書 名 戦争と性暴力の比較史へ向けて
著 者 上野千鶴子・蘭信三・平井和子 編著
版 元 岩波書店
発行日 2018/2/24
定 価 3190円

 370頁の大冊のタイトルを見たとき、上野千鶴子の単書だったらアピールすると思ったのですが、 読み進むうちに、13人の学者研究者の集中多元論稿のパワーにうたれ、新たな問題提起がはらま れている予感で読み通し、やはり!と思いました。
 ご本の内容は少しも古くなっていません。
 性暴力被害の傷に耐え黙してきた人が思い切って苦や怒りを語り、「犯されたことは恥でない」自覚を しっかりもったとき「解放」」と抵抗の力を知る。若い世代のMeTooともつながる。と同時に、独りの静かな 沈黙も大切にしたい。と高齢を自覚している私は感じています。

 アジアの戦争と性暴力研究は世界各地に飛んで実態の研究が進み、対抗史が被害者側から出て来る に至ったことを本書の「慰安婦の行動と言説」が証している。偽りや誇張のない当事者の「対抗史」は慰安婦問題の混迷を好転させる力を持つと感じます。気力の湧く論文です。 ます。「慰安婦」を一国ナショナリズム・民族主義の象徴にして反冷静活動をする動きとは違う平和思想の 深まりを私は期待したい。
 その好例が第4章の論稿「兵士と男性性」の冷静な分析ではないでしょうか。「慰安婦」を知るには「実在 の将兵」の行動も詳しく知る必要があります。労作の本稿にはいろんな将兵が出てきますが、ごちゃごちゃ にならず、戦争の悲惨、被害と加害の重層性を解きほぐす女性の明晰な視点があります。

「日本占領下の性暴力連続体としてのレイプ/買売春/恋愛/結婚」は、沖縄の米兵について渡米した花 嫁問題や置き去られたダブルの子らも想起され、サバイバー女性への論者の敬意に共感しました。
 満洲崩壊、現地民の報復、ソ連軍侵攻の地獄で、黒川開拓団の若い女性達は団を救うためにとソ連将兵 に提供され性暴力の犠牲になった。第6章「語り出した性暴力被害者―満洲引揚者の犠牲者言説を読み 解く」の論者は、「満洲国」崩壊とソ連将兵による性暴力の内実を究明し、性被害逝去者の「乙女の碑」を建立した岐阜県黒川開拓団の故地を何度も訪ね、2013年の「満蒙開拓平和記念館」での当事者二人の語りの解読につとめる。若い男性研究者によるこの性暴力批判論には理知の力があり、社会の性差別の論述は借り物でなくしっかりしている。期待しています。
 私は1982年に現地を訪ね翌83年、黒川当事者女性たちの苦しみ、引揚後のセカンドレイプ、現地民の襲撃 で父は殺害され、長女として幼な子と弟妹、4人を絞め殺した女性の苦悩と懺悔の証言も傾聴し、女性の賛意 を得て実録にしました。その掲載誌は地元で買い占められ一部焚書されたという。
 現在の戦後生まれの遺族会長と当時を知る女性(83歳)、地元の岐阜新聞社、朝日新聞名古屋編集委員 の方など、7人の方々が2018年初夏に上京、知らされました。という事もあって、旧村のパターナリズムを思い 出し、隠ぺいした男性たち(故人)の胸の内も想像しました。

 第7章の「引揚女性の『不法妊娠』と戦後日本の『中絶の自由』は、ソ連兵などのレイプで妊娠した女性達を 引揚げ港で強制中絶した証言から、強姦や性接待という性暴力が広く各地であったと推論しています(私も同 様の証言を傾聴)。本稿は厚生省の密命⇒中絶手術が戦後の「優生保護法の成立」につながることを解明し、 「産む・産まない」の自己決定権をめぐるフェミニズムを論じ、女性支配を目論むバックラッシュに言及する。 戦時下に多発した性暴力は平時もなくならず、不本意な妊娠の犠牲は女性が背負う現実をしっかり伝 えて圧巻の章でした。

 社会学と歴史学によって、アジアだけでなくアメリカ、フランス、ドイツの戦時性暴力の比較史が論じられてい ます。敗戦国ドイツの性被害報告と戦場でレイプされた女性の映画を思い出し、本書では、第8章のナチス強制 収容所内の売春施設に恐怖しました。
 日本近代史学として性暴力に言及した第9章では、沖縄の目取真小説から読み取りと吉見義明の不屈の研究 と問題提起を学びました。第10章の中国黄土の村での石田米子と内田知行の聞取り論文の力と知見の深さを 改めて教えられました。本書編者の一人・蘭信三は早くから「満洲」と中国問題の学者で、女性の性被害の史実も現在のさまざまな悲劇も研究しており、そこから「慰安婦の抑圧からの解放のモデル」論を提示した。
 上野千鶴子は「モデル被害者」論を提示した。「モデル被害者」が慰安婦であったことは恥であると いう旧来の視方に対しフェミニズムが反対し、そこに民族的ナショナリズムと娼婦論が絡んでいるこ とを(1998年に)見抜いた。できあがった「モデルストーリー」に自分を合わせるのでなく、自身の 実感と考えで行動する主体性を上野千鶴子は提示した、と思います。そのことが私の「やはり!」とい う共感です。最後の章で、蘭信三も上野のナラティヴに賛意を示しています。
 個々人がナラティヴを獲得できるかが問われます。自分であるために、語られない記憶・沈黙の重要性も認識すべきである、という指摘を私は受けとめたい。

◆林 郁(はやし・いく)
作家。女性・子ども、環境、心と身体、植民地をテーマにした小説・実録・エッセイ・評論を書く。著書は『満州・その幻の国ゆえに―中国残留妻と孤児の記録 』『大河流れゆく ― アムール史想行』『家庭内離婚』『未来を紡ぐ女たち』など。

戦争と性暴力の比較史へ向けて

岩波書店( 2018-02-24 )