京都御所と二条城の間にある我が家の西北、一条戻り橋近く、母(97歳)が入院する堀川病院まで、毎日、バスで行く。
一条戻り橋は平安時代、渡辺綱の鬼退治で有名な場所。陰陽師・安倍晴明の晴明神社も近くにある。賑やかな市中に、静かな小川のせせらぎと古い石垣と大きな古木が生い茂っている。
京都第二日赤から転院した母は今、地域包括ケア病棟で在宅に向けて療養中。未だコロナ禍で面会が許されない。リモート面会は病院に出向いて、これまで1回のみ。
なかなか食が進まないようで、看護師さんから「何か好きなものをもってきてください」といわれて、ここ1カ月、毎日欠かさず、好きなおかずを届けにバスで通う。娘がクックパッドでつくってくれる中から、小さな、小さなタッパーに4、5種類ずつ取り分け、お品書きと曾孫の描く絵と手紙を添えて持参する。受付で看護師さんに手渡し、その日の母の様子を聞かせてもらう。
たとえばこんな献立。①ブリの照り焼き、高野豆腐とえんどう豆、ヒジキと人参和え、胡麻豆腐、小松菜とお揚げの煮物、トマトとジャコのサラダと、イチゴ。②イカとエビと筍のとろみ炒め、子芋の煮物、かぼちゃの甘煮、枝豆と、和菓子。そして、中華料理の好きな母に③チンジャオロース、豆苗とツナのサラダ、パプリカとピーマン炒め、枝豆と、西瓜。④豆ご飯、麻婆豆腐、アボガドと豆腐和え、ほうれん草のおひたしと、メロン。⑤ちらし寿司、シジミと人参とブロッコリー和え、赤蕪と、ビワ。⑥タイの煮つけ、筍とワカメの炊き合わせ、卯の花と野菜の煮物、牛肉と牛蒡のキンピラと、西瓜などなど。
「いやなものはいや」という気性の母だけど、少しずつ食べて元気になってくれたら、うれしいな。
5月末まで緊急事態宣言が続く。二条城の正門も、開かずの扉で人影も少ない。植物園も動物園も閉園。せめて御所の森の中へと、お散歩に出かける。新緑の木々もすっかり色濃くなっていた。
ところが最近、ニュースで植物園周辺の「北山エリア整備基本計画」が京都府から出されているのを知った。さあ大変。文化庁が京都府庁近くに移転するのを奇貨として、東京の開発業者が、あろうことか、開園100年になる植物園周辺を大改装しようというのだ。
1946年、アメリカの進駐軍(GHQ)が、御所の身代わりに植物園を接収。園内に100戸ものディペンデントハウスが建てられたという。10年後の1957年、ようやく返還。その後、植物園職員の手による行き届いた樹木の手入れのおかげで、四季折々の花々や木々を、みんなで楽しんでいるというのに。「絶対に再開発を許してはならない」との思いで、早速、Change・orgの反対署名運動のキャンペーンに賛同して署名した。
もう一つのお散歩道は、烏丸御池の一筋東の東洞院を下って元初音小学校跡の満開のツツジを眺めながら、さらに少し下って、いきつけのカフェで本を読むこと。
今日の読書は、佐多稲子の署名入りの『あとや先き』(中央公論社、1993年)と『年譜の行間』(中央公論社、1983年)の2冊。また一つ、今の私の気持ちにぴったりの本を読み返すことができた。
以前、佐多稲子の「女の『時』」を旅する(旅は道草・31)にも書いたと思うが、文学と革命運動と戦争責任と女の自立とを書く、佐多稲子の「女の『時』」の旅路は、読む私自身の「時」への思いをさえ、濃くさせてくれるのだ。
そこには関係を豊かに生きる他者へのあたたかい共感がある。そして自分を見る視線に、他者の目を持つ冷静さが流れている文章なのだと、「うんうん」と頷きながら読み進めていく。
そして佐多稲子ほど、多くの文学者たちの弔辞を読み、追悼文を書いた人はいなかったのではないか。中野重治や原泉をはじめとして、「あとや先き」の思いを胸に秘めつつ、親しかった故人を偲ぶ文章を書き綴ったのではないだろうか、と。
もう80代後半になっておられたと思うが、京都の東山会館で、佐多さんを囲んで、みんなでお食事をご一緒したことがある。私が離婚してめそめそしていた時だったと思う。何か一言、佐多さんにお尋ねしたら、思いがけず佐多さんから「私も結婚に「失敗」した女ですからねぇ」と言葉をいただいて、お酒を手に、ちょっと恥じらうようにおっしゃったことを、本を繰りながら懐かしく思い出していた。
『あとや先き』の「プラハ、カレル橋」の章を読む。佐多さんは1989年の東西冷戦終結前のプラハへ3度、訪れていたんだ。私もまた2008年の夏、ウィーン~ドレスデン~プラハを旅して、佐多稲子が渡ったカレル橋や、「プラハの春」(1968年)「ビロード革命」(1989年)が闘われたヴァーツラフ広場やプラハ城裏通り・フラッチャニ地区を歩き、そして「ホテル・カフカ」という名の宿に泊まったんだ。ああ、もう一度、プラハへ行きたいなあ。
今年の春は桜も早く散ってしまった。吉野の千本桜は、いつ満開だったのだろう。桜が散った後の新緑の吉野は、段々に織りなす山々の緑が、また格別なのだ。白洲正子の吉野の『かくれ里』を手にして、もう一度、吉野の新緑を眺めてみたいなあと夢想してみたりもして。
そしてどうか母がまた元気で家へ帰れますように。