エメリン・パンクハースト (小さなひとりの大きなゆめ)

著者:リスベット・カイザー

ほるぷ出版( 2022/03/11 )

ほるぷ出版が「小さなひとりの大きな夢」と題して「はじめて読む伝記絵本」シリーズを刊行しています。ガンディーやマーティン・ルーサー・キングと並んで女性もいろいろ。マザー・テレサ、マリー・キュリー、ココ・シャネルなど。その中でわたしは19世紀イギリスの戦闘的な婦人参政権論者、エメリン・パンクハースト(1858-1928)の巻の翻訳を担当しました。
その日本語版に書いた解説を版元のお許しを得てご紹介します。本文はどうぞ手にとってごらんください。

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エメリン・パンクハースト(1858-1928)
 エメリン・パンクハーストはイギリスの「女性参政権運動」のためにたたかった、勇敢な女性です。エメリンが生まれた時代には、女性は大学へ行くことも財産を自分のものとして持つ権利も、そして参政権も与えられませんでした。
 参政権って何?主権者として政治に参加する権利のこと。主権って何?自分の属する社会の主人は自分自身だという、他のひとにゆずりわたすことのできない大切な権利のことです。かつては王様や殿様が主権者である社会でしたが、17世紀以降、近代になってからのヨーロッパや日本では、「国民主権」といって、国民のひとりひとりが政治に参加する権利を持つ民主主義の社会がふえました。主権者になると、政治家を選ぶ権利(選挙権)や政治家として選ばれる権利(被選挙権)があたえられます。しかし、女性は長いあいだ、その「主権者」にふくまれていませんでした。女性にも同じ権利を、と求めたのが女性参政権運動です。
 イギリスの女性に参政権が与えられたのは第一次世界大戦後の1928年でした。世界ではじめて女性の参政権をみとめたのは、1893年のニュージーランド(被選挙権は1919年)です。ノルウェー(1913年)、デンマーク(1915年)、ドイツ(1919年)と続き、アメリカ合衆国(1920年)、フランス(1944年)、イタリア(1945年)、そしてヨーロッパでいちばん遅かったのはスイス(1991年)です。サウジアラビア(2015年)などイスラム圏の諸国では、女性参政権は21世紀になるまで与えられませんでした。
 日本の女性参政権が実現したのは1945年。そのために生涯を捧げた女性が「婦人参政権獲得同盟」(のちの婦選獲得同盟)をひきいた市川房枝さん(1893-1981)でした。1945年の実現に先だち、第二次世界大戦前の1931年には、市川さんたち女性の熱心な運動によって、女性参政権を認める法案が衆議院を通っていましたが、貴族院の反対を受けて成立しませんでした。女性参政権は、日本がアメリカに負けたからアメリカが日本女性にくれた贈り物だと考えられていますが、それは事実ではありません。
 では、イギリスで女性参政権運動はどのようにおこなわれたのでしょうか? 議員を通じて議会へ要求するようなおだやかな運動もありましたが、エメリンとむすめたちは新しい戦闘的な女性グループを立ち上げました。それは「言葉より行動を」というかけ声のもとに、破壊活動や放火などをためらわないものでした。警察につかまると、命がけのハンガー・ストライキ(断食して抗議すること)で抵抗しました。その活動の様子は、映画『未来を花束にして』に描かれています。  女性参政権運動と戦争は、大きな関わりがあります。第一次世界大戦が始まると、エメリンたちは国家に協力ました。20世紀の大戦は、男女を問わずあらゆる国民が参加する総力戦であり、兵士にとられた男たちに代わって、そのしごとをしたのが女性でした。やってみるとほとんどのしごとは、女性にもできることが証明されました。そうやって女性が国家の役に立つことを示して、女性の権利を認めさせていったのです。
 日本でも第二次世界大戦のときに、市川さんたちは積極的に戦争に協力しました。そのため日本が戦争に負けたあと、市川さんは戦争責任者のひとりとして4年近く公の役職につくことがみとめられませんでした。女性の権利を獲得するためとはいえ、まちがった国のやり方に女性が力をかしてしまう危険があることは、覚えておいてください。また戦争が終わった後、男性が戦場から帰ってくると、せっかく戦争中に多くの女性が仕事をやりとげ自信をつけたのに、さまざまな職場から女性はふたたび追い出されてしまいました。
 日本の女性が参政権を行使(権利を得て、実際に用いること)してから今年で80年近くになります。女性が参政権を得て有権者になってから、日本の政治はよくなったでしょうか? いまだに日本では女性の政治家がいっこうに増えません。女性の有権者は、選挙権(選ぶ権利)は行使するのに、被選挙権(選ばれる権利)を行使していないからです。参政権がない時代には、まちがった政治に女性は責任がありませんでした。でも、いまの政治のあり方に問題があるとすれば、その責任の半分は女性の有権者にもあります。女性が参政権を得てからも、ちっともよくならない日本の政治を目の前にして、市川さんは亡くなる前に、こんな言葉を残されました。
「権利の上に 眠るな」
 先輩の女性たちが苦労して手に入れた権利をあたり前のものと思わず、あなたが生きている社会と政治をよくしていってほしいという願いをこめた言葉です。
(了)
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