2011.03.26 Sat
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.
どうしてわたしは恋愛をしていないと不安で仕方がなくなるのだろう。
これは、わたしが今もって抱えている、ずいぶん前からの疑問である。わたしには同性の友人がいる。同性の友人はわたしを様々な側面から評価してくれている。にもかかわらず、どうしてわたしは、異性との恋愛を必要としているのだろう。どうしてわたしは、異性から「恋愛対象」あるいは「性的対象」として見られていないと、自分には価値がないと思い込んでしまうのだろう、どうしてアイデンティティが不安定になってしまうのだろう。このわたしの「在り方」は一体何なのだろう。いや、そもそも、これほどまでにわたしを縛っている恋愛とは何なのか。
このようなことをどれか一つでも考えたことがある方は、他にもいらっしゃるのではないだろうか。この疑問に対して、一つの答えを提示してくれているのが、第6巻『セクシュアリティ』であると、わたしは思っている。
「セクシュアリティ」は、本書では、上野千鶴子氏によって「性をめぐる観念と欲望の集合」と定義されているが、どうやら今の社会では、わたしたちはこの「性をめぐる観念と欲望の集合」であるセクシュアリティと無関係でいることはできないようである。たとえば、性的な欲望を持たないとしても、それは「性的欲望を持たない」というセクシュアリティの一つのあり様として認識されることで、結局はセクシュアリティと関連してしまう。セクシュアリティが関連している事柄は、何も性的な欲望にかぎったものではない。本書を読めば、そのことがよくわかる。わたしたちがより美しくあろうとすること自体、セクハラ、DV、ポルノグラフィ、そしてセックスワークといった労働まで、多くの場面・領域にセクシュアリティは関係している。そんななかで、セクシュアリティについて考えないでいられる人がいるだろうか。おそらく、まったく考えないでいられる人は、ほとんどいないだろう。
こうして、わたしたちはこれまで、セクシュアリティによってアイデンティティを定義してきた。そして、セクシュアリティについて考えるとき、毎度毎度出てくる問題が、「性別二元制における異性愛秩序」である。性別二元制というのは、男でなければ女、女でなければ男という、男/女どちらかの項しか許さないというカテゴリー化を行うものであり、このカテゴリーによって恋愛対象を異性にかぎるのが異性愛秩序である。
本書の増補編解説のタイトルは、「『異性愛秩序』をゆるがす」であるが、そのタイトルのとおり、この異性愛秩序を、そして性別二元制を、多様なセクシュアリティの観点からゆるがしていこうとするのが、本書に収められている数々の論考である。
たとえば、「恋愛をするとき、どうして異性愛なの?」「どうして受身的な立場をとるの?」「どうして恋愛しないといけないの?」という疑問を投げかけたとき、性的対象や恋愛をすることについては「生殖につながって自然だから」、役割については「主体的に選んでいる」「自分がしたいと思っているからしている」という答えが返ってくる。しかし、自分が「自然」だと思っていることは、実は異性愛秩序にもとづいた対幻想なのかもしれない。自分が「主体的」に選んだと思っている役割の裏には、対幻想における非対称性が潜んでいるのかもしれない。男が性的に能動で女が性的に受動という「性愛のシナリオ」がアイデンティティにまで組み込まれているのかもしれない。
セクシュアリティにおける上記のような問題は、セクハラやDV、美的な価値などにも見られるのではないだろうか。たとえば、セクハラについての論考では、男性は「性行為への意思」を自立的に持つことができるが、一方女性の場合、「性行為への意思」は「抵抗」しないことによってあったとみなされてしまうという、非対称性が述べられている。また、美的な価値についても、本書を読んでいると、美は女性にとって必ずしも特権ではなく、強制となっている場合もあることがよくわかる。
なにもわたしは、これまでのセクシュアリティは強制されたものだから、非対称的だから今すぐやめるべきだ、などと言っているわけではない。だが、少なくとも、こうした疑問を持つことは、わたしたちが多様なセクシュアリティを考えていく上で、とても重要なことであると思う。本書は、このような疑問を常に喚起させてくれる。
しかし、本書は、どのようなセクシュアリティのあり方が「正しい」のか、という疑問には答えてはくれない。なぜなら、「セックスは労働か、搾取か、快楽か、抑圧か……という問いに、本質的な答えはない」からである。
わたしがここで触れた以外にも、セクシュアル・マイノリティについて、セックスワークについて、性暴力についてなど、本書では詳しく論じられている。なぜ異性愛じゃないといけないのか、なぜ恋愛をしてないといけないのか、自分はどうして美しくなりたいのか、等々。少しでも自分自身のセクシュアリティに「なぜ?」と感じた方は、是非本書を手に取っていただきたいと思う。
カテゴリー:シリーズ