それはあなたが望んだことですか: フェミニストカウンセリングの贈りもの

著者:河野 貴代美

三一書房( 2020-01-24 )

 畏友、河野貴代美さんの同名の新刊をご紹介したい。
 フェミニストカウンセリングが日本に誕生してから40年。
 本書は、そのあいだに起きた社会の変化と、女性の変化、さらにフェミニストカウンセリングの変化を見渡した射程の長さを持っている。といえば、堅苦しい論集のように聞こえるが、その実、フェミニストカウンセリングのリーダーである河野貴代美さんのもとで、各地の現場にいるフェミニストカウンセラーたちの共著で書かれた本書は、具体的な事例に満ちている。カウンセリングは現場があってこそ成り立つ作業、現場を離れては存在しえない。本書は、というよりもフェミニストカウンセリングは、現場の事例を通じてこそ、成立し、継続し、発展してきたことがよくわかる。その事例も、旧来の「家」におしつぶされそうな女性から、DVを受けた妻、実父から性虐待を受けた娘、婚外性関係を続ける既婚女性、老後に不安を感じる高齢女性など、おどろくほどの多様性がある。現代女性が抱える問題群が、ほとんど本書には網羅されていると言ってよいかもしれない。このなかの誰かに、読者は「わたし」を見つけるだろう。そして本書の著者らは、その誰をも裁断しようとしない。なぜならカウンセリングの目的は、指導することでも助言することでもなく、「自分で考え、自分で決める」ことだから。その意味で、本書のタイトルである「それはあなたが望んだことですか?」は、よく考え抜かれた問いかけのことばであろう。よい母、よい妻であろうとするとき、周囲の期待に無意識に応えようとするとき、自分を抑えて言いたいことものみこもうとするとき、…「それはあなたが望んだことですか?」という、本書の問いにくりかえし立ち戻るとよい。
 どんな時代を生きるどんな女性にも、さまざまな「問題」がある。フェミニストカウンセリングが他のさまざまな心理療法とちがうのは、「女性の心理問題を心理へのアプローチのみで解決しようとするいわば心理還元主義に陥ることなく、問題の社会的背景にまで視野を広げ、必要に応じてソーシャルワーク的な支援も考え」るところにある。具体的にどんな支援の例があるか、そこまで述べてほしかった。
 WANのユーザーには、第5章の「あなたはどうしたいの?---フェミニストの娘たち」が興味をそそるだろう。政治的に「意識高い」系の活動家の母、正しさとつねに共にある母、「あなたの好きにしていいのよ」と娘の自立を尊重する母…どの母も、娘にとってはうっとおしい。どんなメッセージも強者から弱者に向けられたとたん、抑圧になる。なら、どうしたらよかったのよ、と母の世代の女たちの怨嗟が聞こえてきそうだが、どうやら切り札は、母が幸福か不幸か、にあるらしい。幸福な母親が幸福な娘を育てる…子育ての要諦はここにあるだろうか。
 本書の最終章、第9章「やわらかいフェミニズム」には、リブから半世紀のフェミニズムの歴史を急ぎ足で振り返るなかで、『フェミニズムが後退を余儀なくされた理由」についてのいくつかの自己批判めいた分析が登場する。そのなかに「フェミニズムの学問化」が上げられていたが、担い手のひとりとしては、違和感がある。なら、学問化しなければよかったのか、と。フェミニズムが学術の世界のみならず、政治、社会、アート、文芸、大衆文化…すべての領域で同時に進行すればよかったのだろうが、そのあいだには時差がある。フェミニストのジェンダー研究が先鋭な研究領域を切り拓いたことは、評価されるべきことであれ、批判の対象となることではない。フェミニストカウンセリングの世界にも「痛みを伴う」資格化の動きがあったことに触れられている。だが歴史によるその判定はどうなったのか。まちがいだったのか、そうではなかったのか?…には触れられていない。ジェンダー研究は制度化への道を歩んできたが、それ以外の選択肢はない必然だった、というのがわたしの認識である。フェミニストカウンセリング40年の歴史は、いずれ当事者ではない世代によって、書かれることになるだろうか。
 最終章が「やわらかいフェミニズム」となっていることに、著者らの思いがこめられているだろう。「あなたはあなたのままでいい」が、踵を伐り、背を撓め、口を塞いできた女たちに向けた、フェミニストカウンセリングのメッセージなのだから。