「ケア」が見えない
政府の緊急事態宣言が発せられ、同時に108兆円の経済対策も発表されて、収入の減った世帯と事業者への支援も行われることになった。いったんは救済の対象に含まないとされた風俗業の方たちも含まれることになって、ひと安心。休業要請に伴い東京都は協力金を支払うことにしたが、国や他の自治体は支払わないのかということが目下のメディアの関心事だ。
しかし、とわたしは問いたい。感染症という病気の話をしてるのですよね? それなのになぜ「経済的損失」の補償の話、つまり「お金」の話ばかりしてるのですか?
病気に必要なのは「ケア」。誰もが医療崩壊を心配しているけれど、医療は英語で言えば「メディカル・ケア」。医師ばかりでなくナースなどの病院スタッフがさまざまな医療的および日常的ケアをしてくれるから、病人は生きていられる。
「メディカル・ケア」ばかりではない。それに切れ目なく連続してさまざまな種類のケアが広がっている。高齢者がホームヘルパーさんにしてもらっていることを思い浮かべてみたらいい。着替え、食事の補助、調理、買物、洗濯、掃除、外出の補助・・・介護保険では点数が低くなった家事も実質的には「ケア」だろう。それらの広い意味での「ケア」のおかげで、病人は生きている。「お金」だけあっても、動けない病人には、トイレットペーパーにもならない無価値な紙切れにすぎない。
パンデミックとなった感染の拡大は、ものすごい量の「ケアニーズ」を生み、それに応えるための「ケアワーク」の需要も膨れ上がっている。医療関係者の方々に襲い掛かっている重い負担はもちろん最大の問題だけれど、その周辺にも危険を冒しながら「ケア」を担っている膨大な数の人たちが存在する。そのことに政策担当者も報道関係者もほとんど目を向けていないのが問題だ。
「自宅療養」「自宅隔離」を支える家族のケアワーク
では膨れ上がった「ケア」を担っているのは誰だろうか? 病人の親しい人たち、多くは家族であり、しかも女性たちと考えて大きな間違いはないだろう。
緊急事態宣言「基本的対処方針案」には「軽症者は自宅療養」の文字があった。病院のベッドは重症者に譲るという方針はもっともであり、都道府県は軽症患者に病院以外の宿泊施設を準備しているが、その容量を超えたとき、陽性の方たちが自宅療養になる可能性も消えてはいない。そうなれば、素人の船員さんたちが陽性・陰性とりまぜた乗客のお世話をする役割を押し付けられ、自分たちも感染し、さらに感染を広げていったクルーズ船の惨事が、それぞれの家庭で繰り返されることになる可能性は高い。
それより多いのは、発熱しているのに病院に行けない人たち、PCR検査すらしてもらえずに(そもそもこれが大きな問題)、普通の風邪のように家族に世話されながら自宅待機しているケースだろう。PCR検査を断られて家族と共に右往左往している病人の姿は、森三中の黒沢さんとパートナーが世間に見せてくれたとおりだ。
さらに多くの方たちが、海外からの帰国後、あるいは「濃厚接触者」として2週間の「自宅隔離」を要請されている。家族と生活ゾーンを分けて、食事も別にしている様子は、これも森三中の村上さんがアップしてくれた。しかしこの映像を見て、うちではゾーニングはほとんど無理だな、と思った方も少なくないだろう。よほど広くて部屋数の多い家でもないかぎり、自宅が「クルーズ船」になるのを食い止めるのは容易ではない。クルーズ船に入った自衛隊員が(厚労省職員などと違い)感染しなかったことが話題になったが、「自宅療養」「自宅隔離」対象者の家族はみな自衛隊並みの装備とスキルを備えねばならないことになる。もちろんこれは不可能に近いので、毎日のように「濃厚接触者」が「新たな感染者」として発表されている。
不思議なのは、「自宅隔離」のケースで誰がどのようにして食料や日用品を調達しているのか、ほとんど話題にならないことだ。「自宅隔離」されている人の「濃厚接触者」である家族が、やむを得ず近所まで買い物に出るのだろうか。そもそも同居家族がいない独り住まいの人が、あるいは同居の大人がいないひとり親などが「自宅隔離」になったらどうしているのだろう。オンラインショッピングが発達した時代とはいえ、こっそり家を出ざるをえないこともあるのではないだろうか。

https://blog.naver.com/winhead/221887239856
「ケア」責任を社会的にシェアする政策
このように考えてみると独り住まいを含めた「自宅隔離」は不可能に近い。これが効力のない対策として問題視されないのは、家族が果たしている「ケアワーク」が見えていないことの裏返しだろう。家族がいて「ケアワーク」をしていることが見えていないから、家族がいなくて「ケア」を受けられない人がいることにも注意が向かない。
安部首相は緊急事態宣言を発表したとき、医療従事者はもちろん物流を支えるトラック運転手にも感謝を述べた。しかし、感染リスクを恐れながら病人や隔離中の人たちの「ケア」をしている家族のことは、頭をよぎりもしなかったようだ。家族が「ケア」をすることは水や空気と同じように当たり前ということだろうか。
しかし、世界にはここにしっかり目を届かせ、対策を打った政府もある。韓国では自宅隔離となった人たちに10万ウォン相当の生活用品が救援物資として提供されている。内容は自治体によって異なり、写真のような食料品と日用品、衛生キットのセットが提供されている。これがあれば自宅待機となった本人も家族も買い物に出なくてしばらくはしのげる。たとえばある方の場合は、お嬢さんが留学先の米国から帰国して2週間自宅隔離になった時、ソウル市の江南区役所から連絡が来て、物資が必要かどうか聞かれたそうだ。「ケア」責任を公的に果たすことが感染拡大防止になることを明確に意識した政策と言えよう(後掲「自宅隔離者に対する韓国政府の対応方針」参照)。
実は日本の感染症予防法にも同様の規定がある。「当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないことその他の当該感染症の感染の防止に必要な協力を求める」時、「都道府県知事は、・・・必要に応じ、食事の提供、日用品の支給その他日常生活を営むために必要なサービスの提供又は物品の支給に努めなければならない。」(感染症予防法第四十四条の三)。108兆円もの予算をつけておきながら、なぜこれをしないのだろう。感染症予防法には「当該食事の提供等を受けた者又はその保護者から、当該食事の提供等に要した実費を徴収することができる。」ともあるので、まかないきれないほどの出費にはならないはずだ。
大阪府では外出自粛とセットで、出前代行業者にポイント還元の補助をするという。
(https://www.yomiuri.co.jp/national/20200410-OYT1T50120/)。客足が遠のいた飲食店への支援も兼ね、いくらかの公的補助によりマーケットを活性化させることで福祉供給を促進する現代的な福祉政策と言える。これを全国規模で、かつ利用者目線で実施することはできないだろうか。必要があるときに行政の手を煩わせずに飲食店から料理や食料を割引で配達してもらえるクーポン券を配布したら、本人も家族も安心して「自宅療養」「自宅隔離」に専念することができる。この提案は一例に過ぎないが、行政ばかりでなく、マーケットすなわち民間業者にも元気に頑張ってもらうことで、「ケア」責任を社会的にシェアする政策が実現可能ではなかろうか。
「家にいる」のはタダじゃない
家族の担う「ケアワーク」の増大は、感染者やその可能性のある人たちのケースに留まらない。今は「ステイホーム」「家にいよう」が合言葉だ。「家にいるだけで世界は救える」と言われるとお気楽な印象をもつが、「家にいる」のはそんなに簡単なことだろうか?
そうこう書いていたら、白を基調とした上品なリビングのソファでペットをなで、紅茶を飲みながら、「皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。」とつぶやく安倍首相の投稿が飛び込んできた。首相の「家にいる」のイメージはまさしくこれなんだろうな。では紅茶を淹れたのは誰なの?リビングを完璧に掃除したのは誰?と思わずツッコミを入れたくなる。(きっと夫人でもないのだろうな)
では普通の市民の「家にいる」の実態はどうなのか、緊急調査をしてみた。対象は「自分もしくは同居家族が新型コロナの影響により、在宅勤務を経験した人」とし、鈴木七海さんと一緒に4月8日にウェブ調査を開始した。4月12日現在で330人の男女から回答をいただいている。詳細の分析はこれからだが、全体として家事の時間が増えたという回答が目立つ。特に食事を作る回数が増えたという。「旦那の昼食」が増えたとはっきり答える妻もいる。「ステイホーム」は多くの場合、家族が行う家事の総量を増やしている。いつもよりも家事に時間をかけられる、仕事の隙間時間に家事をできる、と肯定的な捉え方をしている人も少なくない一方、3倍増に感じる、と負担感を訴える例もある。家事の分担はというと、バランスよく分担している、在宅になった夫が一部の家事をしてくれるようになったという声もある一方、家事分担は一切しないうえ、在宅勤務中に掃除機の音を出すなと言われて大変など、両極がある。
在宅勤務そのものよりも影響が大きいのは、保育園や学童の休止、休校などにより、子どもが家にいることのようだ。「子どもの昼食」が増えたのはもちろんのこと、休校になった小学生の子どもの勉強を見てやらねばならない。子どもの世話に加えて家事と仕事をしているので、自分の仕事は夜中になるという女性の切実な声もある。夫婦とも在宅勤務でも、夫の仕事のペースに合わせるため、家事も育児も妻になってしまうのだという。子どもを保育園に預けられなくなったことで休業した女性もいる。子どもも含めた「ステイホーム」が、女性たちの負担を増やし、睡眠時間を奪い、ときには仕事まで奪っている実態が見えてきた。
「家にいる」のはタダじゃない。そのコストをの多くを支払っているのは女性たちだ。
危機をチャンスに
首相のほとんど一人の「決断」で全国一斉休校になったのは3月2日のことだった。緊急事態宣言以降は対象地域では学校は休校、保育所・学童保育・高齢者の介護施設などは休業要請するかしないか場合による、つまりボーダーという扱いを受けている。理容店を休業要請の対象とするかどうかでは国と東京都があれほど真剣に折衝したのに、教育、保育、介護関係の施設はあっさり閉めてしまうのはなぜだろう。子どもや高齢者の「ケア」は家族の役割、いざとなれば家族に戻したら問題ない、という先入観があるからとしか思えない。
しかし、家族は無限のケア負担を抱え込めるわけではない。そうでなくとも感染対策で衛生管理に手がかかっているところ、休校、休園、在宅勤務で家族の負担は大幅に増えている。そこに「自宅療養」や「自宅隔離」まで加わるかもしれない。今、家族に大きな負担がかかっていることに政策担当者や報道関係者はもっと注目してほしい。しかもその負担の大きな部分を引き受けて、身を削っているのは女性たちなのである。家族のストレスがDVにつながるケースもある。
ではどのような対策があり得るだろうか。
まず、「ケアワーク」を可視化し、できればなんらかの対価を得られるようにすること、少なくともそれを担うことによって不利益を被ることがないようにすることである。「自宅療養」や「自宅隔離」の人が出たとき、本人およびそのケアをする人の雇用と所得の保障が必要だ。韓国では本人が有給休暇をとれないときは政府に生活支援費を申請できるとしている。これを日本でも導入し、さらにケアをする人も同じ扱いにするべきだ。それから非常に気になるのが、30万円の給付を得られる「所得が一定程度減少した世帯」とは「主たる家計支持者」の収入減少のみにより判断するという手続きの簡便化が打ち出されたことだ。先ほどの例のように、子どもを保育園に預けられなくなり妻が休業したような場合、そのための所得減少はカウントされない。ケア負担が増えたために妻が被った所得減少はまったく補償されないが仕組みだ。著しい不公正を生むので再検討を求めたい。
また、学校・保育所・学童保育・高齢者の介護施設などを安易に閉めるのではなく、これらの社会的機能―ケアの社会化など―をできるだけ維持しつつ感染リスクを下げる解決をめざすことも重要だ。イギリスのある小学校教師は、学校が休校になったにも拘わらず、貧困家庭など社会的に不利な条件を抱えた世帯の子どもたちに給食を届けているという。日本では給食業者が食材を抱えて困っていたが、給食を弁当にして供給を続け、希望する生徒や家族に配布することもできるのではないだろうか。給食業者への減収補償を支払うより、はるかに有益な解決だ。また高齢者のデイサービスを訪問介護に変えた事業者があるとニュースで見た。これも感染リスクを下げつつ機能は維持するグッドプラクティスと言えよう。こうした試みへの公的支援を行い、社会的ケアの供給を止めないようにしてほしい。
働き方や家族の中での役割分担の見直しもこれを機に進めたい。在宅勤務経験者の中には、「家族と過ごす時間が増えたのでたくさんコミュニケーションをとれるようになった」「平日一緒に夕食をとれる」「家事育児負担が妻である自分に集中していることについて夫と話し合えた」など、ワークライフバランスや役割分担の改善につながったというポジティブな意見も多い。街中でも平日の昼間に子どもを遊ばせているお父さんを見かけるようになった。
政府は「経済」を維持することばかりを気にしているが、わたしたちにとって必要なのは「生活」を維持することだ。「経済」は「生活」の一部であって全部ではない。「生活」はお金だけでは成り立たない。「ケア」や家事のような日々の活動が「生活」を成り立たせている。「ケアワーク」を見えるようにすることで、「経済」ではなく「生活」を正面に据えた対策が主流となるよう、この危機を社会と家族を変えるチャンスにできるよう願っている。
*岡本朝也さん、山本かほりさん、ユン・ソダムさんのご教示に感謝する。
(付録)
自宅隔離者に対する韓国政府の対応方針
1. 感染が確認された人(確診者)の感染経路を緊急災難メッセージを通じて当該地域の居住者全体のスマートフォンに送信します。
2. メッセージや電話を通じて確診者と経路が重なる人々には自宅隔離の対象者になったことを知らせます。
3.メッセージで隔離通知書を受け取ると、自治体で自宅隔離対象者を担当する公務員を指定します。
4.担当公務員は、自宅隔離の案内書、手消毒剤、廃棄物専用ゴミ袋を渡します。 (非接触方式で自宅隔離者の自宅のドアの前に配達。)
5.有給休暇費の支援を受けられない人は政府に生活支援費を申請することができます。
6. 案内書と一緒に来た自宅隔離アプリの説明書を見ながらアプリを起動して関連機関に1日2回自分の健康状態を報告します。隔離場所を離脱した時は自動的に担当公務員に知らせます。 (自宅隔離事項に違反した自国民に対しては、自治体の刑事告発が行われ、外国人の場合は強制追放が執行されます。現在、規則に違反した中国人・英国人留学生の強制追放が行われる予定です)
7. 自宅隔離中に自治体から救援物品が提供されます。ただし、自治体別に内容は異なります。(内容は基本的に食料品と日用品、そして衛生キットで構成されています。救援物品はお米・ラーメン・レトルト食品・缶詰など一人当たり10万ウォン相当の生活用品となっています。)
8. 中央災難安全対策本部は、自宅隔離者と一般人のための心理相談を実施しています。
9. 一人で暮らさなければならない自宅隔離対象者のために、民間企業と連携して1ヶ月間映像コンテンツを無料で提供しています。
10. 自宅隔離が解除された後、症状がなければ廃棄物袋に消毒剤をかけた後、ごみ袋に入れて排出します。
11. 排出する前に、自治体の担当部署に電話して収集を要請します。
(韓国保険福祉部コロナウイルス感染症‐19中央災難安全対策本部報道資料)
(日本語訳:ユン・ソダム)
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