とんでもない森喜朗発言で2月は揺れました。今までだったら、オリンピック・パラリンピック組織委員会も政府も、本人が謝罪し撤回したのだからもういいだろう、五輪の開会もあと5か月に迫っているし、余人をもって代えがたいからこのまま会長は続投させよう、ということになったでしょう。しかし、今回はさすがに違いました。若い女性たちが、あっという間に15万筆の署名を集めました。在日大使館や欧米のメディアが盛んに応援してくれました。そう、日本の女性と世界が許さなかったから、会長は辞任せざるを得ませんでした。そうです。今回は今までと違います。このまま女性の会長になったんだからもういいなどということではなく、どこにでもはびこっている、だれがみてもおかしい男性優位・女性蔑視の日本社会を変える好機と捉えて、追及を続けましょう。
このコラムでは、やはり、気になることばや言い回しを洗いざらい見ていきます。おかしいことはおかしいと言い続けます。
新会長が決まったそのあとで、竹下亘元自民党総務会長が、橋本新会長について「男みたいな性格で」と言った後で、報道各社に「正確には『男勝り』と言いたかった」と訂正を申しいれました。(朝日新聞2月19日)
では、「男勝り」ならいいのですか。
このことばは、しっかりした女性を言うときに使われることが多くて、ほめていることばのようです。竹下さんも、いい意味のことばと思うから言い直したかったのでしょう。本当に、そうでしょうか。
「男勝り」の意味は「男に勝るほどしっかりしている女性」です。これで女性をほめたことになりますか。勝るか勝らないかの基準が「男」で、その男は女に勝るという前提でできたことばですから、そう言われても、ちっともほめられたことにはなりません。富士山より高い山、東京ドームより広い場所、と言うのなら、高さや広さが決まっていますから、それを基準にしてそれより高いとか広いとか言うことはできます。しかし、人の場合は違います。男も女も、立派な人もダメな人もいる、強い人も弱い人もいる、明るい人も暗い人もいる、それぞれ個人の性格や能力の違いであって、男・女という性別から生まれる差異では全くないのです。
日本語辞典を見ておきましょう。この1月に出たばかりの辞書です。
おとこ-まさり【男勝り】女性が気性がつよく、男性に勝るほどしっかりしていること。また、そのような女性。「―の気性」▽男性の方が女性よりも気丈だという固定観念からいう語。(『明鏡国語辞典』第3版 大修館書店2021)
そうです。男性優位の固定観念が残っていることばです。だから、ほめたことにはならないのです。
竹下さんは最初「男みたい」と言って、後でちょっとまずいと気づいたのでしょう。気づいたのはよかった。「A子は男みたい」と言うと、A子のことをほめたようには聞こえませんから。でも、「男勝り」と言い直しても、結局OKにはならないのです。言い直したからもう大丈夫と思っている竹下さん、そこがだめなのです。言い直してもちっともよくなっていないのです。男の方がえらいと思っている深層心理は変わっていない、肝心なところが変わっていないことに、まず気づいてください。
そうなのです。男は女より強い、男がリードして、女はおとなしくついていく、といったような、全く根拠のない偏見や思い違いが日本社会ではうじゃうじゃ存在しています。これをひとつひとつつぶしていくしか、ジェンダー平等社会は実現しないでしょう。
数日前の新聞で伊東四朗さんが言ってます。(公演を断ったけれど断り切れないで、結局5回も引き受けてしまったと言った後で)「このへんが男らしくないんですよ」と(朝日新聞2月25日)。
この「男らしい」がいちばんのくせものです。「女らしい」「男らしい」がジェンダー規範の根本にあります。断り切れずにずるずると引き受けるのは、どうして「男らしく」ないことですか。いや、その前に「男らしい」ってどういうことですか。できないことはできないときっぱり宣言して引き受けないことが、「男らしい」ことですか。
さんざん頼まれても、どうしても都合が合わなくて断る人は男女に関係なくいます。きっぱり断る女性を「A子は男らしく断った」と言いますか。きっぱり断る人は男も女もいるし、断れない人も男にも女にもいるのです。男は決断力がある、決断力があるのが「男らしい」などという思い違いは、この際捨てましょう。性格や行動を「男」「女」を基準に考えて「○○らしい/○○らしくない」で決めつけるのは、もうやめましょう。
小さい時から「女の子らしくしなさい」「女らしくしなさい」と言われて育った女性はたくさんいます。スカートよりもズボンが好きで元気よく走り回ると、「女らしくない」と言われました。少女時代から陰に陽にずっとこの「女らしさ」に縛られ続けてくると、成人しても、自分が思っていることをはっきり言う、リーダーになる、新しい分野を開く、といった積極的な方面に進むことは難しくなります。いえ、自分にそういう未来が開けていることにも気づかないことが多いのです。その女性が子どもを生んで、自分のような考え方の子どもを育ててしまう、そういう悪循環が続いてきました。
いま、その悪循環を断ち切る時です。「女らしさ」の呪縛や弊害に気づいた人が増えてきています。「女らしく」「わきまえ」を求めた森発言を許さない若い女性たちの声が、森さんを辞任に追いやりました。
このまま「わきまえない」で、おかしいことはおかしい、ダメなことはダメと言い続けましょう。
ジェンダーギャップ指数121位の汚名を、こんどこそ返上しましょう。
2021.03.01 Mon
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば
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