いつも温かな心持と安心感を与えてくださった                      湯前知子 
 

井上さんと電話で最後に話したのは、今年の6月のことだった。ある著作について井上さんの意見が聞きたかったのだが、ふふふという笑みが感じられる例の穏やかな話しぶりに、私も同意見ということもあり安心したのだった。 
  その前は3月に、キリスト教婦人矯風会の高橋喜久江さんが、昨年末に亡くなられたことをお知らせすべく電話したのだった。というのも、2018年に井上さんから、高橋さんにインタビューしたいので連絡をとってもらえないかと電話があり、セッティングして私も同席させていただき、井上さんと高橋さんのやり取りを聞かせてもらったという経緯があったからである。井上さんへの連絡が遅くなってしまったのは、私自身体調が悪く気になりながらお知らせが遅れてしまったのだった。その時はだんだん知っている人たちが居なくなって寂しいねぇと、お互いに話したのだった。 
  2019年5月には西麻布の大阪経済法科大学のセミナーハウスで開催された、柘植さんや西山さん、大橋さんらの「国難の中のわたしたちのからだ」シリーズの「優生保護法の負の遺産」という会に参加されていた。とても充実した内容で盛会であり、高揚した気分のままに終了後、近くのイタリアン「ナポリスタカ」で、井上さんご希望のシェフおすすめの肉料理と、私のわがままによる注文、‘サラダじゃなくちゃんとした野菜料理’という組み合わせで、よもやま話をしながら、たまにはいいでしょうと、ちょっと贅沢な美味しい食事をいただいたのだった。女性運動のことなど話しあったと思うが、食事のことと楽しい雰囲気しか印象に残っていないのが情けない。同年2月、武蔵野プレイスであったドイツ語翻訳者の寺崎あき子さんを偲ぶ会でも久しぶりに会い、終了後秋田一恵弁護士とともに夕食をとりながら3人でおしゃべりしたのだった。眼の治療のフォローのため近くの医院に来ておられるとのことだった。今やこれらは井上さんと時間を共有した大切な思い出である。 
  40年近く前、東京に出てきて右も左もわからない頃に、婦人問題懇話会の勉強会で井上さんに初めてお会いした。山川菊栄さんの後、会を引きつがれていた元参議院議員の田中寿美子さんのお宅でのごく少人数での研究会にも参加していた。この頃は頻繁にお会いしていた。井上さんは田中寿美子さんをとても尊敬されていた。その後、私は研究よりも反性暴力の運動にのめりこむようになった。そして井上さんから岩波『女性学事典』(2002年)の性暴力に関するいくつかの項目担当のお声をかけていただいた。今でこそ性暴力の課題に取り組む方たちは研究者も含め多いが、当時は少数であったため私ごときにも声をかけてくださったのだろう。近年は何かの折にお会いしたり電話で話しするだけだったとはいえ、いつも温かな心持と安心感を与えていただいた。そのことで時に気弱になる私を支えてくださった大切な方が、もうおられないということがたまらなく無念で寂しい。 
 

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井上輝子さん追悼 WAN掲載記事 https://wan.or.jp/article/show/9659
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