わたしのフェミニストとしてのバックボーンにある問いは、〈女性に対する抑圧の元凶はなにか〉、という問いです。それは、第二波フェミニズムの興隆の中での葛藤に起源をもっています。その意味で、わたしがこの20年取り組んでいる問いとは、すでに上野千鶴子さんが『家父長制と資本制』のなかで、問いかけた問いから一歩も前に進んでいないのかもしれません。

とはいえ、もし、わたしが今も抱える問いをめぐって、この30年間、解決に向けて一歩も前進できていないどころか、問いの重みが増し足踏みしている状態だとしたら、それは、現在の日本社会に生きる女性たちが抱える問題が、さらに深刻化しているからともいえないでしょうか。

2020年2月以降迷走し、いまなおおそらく迷走している日本でのコロナ対策のなかで、この国の総理大臣の唯一といってよい決断が、科学的根拠も法的根拠ものないままに突然公表された、小中高の全国一斉休講の要請でした。そのことを振り返ってみても、この国の政治を動かす者/ 権力者たちは、〈ケアするのは誰か? Who Cares?〉という問いかけとともに、社会を考えようとしていないことが、白日の下にさらされました。それどころか、〈自分が知ったことではない Who Cares?〉と、子育て・教育・介護・看護といったケア・ワークは、誰かがしてくれているのだと、固く信じて疑わない人たちが、日本の社会のケア配分とその価値づけを牛耳っているのです。


本書は、すでに多くの研究がなされているケア・ワーク論やケア実践をめぐる現状分析とは異なり、民主主義のあるべき姿から、ケア実践がおかれている政治状況を批判的に見直すために、ケアの倫理の入門書にあたるものを、日本でもぜひ紹介したいという強い思いから生まれました。第一章ではそのため、現在欧米でケアの倫理ネットワーク形成を先導してきたジョアン・トロントさんが、合衆国でブラウン民主主義賞を受賞したさいの講演録を翻訳しました。トロントさんが専門とするフェミニズム理論・政治思想に言及されている箇所には、フェミニズム思想への導入という意味を込めて、詳しく訳注をつけました。訳注を通じて、ケアの倫理をより深く知るために、どのような文献を読んだらよいのかのヒントも得られると思います。まだまだ日本では、フェミニズム理論や思想の基本書といってよい著作の翻訳はすすんでいません。トロントさんという民主主義論者としてもフェミニズム理論家としても学ぶことが多いだけでなく、わたしたちに力を当ててくれるはずの彼女の著作は、ですから、日本ではほとんど読まれていないのが現状です。

第二章では、はじめてトロントさんの議論に触れる方々のために、トロントさんが80年代から取り組んできたケアの倫理との格闘の姿と、ケアと政治といったいっけんすると最もほど遠く感じる二つのテーマが、なぜ出会うようになったのかを理解してもらえるよう、トロントさんのこれまでの思索をたどりました。そして、なにより政治こそが、ケアと政治を切り離すことによって、ケアを担うひとたちを搾取・抑圧してきたことを明らかにしようと試みました。最終章は、日本社会がコロナ対策で明らかにした、〈自分が知ったことではない Who Cares?〉といった態度や考え方を改めることを、わたしたち一人ひとりが実践していくことが、新しい民主主義の形へとつながっていることを、トロントが提唱する「フェミニスト的なケアの民主的な倫理」を分節化することで論じています。

本書は学術書というよりも、いまわたしたちの社会を見つめ直さないといけないと感じている人たちが語り合うきっかけになってほしいと願いつつ執筆しました。わたしは、フェミニズムも民主主義も、わたしたちが生きる--いや、生き延びる――必要な知の一つだと考えてきました。多くの方に是非とも本書を手に取っていただき、ケア実践をめぐる対話を始めていただければ幸いです。

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