ヨーロッパは今、サッカーの欧州選手権の真最中です。本来は昨年行われるはずだったので、UEFA(欧州サッカー連盟)EURO 2020の呼称がそのまま使われています。私はそれほどサッカーに興味があるわけではないのですが、ヨーロッパに暮らす以上これはもう生活の一部、風物詩です。楽しまないよりは楽しんだほうがいいので、気になる試合は見ています。この数週間はコロナ感染も大幅に減り多くの規制が緩和されたこともあって、会場にも観客の姿がチラホラ、また街中ではレストランなどで友人たちと一緒に観戦したり、と、以前の風景が少しずつ戻ってきたような感じです。

ただ、ここにきて一悶着起こっています。ことの発端は6月19日のドイツ対ポルトガルの試合。ドイツのゴールキーパーでキャプテンのマニュエル・ノイアー選手がLGBTの象徴であるレインボーカラーのアームバンドをつけて試合に参加したことです。これについてUEFAが「調査する」と発表したため、LGBTへのサポートを表明するのに調査もへったくれもあるか、とドイツ市民が反感をあらわにしました。UEFAは調査宣言を撤回しましたが、続く対ハンガリー戦に向け、会場であるミュンヘン市が、いわゆる反LGBT法を採択したばかりのハンガリーへの抗議を表明するため、スタジアムを虹色にライトアップすることを提案したにもかかわらず、UEFAがこれを却下。UEFAへの批判がさらに広がりました。

23日の試合当日は、会場周辺でレインボーフラッグが無償で配られたほか、ミュンヘン市庁舎がいくつものレインボーフラッグを掲げたり、市内の別の建物が虹色にライトアップされたりと、至る所で抗議活動が行われました。たまたま今月はプライド月間ということもありますが、Facebookではプロフィール写真に虹やLOVEバッジをつけるドイツ人もいました。当日、物々しい雰囲気のなかで始まった試合ではハンガリーがまさかの先取点。その後なかなか点が入らず、後半になってドイツがやっと1点返したかと思ったら瞬く間にハンガリーが追加点、と、ドイツ側に諦めムードが漂い始めた頃、レオン・ゴレツカ選手が運命の1点を決めました。

試合は2対2で引き分けに終わりましたが、この1点によりドイツの決勝トーナメント進出が決まりました。得点直後、アクティビストとしても知られるゴレツカ選手はハンガリーファンのスタンドに向け、指でハートのサインを作って見せました。ハンガリーチームの国歌斉唱時にはレインボーフラッグを持った人物が乱入。翌日以降、これらのことがすべて好意的に報道されました。

……と、すべてがうまくおさまった感があるのですが、そこに私は拭えない一抹の違和感を感じてしまったのでした。

人種差別にしろ性差別にしろ、差別主義者はもちろんここドイツにもいます。が、歴史から学んでいるためでしょう、それを絶対に許さない勢力も非常に強いと常々感じています。特に教養のある人にその傾向が強く、今回LGBTサポートを表明していたのも多くがLGBTコミュニティのメンバーではない知識人が多かったように思います。ただ、Facebookのバッジを見たとき、私は遠い昔の記憶を思い出してしまいました。それは2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故のすぐ後で、非常に多くのドイツ人が「原発反対!」のバッジをつけたことです。

いや、そりゃ私だって原発反対ですよ。でも、あの時は本当にまだ惨事の直後で、被災者の救命や捜索が必死に行われていた頃です。自分が正しいと信じることへのドイツ人の主張力はすごいと思いますが、今はそこを主張している場合じゃないんじゃないか? という違和感を感じてしまったことを覚えています。そして、今回もふと、似たような違和感を覚えてしまったのです。

ハンガリーに限らず、昨今東欧での反LGBTの流れは憂慮すべきものです。欧州連合はすでにハンガリーに対し、反LGBT法を撤回しない場合EUからの除名をも辞さない構えです。それもそのはず、欧州には国家指導レベルにLGBTの方々が当たり前のようにおり、もはや当たり前すぎて話題にも登りません。ハンガリーの動向は完全に時代に逆行しています。

ですが、それを決めたのはあくまでも政府なのです。私はスポーツに政治を持ち込むのはむしろ賛成です。生きている以上、政治は私たち一人一人にかかわることです。ドイツが虹色に染まるのを、私自身最初は好ましく思っていました。ただ次第に、UEFAやハンガリー政治を嫌うばかりに、ハンガリーチームとそのファンたちに矛先が向くような雰囲気ができてしまったことが気の毒に思われただけでなく、反原発時のような当事者不在の空虚さをも感じてしまったのでした。ハンガリーにももちろんLGBTコミュニティはあるでしょうし、ハンガリーのゴールキーパーのペーター・グラーシ選手はずっと以前にすでにLGBTへのサポートを表明しています。もしかして私たちは、ハンガリーチームに「向けて」旗を振るのではなく、ハンガリーチームと「一緒に」旗を振るべきだったのではないでしょうか。

こんなふうに感じてしまったのも私自身、お上の「LGBTがあーだこーだ(←くだらないのでいちいち聞いていない)」に悩まされ、「こんな人たち」と一緒にされたくないと願う一人の日本人だからかもしれません。