ネットの高校、N高の入学式が5月7日開催。
そこで来賓祝辞を上野が述べました。以下主催者の許可を得て全文を掲載します。
N高は新設以来5年め、今年の新入生は5565名になります。
以下のニコ動36分目くらいから約5分間です。
https://live2.nicovideo.jp/watch/lv325471165


***************
祝辞

N高へのご進学、おめでとう。
コロナの春の入学式は、あなたがたにとっても忘れられないものになるでしょう。その影響で卒業式や入学式を控える学校が増え、授業もネットで配信する大学が登場しました。コロナはIT化を加速していますが、N高はもともとネットの高校なので、入学式もヴァーチュアルです。急にあわてて対応しなくてすむほど、先進的な学校です。

たぶん、皆さんは進学を考えるまで、N高って学校を知らなかったでしょう。N高って名前からしてあやしいです(笑)。ネットの高校、ニュースタイルの高校、何かよくわからない高校です。「どこに行ってるの?」と聞かれて「N高」って答えても、たぶん多くの人にはわからないでしょう。

みなさんのなかには、N高を積極的に選んだひともいるでしょう。ほかに選択肢がなくて、消去法で選んだひともいるでしょう。どちらの場合でも、在学しているあいだに、あなたたちがN高に進学したことを、誇りに思うようになってほしいと思います。そして将来、堂々と、「N高出身です」と答えてほしいと思います。N高がそんなあなたの期待に応える学校であってほしいと、心から願っています。

N高は必要から生まれました。みなさんはふつうの高校へ行かない、行けない、行きたくない選択をした人たちです。みなさんは、学校からはみだした、いわば規格はずれの人たちです。N高は、そんな規格外のみなさんを受け入れる、規格はずれの学校です。

学校と軍隊というところは、近代化と共に成立し、規格品の国民をつくりあげる装置でした。日本では徴兵制とそれにもとづく軍隊はなくなったのに、学校は今でも昔のまま。「右向け右」というのは、もとは軍事教練から生まれた身体規律でした。同調圧力の強さから生まれるいじめも、軍隊文化と共通しています。その学校文化が、時代の変化に取り残されてギャップが大きくなっています。そんな学校に適応できなかったり、そこからはみだす人が多いのも、無理はありません。

私は東京大学で教えていました。どんな教育機関にも、どんな人材を育てたいかという理念があります。N高と東大は対極にあるように見えますが、東大もN高も、こんなオトナになってほしい、という目標に大きな違いはありません。これからの日本と世界に必要な人材は、何がおきるかわからない未来に、立ち向かえるひとたちです。答えのない問いに取り組めるひと、誰も考えたことのない未来を構想できるひとたちです。なぜなら世界はいま、どの時代よりも予測不可能になっているからです。もしかしたら、それには、規格はずれの人たちの方が向いているかもしれません。
教育はそのための武器を、あなた方に持ってもらうためにあります。N高には、そのための装置やツールがたくさん用意されています。N高は大学に似ています。自分から学びを求めるひとたちにだけ、N高の装置やツールは役に立つでしょう。
教育はあなたを生かすためにあります。もし教育があなたの役に立たず、あなたを生かすよりも殺す方に働くなら、そんなものは捨ててもよいのです。

学校のきまりになじめないあなた、周囲に同調することに苦痛を感じるあなた、こだわりの強いあなたは、自分の心とからだに正直で、ごまかしのきかない人たちです。十代はさなぎが殻から脱皮するような、苦しい時期です。そしてそのための試行錯誤が許される時期でもあります。どうぞ、自分の心とからだの声に耳をすませてください。そして目の前にいる他人の心とからだの声にも、耳をすませてください。感受性を研ぎ澄ませ、自分がやりたいこと、やりたくないこと、好きなこと、キライなこと、うれしいこと、うれしくないことを見分けてください。そこからきっと新しい知恵が生まれるでしょう。

みなさんにひとつだけお願いがあります。N高はネット上のヴァーチュアルな学校です。ヴァーチュアルな空間にもコミュニティがあります。ですが、ヴァーチュアルな他人ではなく、ぜひ生身の他人と接点を持ってください。コロナの災厄は永遠には続きません。ひとはひとのあいだでだけ、育ちます。そして他人ほど予測不可能なものはありません。じぶんという未知、他人という未知、そして世界という未知に向かって、足を踏み出してください。世界はあなたが考えているよりも、もっとずっと広いです。そして世界はあなたが考えている以上に、あなたを歓迎してくれるはずです。今という時間を、将来の手段にせず、今のあなたを充実して生きてください。将来あなたがどこで何をしているにせよ、あのかけがえのない時間があったからこそ、今のわたしがあるのだ、と振り返ることができるように。
大丈夫、あなたにはきっとできます。

世の中には、このひとがいてくれるから、もう少し生きてみようか、と思える、有名無名の人たちがいます。そんな人のひとり、中村哲さんが昨年亡くなりました。アフガニスタンで井戸掘りを続けた医師です。その中村さんが澤地久枝さんとの共著で、最後に遺してくれたコトバがあります。それを紹介して、わたしの話を終わりたいと思います。
「人は愛するに足り、真心は信じるに足る」

中村さんは、自分が尽くしたアフガニスタンの人に殺されました。たとえ死んだ後でも、中村さんはきっと同じことを言うでしょう。

「人は愛するに足り、真心は信じるに足る」

ようこそN高へ。おめでとう。