日本語の歴史をジェンダーの視点からみた場合、もっとも著しいのは文学作品以外の書きことばにおける男女差です。平安時代、日本語を表記する文字として平仮名と片仮名が生まれましたが、平仮名が日常生活における書記の必要から生まれ、男女ともに用いたのに対し、片仮名は主に寺院において経典等の漢文文献を学習する際、その訓読(よみ方)を書き記す必要から生まれた文字です。漢文訓読に携わるのは男性のみでしたから、女性はその漢文を訓読する世界とは直接関わることはなく、片仮名を用いることはありませんでした。。

 法律、行政文書等の公的文書、論説的文章は、すべて男性によって漢文体、漢字片仮名交じり文で書かれました。一方、女性は、このような文体上の制約から、結果として論説文、公的文書を書く機会を完全に奪われていました。この傾向は、基本的に鎌倉・室町時代を経て江戸時代末期に至るまで続きました。

 明治時代になると、女性の文章表現は全く自由になりました。まず、女性の考えの新しい表現形式として、投書文が現れました。『読売新聞』の募集に応じてかなりの数の女性が漢字平仮名の口語文体で「男女同権」など維新後の新しい概念や現象について、意見を述べています。

 明治18年『女学雑誌』が創刊され、多くの女性が本格的論説文を執筆しました。漢字平仮名交じり文で書かれていますが、文体としては基本的に男性の論説文と同様です。ただ、女性はステイタスの高い漢字片仮名交じり文を用いませんでした。本書では、『女学雑誌』の中から跡見花蹊、荻野吟子、中島俊子、佐々城豊寿、清水紫琴、若松賤子を取り上げました。中でも、清水紫琴はこの時代のもっとも優れた女性の論客と言えます。京都に生まれ、『東雲新聞』に「日本男子の品行を論ず」という四六〇〇字に及ぶ堂々たる論文を発表しました。これは日本の女性が書いた最初の本格的な長い論文です。その後上京して女学雑誌社に入社、主筆もつとめ、多くの論説等を発表しました。  

◆書誌データ
書名 :女性の言葉と近代
著者名:出雲朝子
出版社:花鳥社
刊行日:2019年10月15日
定価 :3850円(税込)