●突然の電話
「来年の3月の私の誕生日には刊行したいの」と晴れ晴れとした声で井上輝子さんから電話をいただいたのは、2021年の6月半ばだった。今までの仕事は全部終えたので、これからは自分の仕事に専念すると言われた。「3月刊行なら遅くても11月末には完成原稿をお願いします」というお願いに「えー!? なんとかがんばるわ」と笑いながら言われた。
井上さんに「日本のフェミニズム史」の書下ろしをお願いしたのは3年近く前だった。ちょうど半分まで筆は進んでいた。
それから1月も経たないうちに、突然に井上さんが入院との報が届き、電話で直接話したときに、苦しい息の中から、「あの本を頼む」と言われた。目の前が真っ暗になった。1冊の本にするには、分量があまりにも不足している。しかし、時間がもうほとんど残されていないことはすぐにわかった。すっかりパニクッている私は「本人が落ち着いているんだからしっかりしてね」と逆に励まされる始末。「とりあえず短くて結構ですから<はしがき>を書いてください」とお願いするのがやっとだった。
1回目の電話を終えてすぐに考えたことは、この本は井上さんの単著にする、組見本だけでも見ていただきたい、そのためには猛スピードで進めなければならず、それには信頼できる協力者が必要ということだった。直ちに山川菊栄記念会の山田敬子さんに電話をした。激しい衝撃の中で彼女は引きうけてくれた。ここから彼女との二人三脚が始まった。有斐閣の担当編集者である松井智恵子さんも全力のサポートを約束してくれた。
●原稿はまだ半分
最大の問題は後半をどう構成するかであった。考えあぐねていると井上さんがベッドで書いた原稿が届いた。それは思いがけなく、「はしがき」ではなくて「中ピ連との思い出」を中心にしたものだった。これから書き進めたいところを書いたに違いない。その強い思いを受けとめて、その原稿を「断章」としてpart2の冒頭に置き、井上さんが生涯大切にしてきたテーマに沿った既存の論文や発言で構成し、part1は書き下ろされている原稿とすることを決心した。
たくさん発表されている論文から何を選ぶか。これも難問であった。こちらで候補を絞り一点ずつ井上さんの意思を確認した。その役割は毎日お見舞いにいく娘さんに託した。
そして井上さんの執筆当初に考えた目次をそのまま「幻の目次」としてかかげ、その具体的な内容が一目でわかるリストになっているエクセルの表も収録した。そこには、150年を見通す井上さんの視点、問題意識が8つの項目で見事に整理されている。
●怒涛の日々
このような異例の構成をとったので、本書の内容は、サブタイトルの「150年の人と思想」に及んでいない。けれども井上さんの日本のフェミニズム史を書きたいという志の半ばで、それを絶たねばならなかった無念さを思うと、このタイトルとサブタイトルは捨てることはできなかった。
多くの著者がそうすると思うが、すべてを書き上げてから細かいところを推敲したり注を補足する予定だったと思う。それが不可能だった結果、私たちでさえ気が付く小さいミスにぶつかるたびに井上さんの口惜しさを思った。
「断章」の直後に書かれた絶筆は、後日「追悼集」におさめられる予定だが、そこには私たちの知らない井上さんの若き日の姿がほうふつとしていて、一部を本書のカバーの袖の原稿や奥付に生かした。
装丁は、井上さんが最後のメキシコ旅行で買い求め、ご自分のラインのアイコンにしていたアルマジロのぬいぐるみの写真を、息子さんがデザインした。
●幻の目次
結局、井上さんは組見本さえ見ることなく、「断章」執筆の2週間後に旅立たれた。
本書刊行までの戦いが終わってみればああすればよかった、こうするべきではなかったかと後悔の念が立ち上ってくる。
読者の方からのご批判ご意見をいただければ井上さんも喜ばれると思う。
書かれることのなかった「幻の目次」は次のとおりである。
* * *
プロローグ
第1期(1868~1945) 「イエ」制度に抗した第一波フェミズム
第2期(1945~1970) 日本国憲法による男女平等保障の下で
第3期(1970~1999) 第2波フェミニズムの勃興とその後
第4期(2000~ ) 21世紀における新たな展開
エピローグ
コラム フェミストたちの軌跡
ちなみに、リアルな目次は以下である。
Part1 日本のフェミニズム その1(1868~1970)
第Ⅰ章 「イエ」制度に抗した第一波フェミニズム
第Ⅱ章 日本国憲法による男女平等保障の下で
Part2 日本のフェミニズム その2(1970~ )
断章--2021年夏
1 二人のフェミニストーー山川菊栄と田中寿美子
2 ウーマン・リブの思想と行動
3 私とフェミニズムーー懇話会から女性学へ
(みつだ・やすこ)
◆書誌データ
書名 :日本のフェミニズムーー150年の人と思想
著者名:井上輝子
頁数 :342頁
刊行日:2021/12/05
出版社:有斐閣
定価 :2200円+税