世界の新型コロナウイルスの感染者が遂に1000万人を超え、死者も50万人に及ぶとニュースは伝えています。1日に1万人を超える感染者が出る地域もあって、なかなか感染拡大に歯止めがかかりません。日本も少し減り始めてやれやれと思ったのも束の間、また東京は連日50人を超える感染者が出ています。

 こんな中で、1年後にオリンピック・パラリンピック(以下では両者を合わせて「オリンピック」と呼ぶことにします)を開くのはとても無理ではないでしょうか。都知事は規模を縮小して行うと断言していますが、どのくらい縮小すれば実行可能と考えているのでしょうか。

 そもそも、政府や東京都が初期のコロナ対策に失敗したのは、この夏のオリンピック開催に支障をきたすのを恐れて有効な手をうってこなかったからです。コロナ感染者の出た国との通行を遮断などすればオリンピック開催が不可能になると内外に知らせることになるから、それはできませんでした。なんとかして「オリンピック中止」は避けたい、安倍さんと小池さんにはそれしか頭になかったのです。でも感染者が国内にも増えてきてさすがにそうはいっていられなくなって、延期を決めたその翌日から、都知事はにわかに「オーバーシュート」だの「ロックダウン」だの恐ろしいことばを使って危機感をあおり始めました。まさに手のひらを返した所作でした。

 こうした経緯はまだ記憶に新しいところです。だから、このまま来年のオリンピック開催を推進していくと、どうなるでしょうか。もう予測がつきます。コロナ対策よりオリンピック開催準備の方にお金も力も知恵も傾いていくでしょう。オリンピックを何としてでも開くためとして、まだ進行中のコロナ感染対策はまたもや2番手3番手においやられてしまうでしょう。自粛要請で人が動かなくなり、多くの仕事が失われ、その結果苦境に陥った多くの人々への救済支援策がおろそかになってしまいます。アルバイトができなくなり、学業が続けられなくなるかもしれない大学生、派遣の仕事がなくなり、収入が途絶えて食事を減らして子供と耐えているシングルマザー、特別給付金も手に入らないホームレスの人々への救済の手も届かなくなります。3月の一斉休校から3か月も学びの場を奪われた子どもたちへの、さまざまな補いもオリンピックより大事なことです。

 今はオリンピックよりも大事なことが山積しています。客足が途絶えて店を閉めざるを得なくなり、遂に自殺した店主も出ています。悲しいことです。これ以上自殺者を出してはいけません。多くの老舗が町の人から惜しまれながら閉店を余儀なくされています。長い歴史をもつ伝統の味が消えるのは文化的喪失です。そうした目に見える損害だけではありません。子どもが普通に遊べるようにするために、人々が普通の生活を取り戻すために、為政者が行うことは本当に山ほどあります。これらはみな、何日間かのスポーツのお祭りよりもっともっと大切なことです。

 もうひとつ、来年夏のオリンピックが無理だと思うことは、およそ200か国の海外からの選手が全部来日できるか、という問題です。(前回のリオデジャネイロ大会の参加国は207か国、参加選手数は約11200人だったそうです。http://honkawa2.sakura.ne.jp/3982.html)

 来年夏まで1年の間には、コロナウイルス感染も収束して、海外との往来も自由にできるようになっている国もあるでしょう。そういう国が多いことを心から願っています。でも、この1年間に200か国すべての国のコロナ感染が収束しているでしょうか。参加を予定している国々のすべてが、海外への渡航が自由になっているでしょうか。

 渡航の問題の前にもっと重要なことがあります。オリンピックに出場する選手たちを決めることです。200か国すべてで選手の選考会がそれまでに開けるのでしょうか。仮に選考会が開かれるとして、選手たちは選考会に出るための準備ができるのでしょうか。幸いにして早く収束した国と、ぎりぎりまで感染が続いた国とでは、選手の練習にも差が大きく出るでしょう。感染が続いていたとしても、お金のある国の選手は感染のない地域に移って練習できるかもしれませんが、貧しい国の選手はそれはできません。もちろん普段の選手強化でもお金の力の影響は避けられないでしょうが、それにコロナ感染がさらに輪をかけて差を広げる危険があります。それでも公平な競技ができるのでしょうか。公平であるべきスポーツの祭典に、コロナ感染によって特に不利益を被る国や選手がいてもいいのでしょうか。

 やはり、来年夏のオリンピックは無理なのではないでしょうか。