
石坂洋次郎の思想の特徴を一言でいえばフェミニストというに尽きる。戦前の文学界を席巻した『若い人』、戦後一世を風靡した『青い山脈』、六〇年安保闘争に痛烈な疑義を呈した『あいつと私』、そして最後の『女そして男』にいたるまで、焦点となっているのはすべて女の生き方、それも主体的に生きる女のその主体性である。石坂の小説はすべて女が男を選ぶ話であって、逆はほとんどない。男は本質的に優柔不断、決断するのはつねに女なのだ。歴史を決めてきたのはじつは女たちだったと石坂は考えているのである。
だが、寡聞にして、石坂の著作がフェミニストのあいだで話題になったという話は聞いたことがない。なぜか。それがこのほど上梓した『石坂洋次郎の逆襲』の中心に潜む主題である。
石坂のこのような思想は東北出身だったから生まれたと私は思っている。母と妻の生き方を間近に見ていたということ。だが、それ以上に大きかったのは、大学時代、生まれたばかりの柳田国男、折口信夫の日本民俗学に接したからだと私は考えている。
大局的に見て、柳田、折口、そして渋沢敬三といった土壌があって、宮本常一が生まれ、さらにその歴史学版ともいうべき網野善彦が、あるいは歴史人口学の速水融が生まれたわけだが、石坂の登場の背景もまったく同じなのだ。『青い山脈』に雁行して発表されたシリーズ『石中先生行状記』は、津軽民俗学ともいうべき雰囲気を濃厚に漂わせている。石坂の作品にもっとも近いのは『日本残酷物語』以降に展開された宮本の著作なのだ。
にもかかわらず石坂がフェミニストのあいだでいっさい話題にされなかったのは、石坂が家庭の大半は女によって牛耳られているということを事実として主張していたからではないかと、私は疑っている。しかもそこに、生む性としての女への圧倒的な畏怖が潜んでいるのである。それではフェミニストとして戦う余地がなくなってしまうと感じさせるところが石坂にはあった。石坂はしかも、右であれ左であれ政治運動はほとんどすべて不可避的に家父長的な要素を持つと考えていたのである。
私は、石坂が提起している問題は、いま現にリーアン・アイスラーとシンシア・エラーのあいだで展開されている論争にそのまま重なると考えている。そしてこの論争は最終的に、人間は家族を必要とするかいなかという問題に帰着すると考えている。川上未映子が『夏物語』で提起している問題である。
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