれた作品は、これまでに浜野監督の『百合祭』しか知らない。その次がこの『雪子さんの足音』。まだまだ描き足りない女たちのエロスが向かう先。次は、どんな作品が登場してくるだろうと思うと楽しみだ。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)


現在、全国の劇場で順次公開中!12月8日(日)より広島・横川シネマにて、2020年1月24日(金)より、福岡・小倉コロナシネマワールド、石川・金沢コロナシネマワールドで公開決定!

出演:吉行和子、菜葉菜、寛一郎、大方斐紗子、野村万蔵、宝井誠明、佐藤浩市(友情出演)、山崎ハコ、石崎なつみ、村上由規乃、木口健太、結城貴史、贈人、辛島菜摘
監督:浜野佐知
企画:鈴木佐知子
原作:木村紅美「雪子さんの足音」(講談社)
脚本:山崎邦紀
音楽:吉岡しげ美
撮影:小山田勝治
協力:静岡市
女性:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
制作・配給:(株)旦々舎/2019年/日本映画/カラーDCP/112分

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