
海と空のあいだに
12月4日、大谷大学で開かれた「海と空のあいだに 石牟礼道子『苦海浄土-わが水俣病』を京都で読む」に出かける。
京都の上京区で、古書店「カライモブックス」を開いている奥田直美さんと順平さんを迎えて、大谷大学助教の方々がお話を聴く会。
1年前、「カライモブックス」を訪ね、天井までうず高く積み上げられた大好きな本の数々と、お二人の何ともいえないお人柄に魅せられていたから、「ぜひ、聴きに行かなくちゃ」と思って。
大谷大学「ガクモン講座」では先生方と院生たちが、1年をかけて石牟礼道子の『苦海浄土』を読みあっておられるそうだ。
司会の服部徹也さんに問われて、奥田直美さんが静かに語り始める。高校3年生で石牟礼道子のエッセー「言葉の秘境から」を読み、石牟礼道子の世界に心酔してゆく。大学卒業後、出版社に勤めていたある日、カフェで働いていた順平さんと出会い、好きな本の貸し借りをするうち、恋が芽生えて、二人は水俣や天草へ旅をする。やがて結婚後、一人娘の道さんが生まれて4カ月後の2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が起こった。ああ、うちの孫と同い年だ。孫も、その半年前に生まれて、たまたま千葉から京都へ移ってきていた。
奥田さん夫婦は2009年3月、「カライモブックス」を京都・西陣で開いていたが、3・11以後、子育てに不安を覚え、それまで文通を続けていた石牟礼道子さんに初めて会いにゆく。石牟礼さんは二人の話にじっと耳を傾け、親身になって「悶え加勢」してくれた。その言葉を、その時はよくわからなかったそうだが、後々、しみじみと深い意味を会得したのだという。

岸壁に干される高菜
2018年2月10日、石牟礼道子さんは90歳で逝去。毎日新聞西部報道部学芸グループ・米本浩二記者は、2014年以来、石牟礼道子の近況を伝える70回に及ぶ連載「不知火のほとりで」を書き終え、「記者の目」に「石牟礼道子と「せりこみ猫」」の記事を書いている(2019年4月12日付)。
「働き者を「働き神」、本好きの人を「書物神」と呼ぶように、水俣では人の特性に「神」をつける。他人の苦しみをわが苦しみとして、夜も昼もなく悶える石牟礼さんは「悶え神」だった。水俣病患者の絶望や苦悶を引き受けるだけでなく、加害企業チッソの首脳の心労も察して悶えるのだ」とある。
水俣病センター相思社で相談にあたる、若い30代の永野三智さんも、石牟礼さんから「ああ、あなたは、もだえかせしてるのね」といわれたとか。永野三智著『みな、やっとの思いで坂をのぼる-水俣病患者相談のいま』(ころから・2018)は、おすすめの本だ。
熊本弁で「加勢(かせ)する」とは「弱いほうに加勢する(助ける)」の意。弱い人たちのことを思い、悶えて、加勢するということか。

石牟礼道子全集
石牟礼道子の本を、もっと読みたいと思い、「カライモブックス」へ足を運ぶ。西陣で10年続いた本屋が、この夏、余儀ない事情から移転することになり、今年9月、七本松下長者町の路地の奥へ引っ越した。歩いて、迷いに迷って、ようやくたどり着く。
路地裏の奥にある静かな一角。もと機織り工場跡の庭に開いた書棚は、明かりとりの天井窓から陽が注ぎ、一冊、一冊、本の背表紙が、よく見える。『石牟礼道子全集 不知火』第10巻(藤原書店・2006年)を買い求める。いっしょに、いつも玄米と豆乳でつくるヨーグルトに欠かせない天草産の粗塩も買って。それに沖縄の黒砂糖を加えれば、おいしい天然ヨーグルトの、できあがり。
分厚い『石牟礼道子全集 不知火』を繙く。
「字ぃが幾分なりと読める者たちが加勢せずにはいられない。人情に促されて、とでもいうような気持ちのことを、ここらでは、「加勢しい力の出て来た」という」(加勢しい力)。
(チッソの建物に上りこませてもらって)では、患者たちは「自分たちの心をわかって欲しいと思っていたのだが、わかってもらえない。その人たちの心がどうなっているのか切実にわかりたい。それは責めたてているんじゃなくて、ほんとうに不思議じゃねえと、どうしてこう学問のある東大を出たような偉か人たちが人間の心がわからんとじゃろうか。それが哀しいという顔つきになってゆかれて、それがわからねば、自分らはもうゆくところがない。とてもひたむきな、哀しみをたたえた深い面差しになってゆかれる。そういう時の、おひとりおひとりの表情がわたしは忘れられないんですけれども。無限の哀しみをたたえたような顔つきになってこられる。それは、言葉ではなかなか・・・・」。
障害者解放運動の「青い芝の会」を率いて、『母よ!殺すな』を書き、1978年、42歳で亡くなった横塚晃一さんは、常々、障害者と介護者との関係を、法然と親鸞にたとえて「よきひとのおほせをかふりて信ずることのほかに別の子細なきなり」(『歎異抄』)を引いて、互いの「心の共同体」を求めていたという。
その頃、小学生だった娘をつれて、私も京都の障害者解放運動の片隅にかかわっていた。障害をもつ人ともたない人との関係は、「ああ、難しいなあ」と戸惑いつつ、横塚さんの言葉をいつも忘れずにいたいと思っていた。
水俣病の患者さんと石牟礼道子さんとの間には、その「心の共同体」が自然に生まれていたのではないか。そして米本浩二記者が書くように、「かつての闘争のシンボルだった「怨」の旗に代わるもの」として、石牟礼さんは「書く」ことで新たな闘争を開こうとしたのではないか。しかし決して「書く」ことが、「書くことができる」者の「特権」とはならずに。
それは奥田順平さんが語る、何度も訪ねた水俣や天草の人々が、石牟礼道子が描く漁師たちそのものだったことが何より示すように、「書く」人と「書かれる」人が、同じところにいたのだ。
そして順平さんが最後に話されたことに驚く。水俣の向かい、不知火海の御所浦島の採石場から切り崩した土砂が、沖縄の辺野古・普天間基地移設で大浦湾埋め立てのために使われるという。漁師たちは「島がなくなる」と怒り、反対運動が起こっている。他にも鹿児島の佐多岬や長崎の五島列島の島々からも土砂が運ばれるとか。ああ、なんということだ。水俣病発症から60有余年、またしても国は、民に無法なことをするのか。時が過ぎても、なんにも変わってないじゃないか。
石牟礼道子さんの本を読むと、涙で心が洗われるような思いがする。その文章の中に、今もなお、石牟礼道子は生きているんだ。
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