『熊本日日新聞』に書評欄を持っています。愛読していたよしながふみさん『大奥』全19巻完結!これまで書評欄にまんがをとりあげた例はないと言いますが、これは書かねばなりますまい。担当記者も同意してくれました。そもそも『大奥』を最初に目にしたのは、カリフォルニアの伊藤比呂美ちゃんちのテーブルの上、この欄の担当記者が『大奥』を知ったのも、熊本在住の伊藤さん経由だと言います。しろみちゃん(江戸っ子だから「ひ」が「し」になまります)を介した熊本つながり、ということもわかりました。
以下媒体の許可を得て転載します。
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よしながふみの男女逆転時代劇画、『大奥』全19巻が完結した。漫画をめったに読まないわたしが、このシリーズにはどっぷりはまり、毎回次はどんな展開になるのか、と楽しみにした。
この漫画はすでに連載中に手塚治虫文化賞のマンガ大賞や講談社漫画大賞を獲得して高い評価を受けているだけでなく、累計600万部という人気作品。TVドラマや映画にもなった。
想定は徳川の治世に男だけがかかる赤面疱瘡(天然痘のことか)が流行し、生き延びた男たちは少数派として珍重される一方で、男子の後嗣を失った将軍が女性職になる、というものである。
ここには身分制ががっちり組み込まれたもとでの、男女逆転というSF的な設定がある。将軍の役割のひとつは政治(まつりごと)であるだけでなく、性事、すなわち世継ぎを産むこと。したがって種付けのためにこの「大奥」には女将軍の歓心を買うためのよりすぐりの美男3千人が集められる。この「女人禁制の男の城」が「大奥」である。
将軍は女だった、となれば老中も女、代わって正室も側室も男、大奥総取り締まりも男。
名前も役割もそのままに、性別だけが入れ替わる。あっと驚くのは、漫画という視覚表現のつよみで、女は高島田に打ち掛けの女装、男は裃袴の男装、お鈴口をお成りになる女将軍を正装で拝跪して迎えるのはすべて裃姿の男たちである、というビジュアルに、度肝を抜かれる。異性愛は変わらず、床の上の男女のふるまいも同じ。だが「上様」の処女を奪う男は、「お内証の方」と呼ばれ、お手討ちの処分を受ける。
三代家光は実は女だった、から始まり、家光のもとに京から挨拶に訪れて還俗を強いられた高僧万里小路有功が側室お万の方になり、春日局を引き継いで大奥総取り締まりとして「男の園」を仕切る。それから2代を除いて徳川14代家茂までが女。この後、大政奉還から明治までどう着地するのだろう、と手に汗を握る思いだった。幕末に種痘が発明されて、徳川の治世を脅かしたパンデミックは終わる。幕末になって公武合体のために降嫁した和宮は、男のはずが女という番狂わせがおき、この和宮が勝海舟を助けて江戸を戦火から救う。最後の将軍徳川慶喜はすでに男に戻っている。その過程で将軍職にある孤独な女人と、囚われの身同然の大奥の男とのあいだに、せつない交情が描かれる。
明治になって開国してから…女が治める国は恥だと、歴史が改竄される。徳川の治世は抑圧的ではあったが戦乱のない平和な300年だった。それをもたらしたのは女の統治だったのに、女の歴史はなかったことにされるのだ。なるほど、こう来たか、と作者の企みに唸った。
この漫画には多くの人が注目していたらしく、東浩紀さんが『AERA』3月15日号に書いたエッセイでは「この物語に込められたメッセージは実に複雑である」とした上で、「単に男女を入れ替えれば差別が消え去るわけではない、というあたりまえの感覚を忘れないことである」と言う。男女入れ替えのSFには、女性優位や女尊男卑を揶揄するものもあるが、わたしの知る限り、フェミニストで「男女の項を入れ替える」ことを要求するひとはひとりもいない。今さら東さんに言われるまでもない。男女入れ替えの設定がわたしたちに見える化するのは、権力のジェンダー非対称性のグロテスクさである。項を入れ替えようが入れ替えまいが、この不正義で不公正なジェンダー秩序そのものを解消すべきなのだ。
(熊本日日新聞朝刊2021年3月28日付け大型書評欄「上野千鶴子が読む」掲載)
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