編集長、東鄕禮子さんのふんばりで18年続いているオピニオン誌『arc』。
その最新号24号の編集長巻頭インタビュー「本音のトークをしよう」に上野が登場しています。
同じ号に以下の長文の書評が掲載。版元の許可を得て、WANに転載いたします。
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これは切れば血の出る本である。すべての記述が著者の体験に裏打ちされた言葉で書かれている。体験と書いたがそれは思考の体験も含む。戦後初頭の日本という国に生まれ、その国家と歩みを共にしてきた一人の女性がその全身で感じ、考えた真摯すぎる論考である。だからと言ってフェミニズム、あるいはジンェンダーという概念のロジックとイデオロギーだけを語っているものでもない。一研究者が晒されてきた日本という国家の矛盾と未熟さが、その無念の思いと共に著者のペンの先から迸る。そしてなによりもこの時代の空気のなかを駆け抜けた女たちの生存に共感しようとする、あるいは読み解こうとするその姿勢。上野は、ときにアメリカに、ときに日本全国に彼女たちを訪ねる。この女たちの異種混合というべき語らいの空気感が本自体から滲み出て筆者の胸を打つ。
最初、<おんな>たちは詩人として出発する。発光する言葉を掬い取り、それからより巧緻な言説の森に入っていった。この言説の切っ先は一直線に筆者の心を貫いた。余分なものをそぎ落としたすっきりとした論考に心が洗われ、知的な刺激とともに真正面から著者に対峙しているという感覚を呼び起こす。思想とか哲学の本はこうあるべきだし、そうでないものは偽書であろう。
もしこの日本という未だに家父長制が根づいている社会で<おんな>たちの真の連帯が可能ならば、そこにあるのはこのような直線的な知の融合を伴った親愛感であろうとも思う。
心の内に闘いの痕跡があるとき、そこに紡がれる言葉こそが内実を伴って読む者に迫ってくる。観念とも思弁とも違う。ロジカルな言葉ではない。読みこめば血の出る言葉、そのような言葉によってしか<おんな>の思想は語れない。
この石牟礼という作家に対する適確すぎる想像力を培ってきた上野自身の闘争の体験に否応もなく共振してしまう。<この本は、おんなについて、書いたものではない。だがまぎれもなく、おんなによって書かれたものだ。おんなでなければ書かれなかったものだ。おんなの思想的達成……>石牟礼を本書に入れるべきかどうか迷ったとき上野はそのように考える。
そして、最後にこう記す。<思想とは、ことばが築き上げた陣地である。そして女の思想とは、女が紡いだことばでなくて、なんであろうか。>
田中美津は「便所からの解放」というチラシを作り、「女だけのデモ」を実行した。1970年10月21日国際反戦デーの日でもあった。上野はこの日を、ウーマン・リブの誕生日だと記す。
さらに、<まだフェミニズムがなかった頃……森崎和江の文章は、出口のない暗渠でもがいていた女たちにとっては、天上から降りてきた蜘蛛の糸だった。>これ以上の著者に対する讃歌があるだろうか。『第三の性―はるかなるエロス』(三一書房、1965年、河出文庫、1992年、単行本復刊、河出書房、2017年)の著者である森崎。その章の最後に上野はこう記す。
<「まだ生まれない者たち」へ、わたしたちはどんなことばを贈ればよいのだろう。気がつけば「一代主義」の瓦礫の山に、呆然とたたずみながら。>
そして、まだ私たちは瓦礫のなかで何が本物なのかを見つけられずにいるのではないのか。
そして石牟礼道子『苦海浄土―わが水俣病』。これを上野はノンフィクションではないと言い切る。個人編集『世界文学全集』のなかに、たったひとつ日本語の作品として『苦海浄土―わが水俣病』を選んだ池澤夏樹の見識に共感する。
上野は書く、<それがなければこの世から消えてしまったかもしれないひとつの念を、石に刻むようにして彫りつけたもの。わたしたちあとから来るうかつな者たちが、それを忘れないように。けっして忘れさせないように。石牟礼がひとり機織り小屋にこもって、みずからの羽根をかきむしりながら、人界を超えた形相で、懸命にことのはの織物を織り上げるすがたが、わたしには目に浮かぶ。>
この石牟礼という作家に対する適確すぎる想像力を培ってきた上野自身の闘争の体験に否応もなく共振してしまう。<この本は、おんなについて、書いたものではない。だがまぎれもなく、おんなによって書かれたものだ。おんなでなければ書かれなかったものだ。おんなの思想的達成……>石牟礼を本書に入れるべきかどうか迷ったとき上野はそのように考える。
そして、最後にこう記す。<思想とは、ことばが築き上げた陣地である。そして女の思想とは、女が紡いだことばでなくて、なんであろうか。>
田中美津に戻ろう。田中美津は「ウーマン・リブは、十月十日、新左翼の胎内から月満ちて生まれた鬼子だ」と書く、まさに男たちが「革命運動」に血道を上げたロジックの裏で、ロジックではなく、自身が置かれた現実そのものから差別され、抑圧されていた女たちがいた。彼女たちは野心から立ち上がったのではない。あまりの理不尽さに耐えかねて立ち上がったのだ。だから切実さの度合いが男たちとは違っていた。現に男たちの「革命」はあえなく挫折し、陣頭を飾った男たちは、自分たちが〝敵“とよんでいた社会の中枢に散っていく。そんな男たちの野心と偏見に気づき、あるいはしたたかに裏切られた女たちのなかに、上野も田中もいた。
痛みのなかでしか読み取れない言葉がある。虚空に吹き上げる霧のような、塵のような言葉とは違う。自己宣伝のために大言壮語し、対極に位置取りをして謙虚らしく、率直らしい物言いをして、体制に媚びる卑しいエセ学者どもの言葉、もうそんな言葉は聞き飽きた。何も生まないばかりか、事態をさらに混乱させ終末の気分へと人を誘う言葉。そんなものだらけの昨今、このような覚悟が籠った上野の言葉に救われる。
そして富岡多恵子。上野は富岡の『藤の衣に麻の衾(ふすま)』から次の文を取り上げる。「女はオトナになって、「他にすることがないから」子供を生む……」
<社会学者はミもフタもないリアリストだが、このひとはそれ以上にミもフタもないニヒリストである。「ミもフタもない」とは、「それを言っちゃあ、おしめえよ」という究極の真理を指す。>まさに上野千鶴子の真骨頂だ。
若き詩人富岡多恵子の周辺に、詩人・翻訳家白石かずこがいた。上野が愛する画家・彫刻家ニキ・ド・サンファルを初めて日本に紹介したのは白石だった。そこには、男女問わず、ある意味独善的ともいえる知性を持った人々が蝟集していた。独善的と書いたが「他を慮らぬことを良」とする連中であった。
「家父長制」で近代の歴史を紡いできた日本社会。そのなかで、己に被せられた衣を脱ぐことができた女たちは「詩人」という職業を選択した時点で、「まやかし」を脱却していた。現在は富岡や白石が活躍していた時代より、さらに問題の根が深くなり、いまを生きる女たちを、追い詰め、縛ろうとする。それを脱却するには学ぶことだけではなく「覚悟」が必要なのだ。上野が取り上げた女たちが、はからずも「詩人」として出発したことは当然ともいえる。
水田宗子(のりこ)の章にこうあった。<批評とは迂遠な自己表現の回路である。詩人として出発した水田が、研究者となり、論文と批評を書き、そしてまた詩人に回帰する。>表向きは絢爛たる経歴の持ち主である水田も、単に女であるだけで苦渋をなめてきた一人であった。アメリカの女性詩人シルヴイア・プラスの研究者として出発した水田は、ガス・オーヴンに頭をつっこんで自殺した詩人プラスの狂気すれすれまでの苦悩を共有していた。だからこそ上野は言う、ここに取り上げられ女たちのどのひとつの本も文も涙なしには読めなかったと。
そして、ミッシェル・フーコー、エドワード・サイードという男の思想家たちの主張を読み解こうとするときの迸る情熱と静かな知の切っ先である。思わず「そうだ」と頷く。本来、知は男女を分かたない。分けるのは社会の制度であり、恥を知らず、無知を武器として生きる人間である。いまそんな人間たちがこの国と世界を席巻している。人々の軟弱さのうちに内包される無知と偏見に付け込み、この世の権力を掌中にしている者ども。そのような批判は上野の文の表にはない。だが、何度も傷を受けた強烈な批判精神が言葉に重みを与え肺腑に落ちてくる。
フーコーは、1976年に『性の歴史』第一巻「知への意志」を刊行した。
上野は日本語訳がでるのを待ちきれず、英語版翻訳が1978に出ると、むさぼるように読んだと書いている。フーコー自身がゲイであり、彼の『性の歴史』の出版によって、性が初めて学術研究の主題になった、それまでは性は下半身の問題と考えられていた。日本語版翻訳は、「性の歴史」というタイトルだが、上野はフーコーの著述に正確に添えば、それはセクシュアリティの問題であり、下半身ではなく「脳内」の問題だと捉える。しかし、未だそのように考える人は少ない。性は政治や社会のなかである種の囲いの中に仕舞われ、その秘儀性によって特権的地位を与えられる。つまり、踏み込む領域ではないということだ。こうして性そのものに大らかであった日本でも明治以降の近代国家樹立の過程のなかで、曖昧さを含んだまま放置される。
今日、性にまつわる犯罪が後を絶たないのも、性の問題の「脳内(セクシュアリティ)」に踏み込めない日本社会そのものが内包している大きな矛盾のひとつだろう。上野はフーコーの章の最後に記す。
<……日本にはついに「セクシュアリティの近代」は訪れなかったのかもしれない。>
そして、エドワード・W・サイード。『オリエンタリズム』は1986年平凡社から翻訳出版される。上野はサイードの『オリエンタルリズム』を読んだときの興奮は忘れがたいと書いている。そして、<フーコーが「セクシュアリティ」の概念をパラダイム転換したように、サイードも「オリエンタルリズム」の概念を一八〇度ひっくりかえす。>と記す。
サイードがこの問題を取り上げるまで、日本人も西洋人の東洋に向ける視線に同化していたのではあるまいか、上野はそう語る。
ひと一人のアイデンティティなんてそう簡単に形成されるものではない。多くは国という枠のなかで人種という枠のなかで、それ以外にも多種多様な枠のなかで、そして極め付けが「おとこ」「おんな」という枠の中での偏見と闘いながら、あるいは闘わず、それぞれの軍門に下って偏見に染まった人生を終えることになる。それでも人は人、多くの人は天寿を全うしたと安らかに死んでいくように見えるが、個々が闘わず積み残したものは「社会」に偏見として蓄積される。
サイードが長きにわたりコロンビア大学で教鞭をとっていた時期、上野も同じコロンビア大学で客員教授をしていた。しかし英文学を教えていたサイードとの出会いはなかった。
上野は「ジェンダー化されるオリエンタリズム」にこう記す。
サイードが、一九世紀イギリス帝国のエジプト総領事だったクローマー卿の次の文を引いた後だ。
東洋人(オリエンタルズ)(中略)は愚鈍で、「エネルギーと自発性に欠け」、「いやらしい追従」と陰謀と悪知恵(中略)にふけり、(中略)常習的な嘘つきで、「鈍感で疑り深く」、あらゆる点でアングロ・サクソン人種の明晰・率直・高貴さと対蹠的(たいしょてき)なのである。
<この文章を、ジェンダーに置き換えて読む誘惑に、わたしは打(う)ち克(か)つことができない。>この東洋人(オリエンタルズ)を女性と置き換えて上野は読んだ。まさに瞬時に反応せざるを得なかったのだ。
この後に、本書はイヴ・K・セジウィクの『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』に移る。ここでは上野自身が積年の謎が解けたおもいがする、と述べているように、セジウィクが喝破したホモソーシャル(男同士の絆homosocial)とホモフォビア(同性愛恐怖homopho-bia)とは、男を異性愛へとさし向ける制度であるという主張に共感する。そして、<異性愛とは、ジェンダー二元制のもとで男を女に、番わせる制度である>と言い切る。
さらに、ジョーン・w・スコット『ジェンダーと歴史学』のなかに、上野は書く、<だが、ジェンダーはたんなる「社会的・文化的性差」ではなく、それ以上のものである。この差異を通じて社会の権力関係が編成されているからである。>そして最後にこのように書く。<スコットを読むと、「ラディカルに(根源的)考える」とはどういうことか、が伝わってくる。>まさにそうだと思う。
この後に、二人の人物が取り上げられているが、そろそろ誌面も尽きる。
最後にこれは書いておこう。上野自身もここに取り上げた著者たちも、多分心が浮き沈みする夜が何度もあったに違いない。狂気と紙一重になりながら、この地上に自分という存在の根を探す困難な作業の積み重ねのなかで、人が本来備えているものが光だすのだと感じる。研究者でなくとも、自身と向き合う必要を感じたものは、多分この魂の工程というべき道をたどりながら、ひとつの谷とひとつの山を越えて行く。だから、私とあなたは、無縁ではないのだ。この途上で通い合った魂の邂逅こそが、幾多の無慚な歴史の扉を少しずつ開けて行く。そして分かたれた者たちをひとつにしていくのではなかろうか。
(出典:『arc』24号、October 2020/発行:レイライン)
◆書誌データ
書名 :<おんな>の思想――私たちは、あなたたちを忘れない
著者名:上野千鶴子
<単行本>
出版社:集英社インターナショナル
刊行日:2013年6月30日
定価 :1650円(税込)
<文庫版>
出版社:集英社文庫
刊行日:2016年6月30日
定価 :704円(税込)