香川県の東部にある木田郡三木町井戸地区に初めて行く事となった。きっかけは町の会報誌「KIT MIKI」。
http://www.kit-miki-kagawa.com/images/2018haru.pdf
「素敵な活動をする女性たちが紹介されている」と、会報誌「KIT MIKI」を送ってくださったのは農林水産省の魚田明男さん(現在、中国四国農政局会計課)。表紙には女性が3名。黄色、水色、グレーのTシャツを着て、それには「YES I DO」とプリントされている。井戸地区の「井戸」と「I DO」をかけているようです。特集タイトルとして「女三人井戸端会議 思い立ったらクラシ時」とある。写真左から、櫻井亜沙美さん(女峰(にょうほう)いちご農家「苺ファーム森本」)、蓮井ひとみさん(イタリアンレストラン「まんじゃーれ」)、冨田裕子さん(ドイツ菓子「グリュースゴット」菓子職人)。3人が出会い、なにもなかった田んぼのなかに「地元で頑張っている農家やこだわりの雑貨、飲食店で集まる場をつくりたい」と「マルシェ」が生まれたというのである。これはお話をうかがわなければと現地に向かうことにした。


木田郡三木町は高松市の中心部から電車で約40分、高松空港から車で約30分。人口2万6,607人。交通の弁もよく、暮らしやすい環境から、住宅地、商業地として栄え、農業も盛ん。香川大学農学部があり、学生も多い。香川県には何度も行っているが三木町は初めて。長いお付き合いがある、瀬戸内海の女木島(めぎじま)でカフェを営む三島恵子さんに連絡したら「連れて行ってあげる」とBMWの真っ赤なスポーツカーで空港まで迎えにきてくださった。

◆三木町井戸地区がみんなの集まる「井戸モール」へ

 三木町のイチゴハウス前の田んぼの傍にあるのは「IDOMALL(井戸モール)」。https://idomall.net/about/

 風景に溶け込むようにと、芝生のスペースを広々と取ったモールの敷地内に木造の建物が何棟も並ぶ。レストランや雑貨店、惣菜店、カフェ、自由に使えるレンタルスペースとなっている。ここでお話をお聴きすることに。毎週、近郊の農家の野菜や果物が販売されるマルシェも開催され、美味しい旬の地元の味わいと交流の場となっている。
事前に三木町に連絡を入れたら役場の方が櫻井さんと蓮井さんのお二人を引き合わせの段取りをしてくださった。冨田さんは残念ながら都合がつかず。この日、魚田明男さんが岡山県から、わざわざ「私も現場に行きたい」と来てくださった。三木町からは、地域活性課・永田大樹(ながた・だいき)さん、こども課・道官丈晴(どうかん・たけはる)さんも来てくださり、にぎやかなインタビューとなった。

「IDO MALL」での蓮井ひとみさん(左)と櫻井亜沙美さん(右)

「IDOMALL」はもともとイチゴ農家・櫻井さんの家族の田んぼだった場所。櫻井亜沙美さんが高校時代にアルバイトをしていた縁でショッピングモールでレストランを経営していた蓮井さん夫妻と知り合い、自然のなかでお店を開きたいという話しから蓮井さん夫妻が三木町に店舗を移転することを決意。さらにそこから櫻井さんのイチゴ販売やマルシェが始まり、仲間が広がり、集いの場に生まれ変わった。蓮井さん夫妻のレストランのシェフが櫻井さんのイチゴを使い、すっかり気に入り、そこから家族づきあいへと発展する。

イチゴ農家の田んぼにイタリアンレストランが越してきた

蓮井ひとみさん(レストラン「まんじゃーれ」経営)「亜沙美さんのお父さん(森本博弘さん)がイチゴを作っているという話しからうちの店に入れて頂くようになった。 シェフがデザートに使い気に入って、私たちもほかのイチゴは食べられなくなった。亜沙美さんが進学・就職で三木町にいなくなっても、毎年毎年、イチゴを使ってデザートを提供していました」

 亜沙美さんは進学で地元を離れ栃木県の宇都宮大学に入り、そのあと栃木県で役所に就職した。夫の有造さんとは大学で知り合い大学卒業後に結婚。彼は大学の同級生で、卒業後、商工会議所で勤めていた。 二人で日光市に住んでいたが、4年ほど働いたのち三木町に移住し、有造さんが亜沙美さんの家の農業を継ぐこととなる。

櫻井亜沙美さん(いちご農家「苺ファーム森本」)「本人(夫の有造さん)がイチゴ農家をやりたいということで、三木町への移住を希望したのです。で私は『どっちでも』と思っていました。夫は北海道室蘭生まれ。親が働いていた新日鉄の室蘭工場が閉鎖となり、千葉の君津に家族で引っ越してきたそうです。私と結婚して一緒に何度も二人で三木町に里帰りをしていて、父が熱いタイプでイチゴ栽培の話をしたりしていて経営とかスタイルを見ていた。私は二人姉妹。どちらも家のあとを継がないという話しを聞いて、夫が「 じゃあ僕がやる」と。最初は父にイチゴ栽培を教わりながら始めた。それが 6、7年。その後、父も60歳を超えたので、そこから夫に代替わりしてちょうど今6年目ぐらいです。家族は5人。私と夫と娘。 あと父と母。 父は今もイチゴ栽培を手伝ってくれています。母は看護師をしていまして農業には携わっていません。今はもっぱら孫の面倒を見てくれています」

蓮井「亜沙美さんが地元を離れた大学生のとき、就職された後も、三木町に里帰りされてからも以前アルバイトで働いてくれたときのお嬢さんという感じでいいお付き合いがあったんです。その亜沙美さんから『実は木町に戻ってきてイチゴ農家を継ぐという話しになった』と聞きました。その頃、シェフ(蓮井哲也さん)も年齢のこともあってショッピングセンターを出ようと、 お店を探していたんです。なかなか思うような所がなかった。ちょうどバブルの頃。シェフはとりたてて野菜が大好き。お店の相談を亜沙美さんにしていたところ、「うちの実家には田んぼがいっぱいある」という話になった。
「田んぼから見る白山(しらやま)のロケーションがすごく良いんですよ」と、シェフもいる時に話をしてくれて。もともとシェフの頭の中にも、”田んぼの中のレストラン”というイメージがあった。けれど、田んぼの中に店舗を作るには、水、電気を引く必要があるから難しいと思っていたそうです、ところが亜沙美さんの実家の田んぼなら、近くに民家があって電気もすでにひかれていた。ガスも水道もあるということで実現ができたんです」

春の田園風景のIDO MALL



 とはいえ、田んぼから宅地へとは簡単に行かない。農地を宅地することができない区域もある。そんなとき、地元の事情や農地のことも詳しい亜沙美さんのお父さんが、周りとの調整もされ、法律上も問題もないことを提示されて、周辺の方々にも、きちんと説明をしてくださり、蓮井さんの店舗「まんじゃーれ」は無事、三木町井戸地区に移転。 2013年にオープンした。「まんじゃーれ」はイタリア語で食べるという意味。蓮井ひとみさんは愛媛県出身。京都のアルバイト先で知り合ったのが夫でシェフの蓮井哲也さん。三木町の隣町である香川県大川郡長尾町の出身だった。

◆ナースだった蓮井さんは京都で若いシェフと運命の出会い

 蓮井ひとみさんは、香川の専門学校を卒業後、愛媛に戻り、大学の病院で看護師として3年間勤めた。その後、兵庫県西宮市の個人病院に大学の先生に紹介され一年ほど勤務した。実は、その頃、看護師を辞めて別の職業に就こうと考えていた。 生計のため看護師を続けていたが、その途中でシェフと知り合う。

蓮井「香川にいた時に同期の友達が大阪にいた。その彼女を頼って大阪のレストランに行ったりしていた。ビリヤードがうまい子がいるということで紹介されたのがシェフ(蓮井哲也さん)でした。プールバー(ビリヤードができるBAR)というのが流行っていた頃です。当時の私は食べることが大好きで、彼と付き合い始めた時にビーフシチューを、彼が働いている京都のフレンチレストランから持ってきてくれて調理をして食べていた。私も甲子園に住んでいて近かったので付き合いを始めました。看護師をしながら京都の喫茶店で土日にアルバイトをしていました。シェフに会いに行くために。彼の料理がとても美味しくて一生食べられたらいいなと思った。私はナースでドクターに連れられ良い食事をよく食べてもいました。シェフの料理が凄く美味しくて料理人っていいなと思いました」

 そんな頃、三木町にある郊外型ショッピングセンターのフレンチを誰か経営しないかという話が持ち上る。フランチャイズでのフレンチレストラン。そのオーナーが3年後に辞めるということで後継者を探していた。京都でフレンチの修行している香川県の若者がいるという噂が持ち上がる。当時、蓮井哲也さんが働いていた京都のフレンチの店がなくなるということで次に働く店を探していたときでもあった。香川でオーナーシェフで店をしないかと声をかけられた。いずれは店を持ちたいと思っていた蓮井哲也さん。25歳でいきなり 店を持つということになった。

蓮井「彼は、躊躇はしたがショッピングセンターのメンバーさんの話を聞いてほだされ、後押しされたのかやる気になって、じゃあ香川に帰ってこようという時に、たまたま付き合っていたのが私だった(笑)。それで結婚しないとまずいだろうということで結婚しました。料理は習っていません。シェフから『(店では)笑っていればいい』と言われました(笑)。 食べるのは好きでしたが何の知識もなくて、何も知らなくていいからとポンとシェフに任された。彼は、まだ25歳だった。でも店に入るなら保証すると。担保も夫の自宅だけでいいと。知名度も力もあるショッピングセンターだった。当時は視察も多く来るようなところでした。それで2人でイチからの展開でした。10年間やりました。そして三木町に移転しリニューアルがイタリアン。それが『まんじゃーれ』です。カフェも始めました。スタッフはランチのときは4人。夜は二人でやっています。子どもは1人、現在、東京で俳優しています」

 蓮井ひとみさんがレストランを手伝い始めたころは、ワインの白と赤の区別がつかいほどの素人だったという。それでもお客さんに満足して帰ってもらえるよう、いい雰囲気を作れるように努めてきたという。そして10年。三木町に「まんじゃーれ」が移ってきた次の年から櫻井さんと意気投合して「まんマルシェ」が始まる。野菜農家、クラウト作家、 パン屋さんとかに呼びかけた。最初は10店舗ぐらいが集まった。

これまでの企画をまとめたファイルを前に蓮井さん(左)と櫻井さん(右)



蓮井「櫻井さんは将来のプランを考えそれを実現して行く。それを一緒に取り組む楽しさがある。野菜にしてもいろんな知識を彼女は持っている。地域をどう活性化して行くか一所懸命に考えている。彼女は私の持ってないものをたくさん持っている。私の新しい発見を彼女から得られる。彼女が進めていくものにわくわくするものがある。できることに限界はあるんですけど、彼女の気持ちに寄り添えたらいいかなみたいな、私自身はそういう思いです。 櫻井さんという人に興味もあり、私自身も彼女のことが好きであるっていう思いですかね」

◆香川県三木町で始まったイチゴの「らくちん栽培」

 櫻井さんの家族は、イチゴ栽培を行っている。規模は43a(アール)。 ハウスが13棟ある。8連棟と5連棟。ハウスに入ってみてわかったのは、8つのハウスが中で繋がり広々としたのが8連棟。5つが5連棟。栽培方法は、いまでは多く見られるようになった高設栽培。パイプを組んで腰の高さのところに栽培するようにポリフィルムで栽培槽を作り、液肥で育てる方式。腰をかがめず立ったまま作業ができるので「らくちん栽培」と呼ばれる。1996年、香川大学農学部の吉田裕一教授が、香川県農協、香川県、香川県経済連、香川県青果連、四国電力との共同研究で開発されたもの。
高設栽培は『香川型イチゴピート栽培システム(らくちんシステム)』と呼ばれている。

 その先駆けとなったのが三木町の櫻井さんのお父さん森本博弘さんのイチゴ栽培だった。今では香川県のイチゴ栽培の95%が「らくちん栽培」である。


櫻井「イチゴの出荷時期は12月から6月いっぱい。7月からは来シーズンの苗作りが始まる。忙しくなるのは、温かくなり収量が増える4月5月。もともとイチゴ栽培を始めた父(森本博弘さん)は農協の職員。「らくちん栽培」は各県で独自に開発されていて産学連携の走りだと思います。父が始めた当時は全国から視察で一日400人ぐらいお見えでした。そこから香川県の施設栽培が始まった。香川県が全国で多分、高設栽培(腰の高さにイチゴ栽培ができるようにした設備)が1番多いと思うんです。大学の先生がシステムを作られた。三木町内で実験実施をし、導入しようとするとすごくお金かかると言うのであまり普及が進まなかった。それを父が自分で農協を辞めてやると言うことで始めた。それで我が家はイチゴ農家になりました。若い人にも普及を始め、若い世代へと広がっていった。私が大学生の頃です」

 櫻井家はイチゴ栽培が主体。野菜は家庭菜園程度。イチゴの品種は女峰(にょほう)。イチゴの販売先は個人用と業務用に大きく2つ分かれる。業務用はケーキ屋さんやホテル。業務用は関東が多い。JAへの出荷は少ない。三木町自体が昔から 女峰を早くから取り入れていた。ケーキ用やホテルでの需要が多かった。業務用に合う品種ということで、櫻井家では女峰を作り続けている。昨年の年間売り上げは3500万円だ。

 女峰の品種登録は1985年。栃木県農業試験場で「はるのか」×「ダナー」の系統に「麗紅」を交配して育成。女峰は日光の女峰山にちなんで命名されたという。(果物図鑑より)。1990年代まで多く栽培されたが、1996年、大きく酸味が少ない「とちおとめ」が出て女峰栽培は少なくなっていく。
 ちなみに香川県では、品種構成は「さぬきひめ」が約76%、「女峰」が約22%、その他約2%となっている」。「さぬきひめ」は「とちおとめ」「さちのか」「さがほのか」から交配・選抜された。2009年に品種登録された香川県オリジナル品種。「香川県=讃岐(さぬき)」から名前がとられている。(JA香川県による)

櫻井「女峰は酸味があり甘みがありコクがある。1番生クリームに合うしが濃いのでタルトとかにも合う。ジャムにしても赤さが1番出る。イチゴの中でも赤い。それで東京からのジャム屋さんからも問い合わせが多くあります。注文がきたものを宅急便で送ります。大きいところではグランドハイアットのイタリアンカフェ『フィオレンティーナ』。 シェフパティシエの方が、都内のケーキ屋さんとお知り合いで、その方からご紹介をいただいた。都内のケーキ屋さんとの取引も6軒あります」

 出荷は毎日。圃場の43aのハウスを半分に分け、半々ずつ摘んでいく。パートさんは常勤で4名。後は忙しい時にスポットで入ってもらう方が4~5名。冬場は朝7時から、春は5時から作業が始まる。 基本は午後3時ぐらいに出荷も含めて全部終わる。早いときはお昼には作業は終わる。

櫻井「うちは白ちぎり(「青ちぎり」とも呼ばれ完熟前に摘むこと)はしない。完熟してからしかとらないので熟れすぎとかいうものも出てくる。そういのはジャムとか冷凍で出荷をする。捨てる果実は成らさないっていうが方針です。イチゴは1つの株から出てくるのですが、それを12月から6月まで収穫をする。だいたい10回から11回を繰り返す。最初のころは株が元気で実をたくさん成らせても 1つの実が大きい。しかしだんだん株自体が疲れてくる。そのために株のエネルギーを1定にさせるために身を減らし(摘果)ていって、負担をかけないようにしているんです。最初ほっておくと何10個にも成る。一番最初でも、7個にする。次には7、7、5、5、5、4、3、3 とかで10回か11回実をつけて終わらせていく」

 白ちぎりをするのは、市場に出荷し流通させるときに、出荷場・市場・問屋・小売店・スーパーなどを経由すると時間もかかり、完熟だと傷むからだ。そのために完熟前に出荷し、店頭で追熟で色がでてくるようにする。しかしうま味は完熟のようにはのってこない。櫻井さんのところでは直販で流通の時間と手間を省き、完熟でうま味が最高になったもの販売をしているというわけだ。

「例えば7つ実った時に、最初の3つは生食用です。サイズは3L以上です。1個1個ケースに入れる。デパート向けに選果する。あとの4つが業務用のLサイズMサイズ。それも株の状態によって実の大きさが変わる。台車に籠を載せて収穫するのですが、籠を三つ置いておいて贈答用、業務用、あと変形のものと、三つに分けながらちぎっていくんです。パートさんと家の者で手分けして選果する。そうすることで時間を短縮することができます。半分のパートさんは選果せずに、ずっとハウスで手入れする係なんです。効率の良い葉の面積というのが決まっていて、それが葉っぱが4枚から5枚。それに合わせるために1週間に1枚葉をちぎる。それをずっとシーズン中繰り返す。マニュアルは農協が作ったものがあるんですが うちは少し変えています。イチゴの3~4割ぐらいが ホテルやケーキ屋さん向け。後の6割が直接販売。ここのモールで売ったり、ハウスに直接買いにこられたり、ネットで売ったりしています。普段はハウスに来られる方も多いんです」

◆マルシェに集まる人たちがコラボレーションで企画が生まれる

 亜沙美さんは実家で農業をする以前は役所で働いていた。イチゴ栽培をするようになって、今までにないやりがいを感じていると言う。

櫻井「私は職業経験は多くありません。子供さんがいらっしゃるお客さんから「すごくおいしかった。ありがとう」と言われる。感謝の言葉をもらうことは公務員の時は少なかった。イチゴは幸せな商品だなあと、すごく今でも思うんです 。1つの食べ物なんですが皆さん買った後にストリーを聴くことが多くて。「おじいちゃんに『死ぬ前の食べたいのがここのイチゴ』と言われていたとか、「子供が遠いところにいて、今度、帰って来るから食べさせたい」とか言われることがある。これが結構やりがいに繋がるんです」

 櫻井さんのイチゴハウスの目の前に「まんじゃーれ」がやってきた。店には、いろんなお客さんが訪れる。そこに設計士、デザイナー、クラフト作家など、気心の知れたモノ造りの仲間が自然に生まれる。

櫻井「野菜を欲しいとか、お取引先さんに言われて集めたりもしていた。それで、 ここの場で人が交わり、みんなとマルシェができるといいねと話していた。駐車場で野菜や果物とかを販売をしようという話は出ていた。ここを立ててくださった設計事務所の六車誠二さんは、杉の木を使い、釘も木を使って、全てが土にかえるっていうコンセプト。民家でも採用されていた。その方にお願いしたくてお店を建ててもらった。将来マルシェを作りたいのでそのスペースを作りつつ、準備してほしいとお願いしました。「まんじゃーれ」さんもレストランを建てる時から、マルシェ展開を考えた上で敷地の前面に広い空間を空けて建物作ってくださっていた。
 役場の方にも地域の調整や補助金のことを教えていただいたりしました。「IDO MALL」自体には補助金は入っていなくて、建物だけで言うと3500万円ぐらいかけて作りました。「まんマルシェ」は7年ぐらい続けていまして、そこに集まる店舗さんを中心に季節開催で年に3回ぐらい。最初は小さかったんですが、だんだん増えて30店舗ぐらいが出展してくださるようになり、毎回、1000人ぐらいお客さんが来る感じになった。ここから飲食店が生まれた。デザイナーの徳丸成大さんという方もいらっしゃって、ボランティアでチラシをデザインしてくださって、トータルのデザインもしてくださった。 こうして2019年12月に「IDO MALL」ができました」

イベントのチラシ

 櫻井さんたちは、「IDO MALL」で、子供たちの食のワークショップ、イチゴ摘みなどのワークショップを開いたりもしている。広場でサーカスが開かれたこともある。これから子供たちの料理教室の開催も計画されている。子供たちが地域の食材を知り、食べ方、味わい方、成り立ちまで学んでもらうというもの。さらにゲストハウスが計画されている。これには、せっかく来てもらっても泊まるところがなかったからだ。そのために、新分野展開をする事業者に国が支援する制度である経済産業省「事業再構築補助金」があてられる予定だ。
 実は、「令和4年度農村振興局関係予算概算要求の概要」(農林水産省)の予算書を観ると、そのなかに「農山漁村発イノベーションによる雇用・所得の創出」という項目があり、農業が観光や教育、さまざまな地域の人を繋ぐ活動に広げていくことが謳われている。まさに櫻井さんたちが行おうとしていることは、地域に持続的な農業を創る未来の姿を形にしているともいえるだろう。

「令和4年度農村振興局関係予算概算要求の概要」(農林水産省)より



 実は、インタビューのあと、みんなでハウスを訪ねた。なんと、そこには亜沙美さんのお父さんである森本博弘さんがずっと待っていてくださった。ハウスの栽培の仕組みを教えてくださったのだが、これが実に緻密。パイプを組み立て、その上にイチゴ高設栽培用の細長く袋詰めされたピートモス(苔や植物の堆積から作られた培地)が繋がるように配置されていて、そこでイチゴ栽培されるようになっている。培地には細い管あり、そこから水と液肥を送るようになっている。培地に水が溜まらないように、下に管があり、排水もされる。

 森本さんの手元には、大きな台帳があり、そこには毎日の栽培記録があった。室温、排水の濃度などの記録が詳細に書き込まれている。その日の気温、日照によって温度が変わる。栽培に適した温度調整。液肥と水をやり、排出される濃度で、イチゴ栽培に適量になっているか調整する。これを毎日チェックした上で栽培をしているというから、まさに科学者のよう。人気の女峰の裏には実にきめこまやかな気遣いがあった。

イチゴ栽培を説明する森本博弘さん

袋に詰まったピートモスを使い栽培がされる



まんじゃーれ https://mangiare1999.com/
苺ファーム森本 http://www.ichigo-morimoto.com/
香川県木田郡三木町 https://www.town.miki.lg.jp/