「ジェンダーと教育」レポート」 さんご

「教育とジェンダー」というテーマで思い出す事が2つあった。1つ目は中3の時、県内の進学校を一緒に目指していた友人が、受験を目前にしたある日志望校を下げる事にしたと言う。成績の問題でない事は明らかで、理由を尋ねると「進学校にいるお兄ちゃんが将来家を離れるから、両親に志望校を下げろと言われた」と告げられた。全く理解できない私にモヤモヤを残して、彼女は私と別の高校に進学した。
2つ目は薬学部4年で研究室に配属された時の事。私は講義の雰囲気から憧れていた准教授の先生がいる研究室を選び、先生から研究指導を受けたいと考えていた。その研究室では、准教授や助教、博士課程の先輩達の下で4年生が丁稚のように研究活動を行うのが常だった。研究室生活が始まった数日後、研究テーマを選ぶために配られた紙には、先生の名前の横に「4年男子希望」と記載されていた。「博士課程に進学する学生が希望だから」という理由で。私はモヤモヤを抱えたまま先輩の丁稚になった。
教育現場がジェンダー観に大きく影響する事は明らかで、男女混合名簿にする事、教科書における無意識の男女役割の刷り込みを排除する事、制服の自由化への動きなど近年では確かに改善としての変化は見て取れる。1947年に教育基本法が制定される以前においては、男子と女子で受ける教育カリキュラムが全く違ったというのだから、その時代に比べれば大きく変化したのだろう。それでも、今なお校長先生には男性が多く、大学の教授会も男性だらけで風景は変わらず、生徒・学生達の無意識下に序列を刷り込んでいく。2022年になっても、教育機関にとって大事な意思決定は男性主導で進められているのが現状だ。「結局タテマエ上の変化だけなんじゃないか?」と考えた時、上野先生がある本に書かれていた「(ホンネの変化までは期待できず)タテマエの変化が限度だと考えている」という文言が思い出された。私がそんな事を考えている中、「タテマエでなくホンネを変えるにはどうしたら?」と尋ねた受講生に木村涼子先生が精一杯くださった回答は、きっともう一つの講義レポートに記載があるだろうと期待している。
結局、別の研究室に移って大学院に進学した私は心から敬愛できる先生に師事する事になる。その先生に「あなたは研究が好きで一生懸命やる人だから行ってみなさい」と大学教員になる道へと背中を押され、現在に至っている。先生の想いと期待を大きく裏切って、教員になって以降の私が受けたアカハラ、パワハラは記載する事もできない。けれど、そのサバイバーである私は、後進達にそんな思いをさせたくない一心でこの講義を受け続けている。
教育におけるジェンダー観への配慮として、上記したようなタテマエの改善はもちろん大事だろう。LGBTQへの啓蒙活動も大事だ。だけど、何よりも身近にいる親や指導者が「ホンネ」で、子や生徒、学生達の翼を折らないよう気遣う世の中であって欲しい。私が感じてきたモヤモヤを、学生達が「ひえ~!ザ・昭和って感じですね!」と、笑って遠い過去の出来事にしてくれる事を心から願っている。


「ジェンダーと教育」レポート 山本 悠

 僕は4月まで公立高校のソーシャルワーカーだった。いわゆる教育困難校に何校か通って、環境に様々な困難を抱えた生徒たちと話をした。僕はその仕事がとても好きだったと思うけど、結局仕事を辞めた。今回の講座での質疑応答の際、とある流れの中で上野先生に僕が言われた事がある。『あなたは仕事を辞めて逃げられるけど、子どもたちは逃げられないわけでしょう』。
 その通りだと思う。子どもたちは逃げられない。

 講座の中で歴史の話を聞いた。ほんの100年前、教育には女性差別が溢れていた。入れる学校、受けられる授業、目指す目標に男女差があり、女性は女性としての目標を押し付けられた。
 100年の中で、色々な歴史と戦いがあり、現代日本においては教育は性別の上でかなり平等になった。男女は同一教育の原則の元にある。小学校も中学校も高校も大学も、カリキュラムに性別で差はつけられない。自由意思の元、男女誰もが学びたいものを学ぶ事ができる。できなければならないという事になっている。
 10年前僕は高校生だったが、その時僕は学校で男女の教育上の差を感じたりはしていなかった。テストの点数にも、授業内容にも、そこから先の選択にも、男だから女だからと筋道をつけられてはいないと僕は思っていた。それぞれが自分でする選択に、少々の男女差はあったとしても、それはそれぞれが自分で選んでする事だ。
もっとも、僕の友人には『女の子なのだから大学にそんなにお金は出せない』と親に言われ、国公立以外の学校に行くなら就職、と言われていた女の子もいた。彼女の話を聞いて僕は『そんな家がまだ残っているんだな』と思った。
 今になって言えるのは、言うまでも無く『そんな家』も『そういう事』も残っているという事だ。そしてそれ以上に身近に、僕たちは自分たちの目に違和感として映っていない『男らしさ』と『女らしさ』に囲まれて育ち、自分たちもまたそれを押し付け合っていた。
選ぶ色彩、得意科目、話し方、立ち姿。制限される事だけではなく、『褒められる事で誘導される』事もある。生徒と距離を縮めるのが上手な教員が生徒に気軽に言う。『お前、そんなことしてたらモテねえぞ(笑)』。ある時、生徒が僕に聞く。『先生の彼女、先生にご飯作ってくれる?』
日常は積み重なるものだ。そうやって文系理系の男女比や、希望する大学の偏差値レベル、部活動の比率や憧れの職業等々、ふるまいに少しずつ差がついていく。自由な選択の結果として。
 今回の講座で、『hidden curriculum』(ヒドゥンカリキュラム)という言葉を初めて聞いた。表立ったカリキュラムの中にあるわけではない、隠れた教育課程の事である。性別役割に関する教育も、表立った平等への声掛けとは別に、小さな日々の積み重ねが偏った考え方を作っていく。
100年前の学生に『あなたは自分たちの生活に性別による差別があると思いますか?』と聞いたら、一体どのぐらいの人がはいと答えただろう。
『まだ残っている差別』も、勿論沢山ある。でも、『目につかない差別』はもっとたくさんある。すぐ隣にある。その積み重ねで『まだ残っている差別』は許されていくのではないだろうか。今回の講座で、そんな事を考えた。

 『差別はいけない』。そうだ、差別はいけない。『自由と平等が大切だ。』そうだ、自由と平等が大切だ。その事は誰もが教わる事だ。
でも、それは結局タテマエになってしまいがちだ。学校という場で『正しい事』を教えれば教える程、ホンネは影に沈み、タテマエが表面を滑っていく。違和感を覚えずに刷り込まれた考え方は、タテマエでは簡単に正しい事を唱える。でも一方で隠れたホンネで『やっぱり男らしい、女らしいって大事だよね』と言い、それを批判すると『オーゲサ』という事になっていく。『タテマエは勿論分かってる』からこそだ。
それでは結局意味がない。

 木村先生に質疑応答の場で、『タテマエじゃなく、教育の場で性別や差別の話をするにはどうしたらいいと思いますか』と聞いた。影に隠れたホンネの『hidden curriculum』を更新していくのだ。木村先生はその難しさと悩ましさと共に、ご自身の経験を話してくれた。
木村先生は一つの考え方として『conflictが必要』と言っていた。conflict(コンフリクト)は対立とか、衝突とか、矛盾とか、そういう状態を示す言葉だ。
 議論を呼ばない一つの正しさを教え込むのではなく、衝突を含んだ話し合いをしながら考えていく事で、本当の意味で差別や平等について考える。そうする事でそれは体感的な学びになる。
僕はそれに共感する。隣り合う人と感じ方の違いを話していく事は、自分が違和感を知る一歩目になる。それに僕は、その話で少し救われる気持ちにもなった。勿論、出来る事なら衝突なんてしたくないけれど、許されるなら僕も少しは衝突したい気持ちになる事がある。
 それから、上野先生から、一人一人の持つ体験を引き出す事の必要性について語られると共に、一つ意見が飛んだ。『そもそも今の子どもたちにとって、学校は言いたいことを言える安全な場所なのか』。
 議論をするにも体験を引き出すにも、押し付けではなく話し合うには安全な場が必要だ。言葉は間違う事も、言い過ぎる事もある。僕が『許されるなら衝突したい』と考える様に、許されないなら衝突はしにくい。
 大人がそんな事を言っている場合じゃないのかもしれないけど。学校はそういう場になれるだろうか。

  さて。
そんな風に問いかけておいてなんだけれど、僕は一度4月に答えを出してしまっている。
学校は難しい。難しかった。
 ソーシャルワーカーとして春まで複数の高校に勤めてきた僕には(あくまで僕の見てきた場所で)、上野先生の問いかけの答えが決まっている。『はい、学校は言いたいことを言える安全な場所ではありません』。
だって、生徒たちは自分の意見も経験も、学校内で話す事には常に微妙なバランス感覚を求められる。大人から、先生から、周囲の友人たちから。彼らはだいたいの場合周りから何かを期待されている。バランスを崩せば孤立してしまう。それは見える社会の狭い彼らにとって、世界で孤立する事と同じなのだ。何故そんな状態なのかというのは、色々な側面が重なり過ぎていて簡単に説明するのはとても難しい。
スマホだけでは自由にはなれない。

 僕がソーシャルワーカーを辞めたのは、訳の分からない事を言えば僕が同僚の中で一番生徒と話をするソーシャルワーカーだったからだ。
 生徒と話をするのは多くの大人たちにとって簡単な事ではない。生徒は一人一人違いを持った人間で、学校に来る意図も様々だ。『教えを請いに来た門弟』ではないし、大人が期待している様には動かない。それでも何とか関係性を作らなければ、こちらの話に耳を傾けて貰えない。仕事ができないのだ。それは言葉以上に難しい事だ。
 だから学校にいる大人は、子どもとうまく付き合えないと、優れたやり方を一方的に押し付ける事で良しとし始める。やがては一面だけを見て分かった気になる。子どもを見くびる。自分の事を守るためだ。大なり小なり、どんな大人もする事だ。相手の話を聞くよりも、自分の話を押し付ける方が簡単なのだ。子どもは子どもで何となく、大人に対して諦める。無言で話を円滑に進め始める。それでバランスが取れていく。タテマエの完成だ。
仕事に就いた一番初め、同僚たちに口々に言われた事がある。『生徒たち、皆色々難しい子も多いけど、一度話し始めると自分から話したいって子たちばっかりだから!』
これは本当だったけど、嘘だった。相談室に自分からやって来続けられる子たちは確かに『話したいって子たち』が多かった。でも、僕は学校内でウロウロと歩いて生徒たちと話すソーシャルワーカーだったから、様相は全く違った。誰もがそれぞれなりに問題を一人で抱え、そしてそれを誰にも言うことなく深く沈黙していた。沈黙と言ってもうつむいているばかりではない。時には笑って騒ぐことで彼らは沈黙するのだ。
そして大体の大人たちは、笑っている子どもたちが何かを抱えているとは思わなかった。物語の様に悲劇や葛藤があらわになるのはほんの一部だ。生徒は先生が望む様に分かりやすい問題だけをかかえていつも苦しんでくれているわけではない。だいたいはだらしなく狂騒的で、人の話を聞いてくれない。
でもそれは、本当は、色々な側面があるというだけだ。

大人の目に見えない側面を持った子どもたちは、大人の目から透明になる。
自分が相手の目には透明である時、その事を子どもは何となく知っている。
一番沢山生徒と話をすると、一番沢山透明になった生徒を見る。
僕はこれだけ言葉を作れるが、子どもは自分が苦しいのだという事を簡単に言葉にはできない。だいたい、それが苦しいのだという事をもし言葉にして引き受けたら、何が起きるか。
戦わなくてはいけなくなるのだ。理不尽な押し付けや無自覚な攻撃をそれと分かって不満に思えば争いになる。だいたいの場合それは、苦しくてしんどい弱者の戦いだ。だったら、間違っていると騒ぎ立てるよりも黙って静かにしていた方が良い。
だから、そういう風に言語化もしない。ただ笑う。ただ騒ぐ。ただ諦めている。
透明にされた彼らの話を聞き、それを言葉にしようとするのは、その戦いを代わりに引き受けるという事だ。それはとても大切で楽しく、筆舌しがたい地獄の戦いだった。
僕はしっかり先生方に嫌われていた。

耳を澄ませてお互いの話を聞く事は、簡単な事ではない。
タテマエではない性別と差別の話を教育現場でする事は、たぶん大きな問題をその背後に抱えている。
だけれども、だからこそ、その話をしようとするのは大切な事なのだと思う。目に見えず、黙っていた人たちが声を上げる社会は、今少しずつ作られ始めている。

最後に一つ、エピソードを書いて終わりにしたい。
僕が仕事を辞める最終日、ある学校で先生に怒鳴りつけられた。僕と生徒の距離が近いので、鬱憤が溜まっていたそうだ。
普段、その先生は生徒と気軽に話せる先生で結構生徒からは人気だったのだが、後から周囲で見ていた生徒が心配して、『あれは理不尽だったよ』と僕に声をかけてくれた。
生徒から『言いに行ったら』と話があり、生徒の一人に僕はふと、『君だったら先生に言いに行く?』と聞いてみた。
 彼は少し考えて言った。
『F先生とか、K先生なら話しに行く。でも他の先生ならしに行かない』
『どうして?』
『F先生とかは、正しいとか正しくないとかは置いといてとりあえず話は聞いてくれるから。だいたい他の先生は、生徒が何か言ってても結局「まあ生徒は生徒でしょ」って感じで対応するじゃん』

子どもたちはよく見ているし、よく知っている。言葉に出来る時、言葉に出来る相手がいるなら、素直に自分の感じたことを話そうとする子たちがいる。たぶん彼らは待っている。
子どもたちは逃げられない。子どもたちはその場にとどまって話をする事を待っている。
その事を、学校から離れてしまった今も、忘れてはいけないと思う。別に学校現場でなくとも、世の中戦う場所には事欠かないのだから。


「ジェンダーと教育」 レポート  楠田

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というのは説明するまでもなく、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉であるが、彼女は別の著書で「女は固定した現実ではなく、生成である。女を男と比較する場合も女を生成として捉えねばならない」とも語っている(2001年)。
 今回の講義を通して、“女”という生き様はいかにしてわたし達に根付き、刷り込まれ、強いられていくのかを改めて実感したように思う。生まれ落ちた瞬間にピンクではなくブルーの洋服を着せられ、人形ではなく車のおもちゃを与えられ、髪の毛を短く切り揃えられたとしても、義務教育というこの国に生まれたからには避けては通れないプロセスを経て、女は生成され続ける。もちろん、それはわたしという人間がこうして成人するために無くてはならない過程であり、豊かな環境で学ぶ機会を得てきた自分の幸運に感謝すべきである。しかし、わたしがこうして学問を納め、成人し、家庭を持つまでに通り過ぎた指導者のうち、一体どのくらいがわたしという人間を“生成”された女として捉えてきたのだろう、とふと考える。すると、少しの肌寒さを覚えるのだ。
 教育は人間を豊かにし、そしてそれは国を、社会を豊かにする。しかし、そこには希望ばかりではなく、隠れたカリキュラムのように規範としての人格を学ばせ習わせようとするメカニズムも共存する。たとえ疑問を抱いたとしても、規範から外れた者に対しての寛容さは存在せず、差別や分断が生じていく。質疑応答の中で、差別を解消していくための「対立の重要性」の話があったが、対立によって問題に対する当事者意識が生まれ、解消への糸口を模索するのに繋がるようなパラダイムシフトの経験は、残念ながらわたしの短い人生にはない。
 ダイアン・J・グッドマンは『真のダイバーシティをめざして 特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』(2017年)の中で、ダイバーシティを実現するためには、マジョリティ集団が自身の特権の喪失への抵抗に耐えつつ、その特権や抑圧がマイノリティに及ぼす影響について学び社会的公正を目指していけるよう教育していく必要があると詳細に記述している。一方で現実社会を見渡してみるとこれが容易ではないのも明白である。アテトーゼ型の脳性麻痺を持つ当事者でもある稲原美苗は、女性がマイノリティである理由について、日本社会における一致すべきモデル、すなわち日本人男性/異性愛者/標準世帯/健常者/大卒…etcといった家父長制から女性が周縁化されていることを挙げている。上記のような男性は量的には少数ではあるものの、日本社会はこういった規範に合った男性だけが特権を得るような社会システムを構築し維持してきた。つまり、マジョリティとマイノリティとは、単なる数の大小の問題ではなく、規範と規範から外れた集団を指している。社会構造について真剣に考えていると至極当たり前ではあるものの、マイノリティ=少数という安易な認識は情報社会の中の至る所に見受けられ、流行に肖ったダイバーシティやジェンダー平等の訴えの前で時折立ち止まって振り返る必要があると、あらゆる場面で痛感してしまう。
 ジェンダー平等や女性の地位向上について、あくまでわたし個人の経験に基づいた見解ではあるが、特権を持つ側である男性は「対立」に直面すると分断や排除を選択しやすい。それは個々人の良識に任せられるような代物ではなく、平等や差別撤廃を訴えるような良きことを為す人々の間でも起こりうることなのだから閉口する。しかし、自分達が産んだものには自分達で変えることができる余白がある。変えるためには、刷り込まれ生成された「女」という役割を、女性自身が見つめ直し、問い続け、そしてそれを社会に発信し続ける必要があるのではないだろうか。上野塾長が初回の講義で語った「女性学は当事者研究」という言葉はわたしにとって宝物だ。
 フェミニズムを学ぶとき、わたしはいつも「巨人の肩の上に立つ」という言葉を思い出す。わたしが今、自分の中の「女」を見つめ直し、問い正し、少しでも自分にとって良い人生を歩もうと努力し続けられるのは、時代の潮流の中で「女性」が生成された歴史に疑問を投げかけ、訴えてきた先人達の恩恵である。礎を築いてきて下さった先輩たちに感謝をしつつ、わたしはこれからも自分の学びを深めていきたいと思う。

 最後に、講義をしていただいた木村先生、上野塾長、運営スタッフの皆さまに心よりの感謝を申し上げます。
 未熟な文章で恐縮ですが、最後まで読んで下さりありがとうございました。

<引用・参考文献>
ボーヴォワール,S(2001)『第二の性』を原文で読み直す会[訳]『[決定版]第二の性Ⅰ−事実と神話』新潮社
グッドマン,D(2017)出口真紀子[訳]『真のダイバーシティをめざして 特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』上智大学出版
稲原美苗 他(2020)『フェミニスト現象学入門 経験から「普通」を問い直す』ナカニシヤ出版