
今月はルイーズ ・ファランク(Louise Farrenc )をお送りします。1804年、パリに生まれ、1875年、同地で没。
父方デュモン家は、曽祖父の代から高名な彫刻家一家でした。父ジャック=エドム・デュモン(Jacques-Edme Dumont)は、芸術家にとって最高位のローマ大賞受賞によりイタリアのメディチ家で研鑽を積みました。フランス帰国後は引く手数多の人気彫刻家となり、一家はフランス政府が提供するソルボンヌ地区に居を構えていました。
芸術に理解のある両親の下、性差にこだわらない環境に育ち、弟も後年、名を馳せた彫刻家となります。ちなみに、ルイーズより1歳上のドイツのファニー・メンデルスゾーンは、由緒正しいエリート銀行一家に生まれ、父親は弟フェリックスだけに音楽家として期待をかけ、晴れて世界的な作曲家になります。同時に彼は姉の作品を密かに認め、自作として盗用もしました。
ルイーズの父の作品「Portrait of Gentlewoman」
ルイーズは、ピアニストだった母に幼くして手ほどきを受け、6歳でクレメンティの弟子だった先生につきました。この先生は早くにルイーズの才能を見抜き、テクニックも音楽性も仕込みました。その後、本格的なプロを目指し、当時の売れっ子ピアニスト/作曲家のモシェレスやフンメルにも薫陶を受けました。彼らの作品は現在も弾かれています。
ルイーズの上達は目を見張るものがあり、両親は作曲の勉強も希望する娘を応援しました。当時のパリ音楽院は男性のみに入学が許されていましたが、女子は作曲科に設置された和声の授業への出席は許されており、ルイーズはそこに通いながら、並行して個人の先生について学びました。
ちなみにベルリオーズ(1803〜1869)は、ほぼ同じ時代を生き、医学専攻から音楽へ鞍替えしたため回り道はしましたが、同じくパリ音楽院で学び有名作曲家となりました。

夫のアリステッド・ファランク
1821年、17歳で10歳年上のアリステッド・ファランク(Aristide Farrenc,1794--1865)と結婚します。マルセイユ出身のフルート奏者で、音楽全般に非常に造詣が深く、教師もしていました。妻のキャリアに対して理解があり、当時としては非常に稀な夫でした。加えて2人は共演も度々行いました。
夫は売れっ子ピアニストの妻のツアーに帯同するため、奏者としての活動を控え、私財を投じて楽譜出版業を始めます。ファランク出版と名付けられました。その後、夫は1841年に音楽学の研究に心
血を注ぎたいと出版業から手を引きますが、会社はその後40年、フランスを代表する出版社として存続し、ルイーズの作品の多くが出版されました。
ルイーズは、結婚当初から夫の出版社に尽力していましたが、しばらく途絶えていた作曲家の勉強も再開し、同時にピアニストとしてのキャリアも着実に築いていきました。子供が生まれる1826 年まで絶え間なく活動を続け、子育てが落ち着いたところで再開し、その後はますます盛んにコンサート活動をしました。フランスのみならず、イギリスやドイツ、ヨーロッパ各地をツアーをするほどの実力派でした。
1842年、38歳でパリ音楽院のピアノ科教授として迎えられ、その後30年間教鞭をとりました。通常はアシスタント待遇でスタートするところを、彼女は始めから教授の地位を与えられました。ただし当時の音楽院は、女性教師は女生徒のみを教えるシステムでしたが、彼女の数々の弟子は首席(Premier Prix )を取り、卒業後はプロの演奏家として活躍しました。パリ音楽院が性別を分けずに指導をするに至ったのは、1915年、G.フォーレが学院長の代からでした。ちなみに娘・ヴィクトリーヌは、母ルイーズにパリ音楽院で師事し、才能も卓越しておりピアニストとして活躍しましたが、病のため33歳で夭逝しました。
ルイーズの作品にある「練習曲」の数々は、弟子たちの上達のために作曲しました。その中で作品26は、パリ音楽院委嘱です。指の訓練と同時に音楽性も学べる作品は、ピアニストの彼女だからこその配慮が行き届いた偉業です。下記の References にあげたIMSLPの楽譜サイトで、作品26も含めて4つの作品番号の練習曲がご覧になれます。チェルニーの練習曲集に例えるなら、チェルニー50番と同レベルでしょうか(作品41)。テンポ表示通りの速さで弾くのは易しくないものの、現在の名門音楽院に通う生徒さんには負担のない作品かと思います。
1840年頃まではピアノ曲や歌曲など小品を残し、その後は大きな編成の室内楽やオーケストラ作品を書き、また晩年はピアノ作品のみ、生涯で50以上の作品を残しました。室内楽では、5重奏曲、6重奏、果ては9重奏曲( Nonet )と言う、あまり聞かれることのない編成も書き、3曲の序曲、3つの交響曲もありました。9重奏曲は、2つのアマチュアオーケストラの動画が残されています。今後は、さらに良質な演奏を期待したいところです。交響曲も近年では高い評価を受けており、秀逸な作品が動画でお聞きになれます。
加えて、音楽院の教授職は、始めは男性教授たちの給料と倍の差がありました。演奏から得る収入、作品のコミッション、そして夫との共同経営の楽譜出版社の収入と、生活するには十分な額を得ていましたが、それでも音楽院と10年にわたる交渉の果てに、男性教授たちと同等の給料の権利を勝ち取りました。この時代に、当然の権利として主張すべきは主張する意識を持っていた女性
は、決して多くはなかったことと思います。


「ピアニストの宝庫」の表紙。夫婦の名前が見える。
1861年より夫との共同作業で、「ピアニストの宝庫〜Le Trésor des Pianistes」を出版しました。全23巻にわたる様々な作曲家の作品を網羅したコレクションには、古典のクープラン、バッハ、ラモーからモーツアルト、ベートーヴェン、ハイドン、メンデルスゾーン、ショパンと、様々な作品が入っています。音楽学に造詣が深かった夫が着手し、古典派の手書きの楽譜から当時の現存する作曲家まで、あらゆる作品を収集する作業は膨大な労力だったことと想像に難くありません。ルイーズと夫、どちらのIMSLP楽譜サイトも、全コレクションをご覧になれます。上部右の「As Editor」欄、アルファベットTの項目「Trésor des Pianistes」です。
65年に夫を亡くした後は、ルイーズが72年に最終巻まで完成させました。1861年と1869年には、長年の業績に対してシャルティエ賞を受賞しました。受賞者リストを見ますと、2度の受賞者は彼女ともう1人の男性のみ。当時の活躍と認知度の高さが窺えます。
フランス音楽は、一般的に1850年以降、フランスの芸術全般に隆盛した「印象派」に焦点が当たり、音楽性は色彩感の豊かさや軽やかさで、他国と一線を画しました。サンサーンス、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルなどが代表的な作曲家であり、その次世代に六人組、先のエッセイで取り上げたG.タイユフェール(1892--1983)がいます。彼女ですら男性作曲家ほどの認知度のない中、ルイーズはドイツロマン派やウイーン古典派を踏襲した作品だったことも、当時の社会情勢とともに片隅に追いやられた理由だったのかと考えるところです。それでも、1980年代以降は少しずつ認知が広がり、再び演奏されるようになりました。
References
Musik und Gender im Internet,
https://mugi.hfmt-hamburg.de/artikel/Louise_Farrenc.html#Werkverzeichnis
CD解説書 https://www.naxos.com/person/Louise_Farrenc/58351.htm
Comite d'histoire http://comitehistoire.bnf.fr/dictionnaire-fonds/farrenc
Rediscovering Louise Farrenc, Saskatoon Symphony Orchestra
https://saskatoonsymphony.org/rediscovering-louise-farrenc/
BBC Radio 3, Composer of the week : Louise Farrenc.
IMSLP Louise Farrenc ピアニストの宝庫
https://imslp.org/wiki/Category:Farrenc,_Louise
この度の演奏は、Valse Brillante op.48 -- ワルツ・ブリランテより、一部カットの短縮版をお聞きいただきます。住まいであるハンガリーのコロナ状況が好転しないため、この度は自宅録音を選びました。調律もままならず、お耳汚しな録音となりました。状況が好転した際は、改めての録音を予定しております。ご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。
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