NHKに以下のような投稿を行いました。投稿フォームには400字の文字数制限があったため、申入書全文を紹介させていただきます。

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<NHK投稿フォームへの投稿文>
 番組はお笑い芸人岡村隆史さんが「笑われ、バカにされる」ことで成り立ち、人気があるのだと思いますが、キヨエちゃんが毎週「岡村のバカ―」と叫ぶのは、やめましょう。
 「岡村、お利口〜!」で良いと思います。
 「岡村の嫁探しコーナー」は各地の産業を紹介する新企画ですが、笑いを取るために「嫁」を使うのですか?
 「ヨメ」「ウチノヨメ」と頻繁に使うお笑い芸人の「ヨメ」とは、(妻とは平等な関係でヨメとは呼ばないけれど、笑いを取る仕事上の)「フィクション」であって、もしそうでないなら男尊女卑、女性差別の芸人です。
 「お笑い」が成り立つには、視聴者が「アハハ、ヨメなんていう、女は引っ込んでろ時代のキャラクターなんてどこにもいないのに、それを探す岡村はバカだね〜」という共通認識が必要です。
 でもこの国の少なくとも地方の農村では無理です。息子の妻は今も「嫁」呼ばわりされ、「嫁扱い」されています。
 なので「嫁」はやめましょう。
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【以下は申し入れ書全文】

NHK御中

チコちゃんに叱られる! 担当責任者 御中


         申し入れ書


貴番組「働き方改革コーナー」の新企画 「キヨエちゃんの岡村の嫁探しコーナー」について

「嫁」という表現は男女不平等です。タイトル名、企画を見直すことを求めます。


この番組は、岡村隆史さんというお笑い芸人を、チコちゃんとキヨエちゃんが「岡村!と呼びつけ」にする、お笑い芸人岡村隆史さんが「笑われ」、「バカにされる」ことで成り立っていることは承知しております。

ただ最後のコーナーで、キヨエちゃんが毎週「岡村のバカ―」と叫ぶことについては問題があります。

人は誰でも時に、誰かに(自分自身に対しても)「このバカ者」とか「お前もばかだな」と使いますが、今社会問題になっている子どもたちのいじめや差別、障がい者や高齢者への虐待・差別の中で、この言葉が使われている重い現実もあります。

敢えて「バカ―」を連発しなくても「岡村、お利口〜!」とイヤミっぽく叫ぶ手もあると、わたしは思います。

 さて本題はここからです。
働き方改革コーナーの新企画と思われる「岡村の嫁探し」は、初回と2回目を見る限り、各地方の産業紹介かと思われます。
それを面白く仕立てるため「キヨエちゃんの岡村の嫁探しコーナー」という企画が作られたとのだと思います。
問題とするのは「嫁」という呼称です。「嫁」は男女不平等社会の呼称です。「イエ制度」という、大日本帝国憲法時代の、旧民法下の家族の規定の中で、「イエ」という概念を通して「家長=戸主」から見た「息子の妻」を指す呼び名=呼称が「嫁」です。

男尊女卑(男女不平等の価値観、世界観)の「イエ制度」は、こうした呼称を含めて、日本国憲法、民法改正により廃止されました。

庶民の古い意識は法律のようにスパッとは変わらないため、いまだに「ウチノヨメ」といった言い回しが残っている社会における「岡村の嫁探し」というタイトル自体どうなのかを考察する前に、「男女共同参画社会基本法」を見て頂きたいと思います。

「男女共同参画社会基本法」第四条(社会における制度又は慣行についての配慮)「 男女共同参画社会の形成に当たっては、社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあることにかんがみ、社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない。」

 これは具体的には公共やマスメディアでの表記に関しては、対になる呼称は「女・男」「妻・夫」「母・父」など対等であることが求められるということです。「女教師」「女医」「女優」…など一見差別とは見えない呼称であっても「本来男の世界だけれど…」というニュアンスが隠されている呼称は排除するようになりました。つまり「ヨメ」は公共放送で使うべき呼称ではないということをはっきりご指摘いたします。

例えばダウンタウンというお笑いコンビの松本人志さんが頻繁に使う「ヨメ」は、…お笑いのネタとしてのフィクションでだと理解しています。
「お笑い」がお笑いとして成り立つためには、視聴者が「アハハ、ヨメなんていう、女は引っ込んでろ時代の、夫の親から人間扱いされないキャラクターなんて今はどこにもいないのに、そんなモノを探す岡村もバカだよね〜」という共通認識が必要です。

でも社会は本当にそうなっているでしょうか。

お笑い人気によって「ヨメ」「ウチノヨメ」といった呼称は、本来こうした呼称を使うはずのない世代にまで広がり、若い芸能人や一般の男性まで「私の妻」ではなく「ウチノヨメ」と使う実態があります。そこに男尊女卑の意識はないと思いますが、では女性差別の意識がなければ使ってもよい、どんどん使いましょうということでしょうか。

「ヨメ」の対語は「ムコ」ですが、ヨメと呼ばれた女は相手をムコとは呼ばずに「ダンナ」「うちの旦那」を使う例が多いようです。
中には「主人」と呼ぶ人もいますが、いずれも主従関係に由来する、非対等な呼称だとわかります。
ではなぜ、「ヨメ」と呼ばれた相手は「うちの婿」と呼ばないのでしょう。
婿はイエの概念で「跡取りの息子がいない場合に他者と婿養子縁組をした上で娘と結婚させた男」ですから、松本さんはフィクションであっても、自分は婿とは思っていないということです。フィクションとして「俺はヨメの亭主だ!」とでも言うかもしれません。

わたしは1990年前後に「アジアの花ヨメを考える会・ながの」を主宰していました。当時は長野県、新潟県、山形県などで「農村のヨメ不足」~「アジアの花ヨメ」という女性差別、人権侵害、外国人差別が公然と行われていました。

当時の農村の首長さんたちは「都会では誰もヨメにならなくて済むけれど、田舎ではどんなに法律が変わっても【農家の嫁】が必要なんだから、日本の女はダメでもスリランカや中国、タイ、フィリピンの女をヨメにしようじゃないか」と堂々と「花ヨメ探し」ツアーを企画し、現地で集団見合いをしてヨメを日本に連れてきました。わたしは村の勝手な都合で人身売買まがいに「ヨメ」にされたアジアの女たちと関わってきました。

NHKを含む多くのマスメディアでは、今も都会と農村、街道沿いの飲食店と田舎の老舗店舗や旅館では、まるで適用される法律が異なるかのような取材、報道がなされています。田舎の90歳の高齢女性であっても「村にトツイデ」などいない!ことは計算すればすぐにわかります。

以上、今もこの日本社会は「岡村の嫁探し」コーナーがフィクションとして成立するほどの「男女不平等社会」にはなっていないことをしっかり認識して頂き、イエ制度時代への回帰を誘導するようなタイトル、企画を中止することを求めます。

                                           2020年2月8日

   もうイエ制度はないんでない会 代表  川端 眞由美