女性学講座 エッセイ

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ジェンダー知のバトン - どう受け止める?どう渡す?第8巻『ジェンダーと教育』石河敦子

2010.08.30 Mon

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いろいろな問題意識を共有できる第8巻『ジェンダーと教育』。ここで私からオススメしたい読み方は二つ。
ジェンダーのことは、もうわかっているという人は、1をとばして、2へジャンプ。
ちなみに、ジェンダー知とは、ここではジェンダーに関する知識ぐらいの意味で使っている。

1.ジェンダー知をどう受け止めるのか?と考えながら読む

この問題を考えながら読むとき、具体的にはひとつの話題を参照しそこから自分の人生をふりかえる。

☆ 例えば、40代A子のケース。

A子は、第8巻『ジェンダーと教育』を読みながら、自分はどのような育てられ方をし、どのような教育を受けてきたのかを考えてみることにする。わかりやすい参照点は冒頭の川合真由美さんがあげている男女混合名簿にすることで見えてくるもの。A子は男女混合名簿ではなかった学校生活の中で育った自分って、どうなの?って考えてみる。

学校で培われるのは、集団になんとか自分をあわせようとする社会性。集団に、あわせられなければいじめられてしまう。その集団に「男子は男子」「女子は女子」の区別があったことなど深く考えたこともなかった。A子の学校では、いつもだれかがいじめを受けていた。時代は校内暴力からいじめへと移っていた頃だ。ジェンダー関係にフォーカスしてみれば、男子が男子をいじめ、女子が女子をいじめ、そしていじめを受ける女子は男子から嫌悪の視線をあびた。学校社会の秩序を守るために、逸脱の芽は確実につまれる。
体力テストも一つの参照点。飯田貴子さんは「女は体力がない」は、ほんとうかと問う。いったい体力とは何か?と鋭くつくこの論文を通じて、A子はスポーツなんてダメダメだった学生時代を思い出す。自分自身にとことん劣等感を植え付けてきたものが次第に見えてくる。

もうひとつA子が参照したのは中村英一朗さんの論文。学校は「スカートをはいてみた私」が「キモ~!」といわれるほど、服装規範がおしつけられる場所。制服や体操服の男女別規定が「男らしさ」「女らしさ」につながっていることは間違いない。

☆ 男子だったら?

男子として教育を受けてきた人も人生をふりかえる際に参照できるトピックがいくつかある。

江原由美子さんの調査結果「男子高校生の性差意識」によれば「若い女性の意識がどんどん変化しているのに、男性の方の意識はあまり変化していない。」(p.91)この調査の結果にもとづき江原さんは、女性とかけはなれた理想の家庭像を描いて結婚しようものなら「結婚や家庭生活において、彼等は何が問題なのかも分からないままに、問題に直面してしまう可能性が高い」(p.94)と恐ろしい予言をする。この結果を共学であれ別学であれ、かつて男子生徒だったことのある人はどう読むだろうか。すでに問題に直面してうろたえている男性にとっては問題解決の糸口になるだろう。

☆ 幸か不幸か大学院に入ろうと思いたった人は?

私の個人的な関心は大学院で女性学を学ぶことであったので、この本のしめくくりにおさめられている上野千鶴子さんの「女性学の制度化をめぐって」は現在進行形で考えさせられている。思いたつ年齢やジェンダーによっても解が異なるので上野さんの論を読んで自分で答えをみつけてもらいたい。

☆  だからどうなの?

以上のプロセスのひとつひとつが人生をジェンダー視点でふりかえることだ。参照点から既存のジェンダー知にアクセスし、自分の人生に投影することではじめて、その知が受け止められる。言葉で言われると難しそうだが、やってみれば意外と簡単。そのうえすっきりしてくる。

ほんとうに難しいのは次のステップだ。知が知としていつも矛盾なく受け入れられるわけではないからだ。この本はそうした視点からも読めるように、シスターフッド、市民大学セミナー、『女性学年報』といった学校外の学びの場において、またそうした場で直面する実践に伴う困難についても数々の論文がおさめられている。

さて、その実践のひとつともいえるのが、オススメの読み方その2。ここから論調を変えるので心の準備が必要かも。とくに初心者は要注意。

2.珠玉のジェンダー知、次世代にどう伝えるのか?と考えながら読む

性教育について大人になる前に教えられるべきことがある。ところが、「大人になればわかることだから」という理由で学校でも家でも、しっかり教えられていない。いままでも、きっと今でも大人たちの多くは、性について子どもに直接教えたがらない。

いや、まてよ。田代美江子さんの指摘がより正確だ。「残念ながら、多くのおとなたちは、性教育・性の学習とは何かという点については、おそらく曖昧な認識しか持ち合わせていない。なぜなら、おとなたちも性について学習した経験に乏しく、今の子どもたちと同様に、性差別的・暴力的な性情報にさらされてきて」(p.207)いるから。そうか。いいかえれば、多くの大人が、性についてどう教えればよいのかよくわかっていないのだ。

☆  バックラッシュ派に物申す

もしバックラッシュの意味がわからなければ、第8巻『ジェンダーと教育』の堀内かおるさんや田代美江子さんの論文を読んでいただきたい。

10代の妊娠中絶が後をたたないというのに、子どもは性行為をしないはずであるとの前提で性教育に反対するバックラッシュ派の理屈は、まったく現実的でない。

たとえば、レイプが犯罪であることを教える契機はどこに見出せるだろうか。現在、性暴力についてはジェンダー教育や女性学が一手に引き受けざるをえない事態となった感があるが、これらは大学の教養課程の科目であって、あいかわらず子どもは性行為をしないはずであるとの前提をおく義務教育レベルでは、きっちり教えるタイミングがない。「自分の性欲を満たすために、他人に暴力をふるってはいけない。」これは単純な原則だから、家庭のしつけの範疇に位置づけられているとでもいうのであろうか。

「性暴力はいけないことだ」とは「盗んではいけない」、「人を殺してはいけない」などの原則ほどには、オープンに学校や家庭で話し合われているとは思えない。それが証拠に、「男にはおさえきれない性欲がある」とか、「女は手篭めにされて喜ぶ」と思い込んでいる大人がけっこういる。それこそがジェンダーステレオタイプであることをどこでも教育されていないからだ。包括的なジェンダー教育で、高校を卒業するまでに「レイプもセクハラも犯罪だ」と確実に教え込まれていれば性暴力犯罪も少しは減るだろうに。

性教育をしないことで、子どもたちから自分たちの体やセクシュアリティについて自ら考える機会を奪ってしまっている。人が自立した存在になるためには、考える機会が必要だ。教育の現場を子どもたちに自分で考える機会を与える場所にしよう。そんな志をもった大人たちの教科書が第8巻『ジェンダーと教育』なのである。








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