こんなエッセイを新聞に書きました。ヤングケアラーもヤングでないケアラーも、支援を受けて当然、じゃないのか、と。ここに登場するイギリスの女性史家はAnna Davinです。

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子守り学級のヤングケアラーたち

 ヤングケアラーと聞いて、明治時代の「子守り学級」を思い出した。明治5年に学制が発布された後も義務教育の就学率はいっこうにあがらなかった。というのも、当時は子どもは重要な労働力だったからである。わけても女の子は次から次へと生まれる弟妹の子育て要員だった。学校に子守りの手がとられるのは困る、と親たちが抵抗したのである。女子の就学率を上げるために学校が思いついたのが、子守り学級である。あかんぼをおぶったまま学校へ来てもらっては、授業の邪魔になる。それなら、と子守りの子たちばかりを集めて、子連れで学校へ来てもよい、と特別学級をつくった。それが子守り学級である。クラスができるくらいだから、女の子の子守りがどれほどふつうで、どんなにたくさんそんな子どもたちがいたかがわかるエピソードである。
 あとになってイギリスの女性史研究者から聞いた話だが、19世紀生まれのイギリスの高齢女性には生涯独身者が多いという。そういえば名探偵ポワロのシリーズで有名なアガサ・クリスティに「ミス・マープル」という高齢の探偵が登場する。ミスとミセスで女性の婚姻上の地位を識別するイギリスでは、結婚していなければ何歳になっても「ミス」のまま。それが違和感がないほど、イギリスには高齢「ミス」が多い。この女性史家が彼女たちのライフヒストリーの聞き書きをしてわかったことがある。高齢「ミス」には圧倒的に長女が多い。彼女たちは結婚しなかった理由をこう語ったそうだ、「オトナになるまでにさんざん子育てをしたから、もうたくさん」と。
 長女と言えばヤングケアラーの役割が待っていた。学校さえ行かせてもらえないほどの負担だったが、誰もそれを問題だと思わなかった。だが当時は子だくさんだっただけでなく、大家族のなかに姑や小姑など女手も多かったし、親族や家族のネットワークの助け合いもあった。家族が福祉の機能を果たすにじゅうぶんなだけのスケールがあったのだ。
 その時代から家族は極端に小さく、脆くなったのに、家族の機能は変わっていない。家族の問題は家族で。子育ても、介護も、障害児の世話も、病人の看護も、認知症高齢者のケアも、すべて家族の責任…ヤングケアラーの抱える問題はそこから来ている。ヤングケアラーは「18歳以下の子ども」と定義されているが、そんなら18歳以上ならいいのか。成人子やオトナの女なら、家族のケアを何もかも背負うのがあたりまえなのか。ヤングケアラーに同情が集まるのは、自分に責任のない「無辜の犠牲者」という視線があるからだが、それじゃ医療的ケア児の母は「自己責任」なのか、認知症の舅を世話する嫁は「強制労働」なのか。
 家族のなかに自立できないメンバーがいるとき、それをサポートする社会の支援があって当然、という前提があればヤングケラーもヤングでないケアラーも苦しまなくてすむ。
 「センセ、家族って共助でしょ?」と学生が訊いてきた。なるほど。家族が「自助」っておかしい、自助できないひとには公助があり、公助が届かないところにだけ共助がある、そう思えば家族のなかの個人に公助が届いてあたりまえ。それを福祉の脱家族化、と呼ぶ。ヤングケアラーは日本の社会福祉の貧困さを浮かび上がらせた。
(『京都新聞』2021年5月23日付け「天眼」より媒体の許可を得て転載)