2012.10.20 Sat
第二次大戦中、日本の半植民地下にあった中国・北京の王府井近くで生まれた私。
身重で大病を患っていた母は、出産後も病が癒えず、やむなく日本に帰国することになった。リュックいっぱいにおむつを詰めて、満鉄の寝台列車に揺られ、関釜連絡船で海を渡って、やっとの思いで九州の実家に帰ってきた。
その1年後、日本は敗戦を迎える。母は今、89歳。一人で元気に暮らしている。
戦後の引き揚げの苦労も知らず、残留孤児になることもなく、日本に帰った(らしい)私は、中国のことを何も知らない。いつか中国に行ってみたいと、子どもの頃から思っていた。
土塀に囲われた胡同(フートン)の一角。中庭をはさんで家が4、5軒ずつ建っている。
母から聞いた、当時の中国人の夫婦喧嘩の様子が面白い。彼らは正々堂々と喧嘩をする。夫と妻が、いきなり中庭へ飛び出し、激しく口論しあう。腕を後ろに組み、絶対に手を出さない。それぞれの言い分を主張し、どちらが正しいか、まわりでワイワイ見ている近所の人たちに決めてもらう。妻は夫に負けない。自分が納得しない限り、絶対に引き下がりはしない。
これぞ夫婦喧嘩の流儀、フェミズムの原理ではないか。
パール・バックの『大地』の女たちも、そうだった。忍従と知恵を生きる農民の妻・阿蘭(アー・ラン)も、儒教的に不自由な子の世話をする梨花(リホウ)も、新中国の未来を象徴する聡明な美鈴(メイリン)も、みんな、はっきりとした顔を持つ中国の女たちだ。
1972年9月29日、日本国政府と中華人民共和国政府の「共同声明」が調印され、日中国交正常化が実現した。今年は日中国交回復40年になる。その頃、3歳だった娘は、テレビに田中角栄首相が映るたびに「ニッチュウ、ニッチュウ」と、いつも大騒ぎだった。
娘は大学3年で蘇州大学へ留学。1989年6月4日の天安門事件の余波を受け、北京への留学は叶わず、古都・蘇州へ向かう。寮生活は、ミャオ族(苗族)出身の女子学生・アーチーやゲイで中国系カナダ人のカーシーなど、いい友人たちに恵まれた。
そういえば中国語で「開心」とは「うれしい」の意味。心を開いて互いに打ち解けるのは、なんとうれしいことか。
数年前、たまたま娘は東京の中国系IT企業に派遣で勤めることになった。「80后」(パーリンホォ)、1980年代生まれより、もっと若い中国人たちが働く会社。まるで香港映画のようにドタバタ喜劇が、毎日、社内で繰り返される。だが、実に優秀な若い人たちが多いことに驚く。そして男女の差別もない。トップは女性。娘が知る限り、パワハラもセクハラもなかったという。
1990年、上海~蘇州~北京を訪ねたときは、「改革開放」が進んでいたとはいえ、まだまだ、のんびり、のどかな中国だった。街を歩くと、ときおり「リーベンレン(日本人)」と鋭い目を向けられることもあったけれど。
2008年、娘の友人に誘われて中国を再訪。上海は時の動きが速い。昨日あったものが、今日はもう変化する街になっていた。上海浦東空港からリニアモーターカーに乗ると、アッという間に時速431キロと表示が出る。未来都市さながら、高層ビルの建設ラッシュが続く。屋上には帽子のような風水のデザインをあしらって。北京オリンピックと上海万博を目前に、上海には勢いがあふれていた。
この旅で、どうしても訪ねたいところがあった。魯迅故居と、その支援者だった内山完造書店跡。地下鉄8号線で、虹口足球場の魯迅公園に出る。四川北路沿いの中国工商銀行2階に残る内山書店旧址へ。
その角を曲がると、山阻路に魯迅故居があった。旧日本人住宅の長屋風の一角。入口に中国共産党人民委員会の家があり、そこで申し込むと、なぜか軍服の男がついてきた。
見学を終えて門を出ると、陽だまりに子ねこが一匹。足元にじゃれついて離れなかった。
日中国交回復40年の今年、尖閣諸島問題をめぐって、祝賀式典が流れた。大同で中国黄土高原の緑化運動を進めている「緑の地球ネットワーク」も、20周年の式典が中止になったという。事務局長の高見邦雄さんは、「長年の友人である中国の人たちが、みんな無念に思っている」とFacebookに記していた。
1972年、共同声明調印の前夜、毛沢東は、周恩来と田中角栄を前にして、「もう喧嘩は済みましたか? 喧嘩をしないと仲良くなれませんよ」と、笑顔で二人に語ったという。
「わたし」が心を開けば「他者」も心を開く。それが人と人との「関係」の基本だ。
「もう喧嘩は済みましたか?」。
日本と中国が仲良くなるには・・・ ふと、この言葉を思い返したくなった。
連載「旅は道草」は、毎月20日に更新の予定です。本連載の以前の記事は、以下からお読みいただけます。
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