2013.10.09 Wed
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 2010年の夏、大阪ミナミの繁華街に近いワンルームマンションで、3歳と1歳の姉弟が折り重なるように、餓死しているのが見つかった。母親は、近くの風俗店で働く風俗嬢。50日間子どもたちのもとには帰らず、知り合った男性宅に転がり込んだ。SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)には、出身地の四日市の仲間たちと遊びまわり、大阪のクラブではしゃぐ自身の姿を紹介した。
事件発覚から半年後、私が大阪府警本部の接見室で会ったとき、母親の芽衣さん(仮名)から、子どもたちの霊前にお菓子を供えたことに礼を言われた。おっとりとした、どこにでもいる若い母親だった。結婚当時、芽衣さんは公的な支援を適切に使い、ママサークルの立ち上げにも関わる、しっかり者の母親だった。
離婚して子連れで家を出て、三重県内、名古屋、大阪と転居し、我が子を無惨な姿で亡くすまでたった1年数カ月。その間、子どもたちの父親からの連絡はほぼないに等しく、経済援助もなかった。
この事件に関わった行政機関を取材したが、どこも「めったにないことでした」「はじめてのことでした」と、芽衣さんの動きに戸惑いを見せた。
芽衣さんに下された判決は懲役30年。
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真奈ちゃんの母親は専業主婦で、事件は家庭の中で起きた。それから10年後、母子は孤立したカプセルに閉じこもり、浮遊し、子どもたちは亡くなった。
この20年ほどで、日本人の性のあり方は大きく変化した。1990年代半ばから母子家庭は急増。労働現場では非正規雇用が当たり前になった。日本の社会は目に見えないところで、大きく変わってきた。
女性の貧困は、子どもの貧困に直結する。
2008年秋のリーマンショック以降、幼い子どもを連れて、若い母親がは増えている。
「母親である」ことだけにしか自尊心を預けられない母親が、厳しく追いつめられれば、その矛先は自身のものと勘違いしやすい子どもに向かう。
子どもの幸せを考える時、母親が子育てから降りられるということもまた、大切だ。少なくとも、母親だけが子育ての責任を負わなくてもいいということが当たり前になれば、大勢の子どもたちが幸せになる。
私が本書を書く中で確信したのは、虐待とは差別の問題だということだ。強く、価値のある者しか生き残れない。そうした価値観が蔓延すれば、虐待はさらに深刻さを増すだろう。
私自身は、昨年4月から、困窮家庭で育つ子どもたちへの支援に関わるようになった。小さな芽衣さんはそこかしこにいる。その現実に驚いている。
もっと虐待のメカニズムが知られるようになってほしい。メカニズムを熟知した支援が広がってほしい。それが、私の願いだ。 (著者 杉山春)
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