時を選ばず、長い、長い電話をかけてくる女友だちがいる。ある時はエッフェル塔の南、パリ7区の自宅から格安の国際電話で。ある時は年に数回帰国する東京の実家から。ひたすらしゃべるのは彼女。「ああ、そうなの」「ふーん」「それで?」と聞くのは私。話は面白いんだけど、一言でも質問しようものなら百ほど返ってくるから、1時間は黙って聞き続けるしかないなと諦める。

 学生の頃、いつも待ち合わせに遅刻してくる彼女を駅の改札口で1時間、ボーッと立って待っていた私。まだケータイもなかった頃。「お待たせー」と走ってくる彼女を見つけてホッとする、のんびりとした時代だった。

 1967年、大学卒業後、広告会社勤務を経てロンドンの大学へ留学。さらにパリ・ソルボンヌで学んでいた彼女から、60年代末、「パリ5月革命」のデモで「警官に追われた学生がカルチェラタンの私の下宿に飛び込んできたのよ」と話してくれたことがあった。その後、なぜか連絡がとれなくなって音信不通になってしまったけど、ある日突然、20年ぶりに「お元気?」と電話がかかってきた。それからはまた長い、長い電話の復活だ。

 今日の話題は「食」について。「あなた今、なに食べてる? ルイジ・コルナロの本を読んでみて。私、コルナロ式食事を実行中よ」と語る。


 ルイジ・コルナロ著/中倉玄喜翻訳・解説『無病法 極少食の威力』(PHP研究所、2012年)。ルネサンス期、ベネツィアの貴族ルイジ・コルナロ(1464~1566)は、食を節して102歳まで元気に長寿を全うした。その秘密は「極少食」にあったという。

 「食を節するとは、天然のものを中心に、食べる量をできるだけ少なくして必要最小限の栄養だけにとどめ、消化にかかわるエネルギーや酵素などの浪費をさけ、食害や老廃物の発生を極力おさえ、人類がかつて野生のときにそうであったように、体内環境を自然本来の状態にたもつ、あるいはもどす、ことをいう。
 そうしたしかるべき体内環境のもとでは、免疫や代謝酵素など、体に本来そなわっている修復機能が十全にたもたれる。そのため、病気になることはない。たとえ病気になったにしても、前述の強力な修復機能がはたらき、病気は即座に治る」と書かれている。つまり自分にとって「自分自身が最良の医者」なのだ。

 コルナロは若い頃の暴飲暴食と不摂生の果てに死の淵をさまよったが、医者のすすめで「極少食」を試みた結果、健康を取り戻し、その後、102歳まで生きた。食事は1日総量わずか350グラム。パンと卵の黄身、少しの肉とスープ、そしてワインを2回に分けて食するだけ。

 同時代のレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロより有名だったというコルナロが、90代まで食について記した書き物は、当時、ミリオンセラーになった。それを翻訳した中倉玄喜はコルナロの「講話」に「解説」を加えて一冊の本にまとめている。

 「解説」によると、「無病食」とは「身土不二」(その土地のものを食べ、生活する)の原則にしたがった「穀菜食」だという。たとえば植物性食品は、玄米、トウモロコシ、蕎麦、全粒パン。野菜、海草類、果物、木の実、発酵食品(納豆、味噌、漬物)。動物性食品は、魚介類(小魚、エビ、貝類)などの全体食を指す。

 私も毎日、おおよそこんな献立だが、コルナロほど「極少食」ではない。具だくさんの味噌汁と肉か魚を少々、それに甘いものも加わるかな。それと自家製の、玄米と豆乳に沖縄産の黒砂糖と粗塩で発酵させた手作りヨーグルトにプルーン、キウイ、バナナ、キナ粉、アマニ油、蜂蜜をかけた発酵食品が朝食に並ぶ。

 1977年、『マクガバン・レポート』(米上院栄養問題特別委員会報告)は、米政府の公式見解として、それまで理想的な食事と考えられてきた「動物性蛋白質中心の高カロリー食が誤りである」とした。つまりおすすめは日本の伝統食だった。しかし食品業界や農業団体、医療業界(薬品業界)の反発から、マスコミもスポンサーに配慮して沈黙。その後、英米中3カ国共同プロジェクト報告『チャイナ・スタディ』もまた同じ運命をたどったという。

 いってみれば貝原益軒『養生訓』の「腹八分目」、釈迦の「五体いずこなりとも患いあらば、まず食を断つべし」、ヒポクラテスの「病のときの食は病を養う」もまた、同じ意味になるのかな。でもやっぱり、おいしいものはおなかいっぱい食べたい。それが人間の性(さが)というものだ。

 いつもお薬をもらう調剤薬局に漢方の冊子『China view』が置いてある。今号の特集は「脾胃のケアで腸管免疫を強く」。中医学では免疫力は「衛気(身体の防御力となるエネルギー)」によって保たれていると考え、衛気(えき)は脾胃で生み出されるとされる。

 脾は胃の裏側にある臓器。食べ物や飲み物を摂ることを通じて栄養を「五臓六腑」に行き渡らせる働きをする。血液中の古くなった赤血球を壊し、酸素を含んだ血液を溜める働きもある。しかも身体の中に入ってきた病原菌や細菌、ウイルスと闘う抗体をつくるんだとか。

 なんと、脾の働きには、今や世界中でパンデミックを起こしている新型コロナウイルスさえ、やっつける力があるんだ。

 脾に、よく働いてもらうためには、日々、口から入る「食」の質と量、それも「粗食」で「少量」を摂るのが大事。そうすれば最後に迎える安らかな「死」を全うすることができるということなのだろうか。


 もう一人、先程の彼女と同じ大学で学んだ女友だちから先頃、新刊が送られてきた。上村くにこ著『死にぎわに何を思う 日本と世界の死生観から』(アートヴィレッジ発行、2020年)。「なんだか懐かしくなって、この本を送ります。読んでいただけたらうれしいです」と手紙が添えられて。

 さっきの彼女と上村くにこさんは、学部では仏文専攻。私は社会学だったけど、学生の頃、いっしょにバックパッカーの旅を北から南まで歩いたことがある。彼女もまたその後、独特の生き方をしてきた人だ。甲南大学名誉教授、フランス文学者としても有名。

 「死生観」について、古代の神話から文学、現代の医療、そして今、死にぎわにある人々のことを、淡々と、いつもの彼女の読みやすい、いい文章で書かれている。

 明治37年(1904年)、加藤咄堂が『死生観』を出し、「死もなく、生もない、ただ自然という大海の波が打ち寄せたり、引いたりするだけ」の「天地の大霊に帰する」という感覚が、日本人の「死生観」の根っこにあるのではないだろうかと説く。

 また、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは「死生学」の基礎を築いた女性。彼女の「死にゆく患者に寄り添う」実践の中から生み出された「死の受容のプロセス5段階説」(否定・怒り・取引・抑うつ・受容)についても詳しく紹介される。

 そして厚生労働省「人口動態統計年報 主要統計表」から引いたグラフ。日本では1976年の時点で「在宅死」と「診療所・病院死」がクロスし、その後、「病院死」や、後に「施設死」が「在宅死」を急カーブで追い抜いていくデータを見て、「なるほど、その頃から日本の看取りのありようは大きく変わっていったんだ」と、読んで納得した。

 では「人は死にぎわに何を思うのか」。

 上村くにこさんのイギリス人の夫は末期がんの診断を受け、がん治療は選ばず、自宅で療養。自ら望んで「終末期セデーション」(死ぬまで眠らせる鎮静処置)を医師に依頼して、数年前に亡くなられたという。そして、くにこさんもまた病を抱えていることが本の行間から読みとれた。

 しかしヒポクラテスは、「安楽死」にきっぱりと「ノー」をつきつける。「ヒポクラテスの誓い」には「頼まれても死に導くような薬は与えない」とある。いったん治療を引き受けたからには「患者の利益は医師が決める」というのは、「一種のパターナリズムともとれる」と上村さんは書くのだけれども。

 それに対して「魂の存在」を信じていたソクラテスは、「死とは肉体から魂が解放されることであって悲しいことではないばかりか、めでたいことなのだ」と主張したという。

 さらには手塚治虫の『ブラック・ジャック』を引き、「どんなに治療の可能性が低くても命を救うために全力を尽くす」、医師の資格をもたないブラック・ジャックと、「生きものは死ぬ時には自然に死ぬもんだ。それを人間だけがむりに生きさせようとする。どっちが正しいかね」というドクター・キリコとの友情と対立の相剋関係も、なかなかに興味深く描かれていた。

 生きるために食べる、良質な食事を少量ずつ。そして無病息災で天寿を全うする。それは理想なんだけど、難しいなあ。別に長生きをしたいとは思わないけど、「日々、無事に過ごせればいいなあ」と、ただ願うだけ。

 「生老病死」とは、いつの世も、人の思いのままにならない、どうにも解けない問いなのだろうか。