●編集者から編者へ
65歳で停年を迎えた時、これからは楽しい辞典を作ろうと思った。
在職中に作れなかった理由は、辞典作りにはひたすら手間と時間がかかり、その分を計上すると定価がつかなくなるからだ。しかし自分の手間と時間なら無料だ!
「編集作業については無報酬」を条件に会社に企画提案して、編集者兼編者になった。
まず、ルーペを片手に「猫」が詠まれた歌(俳句・短歌・川柳)を探して『猫の国語辞典』を編んだ。その過程で、図書館に眠っている貴重な歌を横断的に検索する手段がないと感じた。
次に、昭和の少女たち四十数名と一緒に書いた思い出を、辞典風にアレンジして『夢みる昭和語』を編んだ。みんなで、思い出を掘り起こす楽しさを知り、もっと昭和の抒情に浸りたくなった。今度は歌版で!
かくして一人でこつこつと俳句・短歌を漁り、打ち込み、分類し、見出しをつける作業を毎日繰り返す、4年間のお籠り生活となった(2020年10月5日の朝日新聞・ひと欄が、一人で「俳句・短歌」辞典をつくった人として紹介してくれた)
●6万の作品を、今までに類のない分類で!
この辞典の特色は6万の俳句・短歌を小見出し約1万2千、大見出し約800で分類したこと。
常々、初めに語彙ありき、ではなく、初めに表現ありき、と考えてきたので、既存の本の分類(季語や歌語による)ではなく、表現の美しさ・巧みさで分類し、普通の言葉で小見出しをつけた。
また、どんなに素晴らしい歌でも一つの作品だけでは表現の巧さは伝わりにくい、そう考えて詩情が共通する作品を一束(一つの小見出し)にくくることにした。
バリエーションのある作品を一緒に読むことで、ちょっとした差異(工夫)に自然と気づくことができると考えた。
歌は自分の感性を投影して読むものだから、感性の鋭い読者なら、読むたびに、きっと新鮮な気づきがあるだろう。
●表現のもとに平等。ハンセン病の人の歌が1割の意味
こうして、江戸も昭和も、俳句も短歌も一緒に並ぶ、歌の宴(うたげ)辞典となった。
とはいえ最初は迷いがあった。どんな歌をどう選ぶか、気持ちに見栄があり、心がぐらついた。
一方で、日常生活や女性の歌をもっと入れたいと思って探していた。そこで出逢ったのが『ハンセン病文学全集』(皓星社)だった。結果的に6千の歌をこの全集から借りることになった。辞典全体(6万)のなんと1割に当たる。
しかしこれはあくまでも結果であり、「元ハンセン病の人の作品」だから選んだのではない。
感性がいい、視線が新鮮で、純だ。忘れていた「昭和のいいもの」が残っていると感じた。日常生活への憧憬や家族愛、喜怒哀楽が濃く、荒縄でしっかり括るかのように大切に詠まれていた。
自らを励ます歌には人を励ます力がある。歌の持つ力を改めて感じ、迷いが吹っ切れた。
有名か無名かなんて関係ない。かつて自分は当事者本人の言葉にこそ力があると考えて単行本を編集したじゃないか(自称「いのちの言葉シリーズ」)。
70年近く生きてきた私の全感性をかけて、心に響いた歌を選び、その句がもっとも生きる場所(小見出し)に分類しよう。
かくして、時代の隔ても、有名・無名の隔てもなく、俳句も短歌も一緒に並ぶ「類のない辞典」となった。
江戸時代、芭蕉は市井の女たちや遊女と一緒に俳諧を楽しみ、記録にも残しているそうだから、これは俳諧の本来の精神でもある。
●女性の作品が2割?
「ところで女性の作品はどれくらい?」さり気無く、WANの満田康子さんに聞かれてはっとした。
できるだけ多く入れたつもりだが…。数えてみると約1万2千、全体6万のうち2割!
採集した作品は、著作権が切れたものがほとんどなので、今のように女性の俳人・歌人が多数活躍する時代のものではない。とはいえ、探す努力が足りなかったかもしれない……。
『「言葉」を手にした市井の女たち』や『江戸おんな歳時記』の著者である、別所真紀子さんに「女性の作品が2割」をどう思うか手紙で伺ったところ、いつもの達筆でさらさらと次のように慰めてくださった。
「西欧や中国と比較しても二割は多い方じゃないでしょうか。
短詩型だからこそ二割いけた、ということだと思います。
日本だけでなく諸外国も十九世紀末までは、文芸はほとんど宮廷周辺と大名旗本などの階級に占められていて、殊に女性は希少でした。
江戸期の俳諧のように、一般庶民の女性が自ら選したアンソロジイを出版するなんて、世界史のどこにもありません。
ほんとにこのことは世界に誇るべき現象と思ってシコシコ書いてきたわけでした。
俳諧という形式の中に、デモクラシイもフェミニズムもありました。」
◆書誌情報
書名 :てにをは俳句・短歌辞典
編者名:阿部正子
出版社:三省堂
刊行日:2020年8月27日
頁数 :1120頁
定価 :本体定価:3200円