島根県雲南市木次町東日登にある木次乳業(きすきにゅうぎょう)は、パスチャライズ( pasteurization 低温殺菌 )牛乳や、ナチュラチーズを始め、牛乳から生まれるプリン、アイスクリームなどの製造販売で知られる。
 ブラウンスイス牛を日本で初めて乳牛として導入し、山へ放牧をして山地酪農を実施した会社でもある。さらに町の養鶏家やワイン醸造家などと連携をして、自給自足の街づくりを推進してきたことでも知られる。
 木次乳業の製品は、かつては島根県内のみで扱われていたものだが、やがて、大阪、京都などへ広がり、いまでは東京都内の大手デパートやスーパーにも商品が置かれるようになり、全国に多くのファンがいる。商品を関西から東京へと広げてきたのが同社取締役営業部長の加納一美さんだ。彼女とは11年前に木次乳業の取材を通じて出会い、以来、毎月のように東京に出かけては商品の良さを地道に伝える姿に注目してきた。

会話とはいかに情報を渡すかです

 そんな加納さんと久しぶりに再会したのは、幕張メッセ(千葉市美浜区)で開催された「第56回スーパーマーケット・トレードショー2022」(2022年2月16~18日)でのこと。スーパーマーケットや全国各地の食品会社が出展する商取引の場で、木次乳業は、島根県(しまねブランド推進課)のブースに出店していた。売り場で商品紹介をしていたのが法被を纏った加納さんだった。声を掛けたら「よく覚えていてくださいましたね。嬉しいです」と加納さん。そこから会場の近くの喫茶店でインタビューが始まった。

売り場に立つ加納一美さん

スーパーマーケット・トレードショー会場

 スーパーマーケット・トレードショーに置かれていた木次乳業の商品は、牛乳やチーズや生卵など。後日お送りいただいたのだが、どれもなんともやさしい味わい。口のなかにミルクのうま味が膨らんで、気持ちがなごむというか、おだやかになるような至福感で満たされる。牛乳って、卵って、チーズって、こんなにも豊かにも味覚も香りも触感も広げてくれるものだと改めて発見する嬉しさが溢れる。木次乳業ファンが着実に広がってきた理由を素直に納得した。

 木次乳業はスーパーマーケット・トレードショーには10年以上出品しているという。「すごく珍しいものとか、その地域にしかないものはその場で商談が決まることが多いですが、牛乳は『即決』とはなかなかならないです。どこの店舗でも牛乳は置かれていますので、棚が空かないとうちの牛乳を入れてもらえません」と加納さん。 そのため大切にしているのが、「印象に残る会話をする」こと。「こちらが忘れてしまうくらい時間が経った頃、3~4カ月後に問い合わせの電話がかかってくることがよくあるのです。『あのときの説明を覚えていてくださったんだな』と思い、会話というのはいかに相手の心に届く情報を渡すかだと実感します」
 では加納さんは、どんな説明をするのか、尋ねてみた。

「製造法や牛の種類の異なる、3種類の牛乳を飲み比べていただきながら説明をしていきます」。
 製造法の違いとは、まず殺菌法。一般に販売されている多くの牛乳は120℃を超える高温で殺菌されている。高温のため殺菌時間を数秒に抑えることのできる効率的な製造法だが、風味が落ちてしまう。そこで木次乳業ではパスチャライズ(低温殺菌)がとられている。63~65℃の熱を30分間、もしくは72~75℃の熱を15秒間加える殺菌方法で、牛乳の滋味が豊かに残る。
 次に、牛乳の攪拌の有無。牛乳は乳脂肪があり、そのままにしておくと、自然に表面にクリームの膜ができる。一般には取り扱いをしやすくするためにホモジナイズ(攪拌、ホモ)して均一化することが行われている。ノンホモとは、ノンホモジナイズ、自然に入っている乳脂肪を均一化しない牛乳だ。木次乳業ではホモに加えて攪拌しないノンホモを行っている。どちらも良さがあるが、昔ながらの牛乳らしい牛乳を楽しめるのがノンホモだ。
さらに、牛の品種によってミルクの味わいが異なる。木次乳業では、ブラウンスイスとホルスタインの2つの品種を飼っている。

 これらの組み合わせを楽しんでもらうのが、三種類の飲み比べだ。
「ホルスタイン、 65°で30分のパスチャライズをした、ホモ牛乳 」と「ホルスタイン、 72°で15秒のパスチャライズをした、 ノンホモ牛乳」。ホルスタインで一緒だが殺菌の方法が違う。「同じホルスタインでも、製造法次第で、味も風味も『本当にこんなに違うんだ』ということを実感してもらえます」と加納さん。
 さらに殺菌は全く同じだが ブラウンスイスとホルスタインと牛の牛乳の違いを味わってもらう。
「ブラウンスイスは飲んだときはあっさりした感じがする。『こってりした濃厚なジャージーのよう思っていたら、イメージが違うでしょう』と聞くと、『すごくさらっとしてるね』っていうふうに言われます。山の牧草を食べて育つとこういう味になるんです。色も違います。少し黄色っぽい。クリーム色。『草のカロチンの色が出るからなんですよ』と説明すると、『なるほど』と。さらに『ブラウンスイスは一頭あたりの乳量も少ないし頭数も少ないから 量産できないんです』とお話しすると、欲しがられるんです」

パスチャライズ牛乳
ノンホモ牛乳
ブラウンスイス牛乳

「会話をしていて、どんなことに興味があるのかなと聞いてて『 牛乳ねえ』とか言われたら、牛乳はどれも同じではないことを説明して飲み比べをしてもらう。なんでこんなに味が違うと思います? そこから話をしていくと興味を持たれる。うちの三種類の牛乳で味が違うとなると面白いなと思ってくださるんです」

 興味がわいてきたなと思ったら、乳牛についての説明を加えていく。
「乳牛は生まれた時から乳牛だって思っていませんかと尋ねると、みなさん『そうでしょう』って言われる。 オスとメスがいる。妊娠して出産しないとお乳が出ない。人間と同じなんです。そう言うと、けっこうびっくりされます。当たり前のことなんだけど気が付かなかったと言われる。年子のように毎年出産しないと通年で牛乳は出ない。出産の前に2カ月は 乾乳をするんです。(出産予定の2カ月前を目安に搾乳を止めること。健康な子牛を産むための体力を蓄えるために行う)。1 年間のうち、牛乳を絞れる期間は限られているんです」

「生まれてすぐは赤ちゃんだから妊娠もしないし出産もしない。お乳も出ない。ただひたすら食べるだけ。15カ月くらい経ってから体調をみて、種付けして妊娠して、そこから10カ月が経ち、出産して初めてお乳が出ます。『あ、牛乳ってそうやってできるんだね』って、分かっていただける」と加納さん。

「木次さんの牛乳って高いですよね」って言われたときは、「お水が牛乳より高いものがあるのに、おかしいなって思いませんか」と問いかける。「牛がたくさん餌を食べて出てきたものが牛乳なんです。酪農家が毎日お世話をして健康管理をして育ててお乳が絞れるようになるまでどう育てるかを説明すると『確かに安くできるわけないですよね 』と納得していただけます」

ブラウンスイス牛と加納さん

ホルスタイン



ブラウンスイスを放牧で育てる牧場がある

 木次乳業ではグループ会社に「日登牧場」がありブラウンスイスを放牧で約80頭を飼っている。
 ホルスタインの牛乳は地元の酪農家30数件からのものだ。牛は、藁や牧草を主体とした粗飼料と、トウモロコシや小麦など濃厚飼料を食べさせる。濃厚飼料は非遺伝子組み換え(Non GMO)の証明をとったものだけを使っている。社員とパート社員の合計約60名が働いている。他にワインを作る「奥出雲葡萄園」がある。現在、佐藤貞之さんが社長をしている。 

放牧で育てられているブラウンスイス

古民家を移築した食堂



「古民家を移築した農家レストランもあります。日登牧場の自治組織のおばさんたちが自分たちで作った野菜料理などを食べられます。もう一つの建物では若い家族の子供達を預かって自由に遊ばせたりする取り組みが最近始まりました。養鶏場もあります。もともと卵の生産者が二名いたんです。そのお二人の方と社長の貞之さんと私も参加して卵の加工品を作ろうということになりました。平成6年の事です。最初は卵油を作り、その後委託でフリーズドライの玉子スープを販売し、今は主な事業としては卵の黄身と白身を分ける割卵をしています 。その黄身を木次乳業におさめていてアイスクリーム 原料にしています」

お母さんたちが手掛けた料理の数々

 加納さんに木次乳業のことを尋ねると次の応えが返ってきた。
「好きなところはいっぱいありますが、まず商品が好きです。安心安全なものでできているということ。もともと創業者の佐藤忠吉さんが言っていたんですが、人様の口に入るものだから、いい加減なものは出さない。そこはとても重きを置かれていました。商売の金儲けを優先ではなくていいものを出そうと、そこに目を向けて努力をされている会社なので、そこがすごく気に入ってるところです」

 木次乳業を立ち上げと地域の地産地消と連携する取り組みの基礎を築いた佐藤忠吉さんのことは、作家・森まゆみさんの『自主独立農民という仕事 佐藤忠吉と「木次乳業」をめぐる人々』(バジリコ)という優れた著作がある。

小さい農家の多彩な農産物が売れる場を創りあげる

 加納さんと初めてお会いしたのは農林水産省の事業「地産地消の仕事人・現地検討会」(運営は、一財・都市農山漁村交流活性化機構=まちむら機構)がきっかけ。
 これは全国から推薦された地産地消で優れた取組を行っている組織を農林水産省がリストアップし、それをどう生かすかということから関係者が集められ、現地での合宿を通してノウハウを連携していこうと2011年から2013年にかけて全国数カ所で実施されたものだ。この委員会に呼ばれたおかげで、この連載にも登場していただいた愛媛県今治市「JAおちいまばり・さいさいきて屋」、長崎県大村市「おおむら夢ファームシュシュ」など、福島から長崎まで各地に出向くことができたというわけだ。

 この事業年度の最後の現地セミナーに選ばれたのが木次乳業のある島根県雲南市だった。というのはJA雲南が、中山間地の高齢者や小さな農家の農産物を、トラックで集荷をし、それを売る直売所や、Aコープ、スーパー、量販店など16か所に配達をすることで売上を8億円までにしたところだったからだ。
 この背景には、市町村と農協の合併で、中山間地の小さな農家の出荷できる場がなくなり、そこから逆に売れる場に持っていくという個々人の農家の農産物を安定して販売できるシステムが生まれたことがある。JA雲南は、1993年に10ヶ町村のJA合併により誕生した。また雲南市は、2004年に6町村が合併して誕生した。そんななかで大量に生産することができない農家に確実な販売と所得の道を開いたのである。

 現地コーディネーターをしたのはJA雲南の須山一さん。その須山さんが、案内してくださったのが木次乳業の1990年に生まれたブラウンスイスの放牧場。そしてぜひ会って欲しいと連れていかれたのが、集配システムのそもそもの大きな要となった松江にあるスーパー、イオン(当初は旧サティ)の店舗「モリモリ奥出雲」の責任者(当時)の加納一美さんだった。

 わずか10坪のスペースで、地元産の野菜や果物、地域の本醸造の醤油、地元産大豆の豆腐、手づくりコンニャク、チーズ、せんべい、餅、仁多米、バター、えごま油、唐辛子、など、地元の厳選された商品が並んでいる。ひと月500万円以上を売り上げていた。売り場はパートタイム、アルバイト8名でのローテーションで販売をしている。加納さんは、JA雲南・営農部の須山一さんとともに、小さい農家の農産物や加工品を安定して販売する場を新たに生み出したのである。商品を見ると地域から集まったものが地産地消で構成されていることも分かった。

モリモリ奥出雲の店頭に立つ加納さんと売り場(2011年当時)。

POS対応のためのバーコード打ち出しの機械。 (2011年当時)



 当時の加納さんがお話しされたことを再現すると、次のようだ。
「商品は2つあって、JAさんから集まる加工品や農産物。もう一つは、私が選んだものを木次乳業で買い取って販売をしています。農家さんの農産物や加工品は個々人のバーコードがついていて、POS(point-of-sale販売時点情報管理)システムでバーコードをレジで読みとり、各個人の売上がスマートフォンでわかるようになっています。お店には、県外からも来てくださりまとめ買いをされるファンの方もいらっしゃいます。梅干しは予約で購入される方もあります。赤飯づくりが上手な農家さんがいて、七五三にと予約が来たりする。そんなときには『予約入りましたよ』と伝えると張り切って作ってくださり、生産者の方もコメントをつけ南天の葉を添えたりされます。手作りの草鞋がよく売れたりもします。信頼関係がいちばん」

農家を集めての売れる野菜の講習会(2011年当時)

モリモリ奥出雲(2011年当時)

 売り場に、農家手作りの草鞋が置こうとすると、当初は売り場担当者から、「ここは食品売り場です。草鞋の販売はできません」と言われたそうだが、加納さんは、頑として譲らなかった。農家が原価を考えていないを思われる商品には、きちんと農家の手元にお金が残るように価格付けを行った。

「最初は原価もよく計算をしないで値段をつける農家もある。それで、原価を考えて値段を上げたりすることもあります。値段を上げてもお客さんはなにも言われない。生産者も売っていくなかで、指名が来ると、お客さんを離したくないから、よりいいものを作ってくださる。そうすると、お客様も納得してくださる。そして他の農産物や加工品を出す方もいいものを作ってくださるようになる。周辺もよりいいものへと自然になっていくものです」

 店舗は旧サティ時代から始まり、イオンになっても続いている。もともとは空きスペースがあり、地域のものを置いて欲しいと頼まれたことが始まり。最初は断ったのだが、何度も頼まれた。そのときに相談をしたのがJA雲南の須山一さんだった。

「1998年からのスタートでした。最初は毎週日曜日に一年間は店に出ていました。農家さんも売り場に連れて行き、どんなものが売れるのかを現場で知ってもらうこともしました。須山さんが農家の農産物を車で集めていました。売り場の什器もサティの倉庫にあった使われなくなった壊れた机や汚れた冷蔵庫などをもらい、修理したりきれいにしたりしてなんとか作っていました。当時は、出荷システムも支払いのシステムもなかったので集めて売ったお金の支払いをどうするかが課題でした」

   そんななか、POS導入が始まった。小さなバーコードシールを打ち出す機械を各集落に置いてもらい、そこからシールを農家が打ち出し個人の農産物に貼る。トラックを雇い集荷をして売り場にもっていく。そして販売されると売り場のレジでバーコードを読みとり、個々の売上を計上するというもの。国と県との補助、機械をまとめて購入することでバーコードを打ち出す機械も安く導入できた。POS対応のレジも80万円ほどだったという。
 こうして、個々の小さな農家が農産物を売れる場にもっていき、売上を把握して支払いもできるという画期的なシステムができあがった。売上の実績ができると参加農家は年々増えていき、2000年に539名の出荷農家だったものが、2012年には2783名にもなった。

民家を移築した食堂で地産地消の食を紹介する佐藤忠吉さん(2011年)

このときの直売の成功のポイントは、
①各集落の集荷場所を決めて農産物を集めてもらう。
②個々の農家は農産物を袋詰めしてバーコードを打ちだし、値段をつけたシールを張る
③JAが依頼をしたトラック便で集荷をしてAコープ、イオン、直売所、兵庫県の阪急オアシスなど、売れる売り場にもっていき販売をしてもらう。
④講習会を常時開催して、栽培法や、新しい品種紹介など、品目の安定した収穫ができるように個々の農家の学びの場を作るようにした。これは商品の質をあげ、売れる商品を作る目的でもあった。
⑤ときどき農家を販売の現場の連れ出し、どんなものが売れているか、マーケットを知ることを学んでもらった。
⑥栽培の上手な農家の見学会を行い地域間のノウハウの連携を作った。
⑦袋の詰め方、シールの貼り方など、直接消費者に販売をする荷姿のポイントを指導し、だれでもが売上向上につながるようにした。
⑧成績の良かった人の表彰、農薬を削減したエコファーマーを認定して、認定を受けたところは、価格を引き上げてもらった。
などがあげられる。
じつにきめ細やかな対応がされていた。

 JA雲南では売り場が広がっていくことになるのだが、商品を選抜し、売れる形を作りあげる基本を一緒に作りあげたのが加納さんだった。印象的だったのは、売り場に地元の飲み屋さんのママたちが朝早くから並び購入するというエピソード。つまりここの商品を使うと間違いなく美味しいものがつくれて、飲み屋で提供すれば、お客さんを喜ばせファンを作ることができるというわけだ。

「『モリモリ奥出雲』は今30坪ぐらいになっています。生産者も増えて売上も上がりました。今は観光パンフレットなんかも置いて地域の事も紹介しています。「モリモリ奥出雲」の担当は20年ぐらいしましたかね。会社では通常の仕事をして、お店のことも当たり前のようにやってました。めちゃくちゃ忙しかったけどやりがいもありましたね。一年間は休日はすべて「モリモリ奥出雲」に行ってました。 お客さんにすすめて美味しかった、買ってよかったと喜んでいただけるというのがすごく嬉しいかったです。地域の連携とか地域ぐるみということは、ずっと佐藤忠吉氏(当時の代表)が言ってきたことです。1社だけが抜きんでて良くても地域全体が潤わないと絶対ダメになってしまうということで、一緒にやってきたんです」

 加納さんは現地を歩き、確かめて、地元のいい食材を厳選するだけでなく、日常の身近な野菜や加工品を多彩に揃えることで、お客さんの日常の食卓に美味しいものが並ぶということがしっかり意識されていた。「モリモリ奥出雲」は、現在は、他の社員が担当している。が、今でも加納さんには、「いい蕎麦がほしい」「蒲鉾のいいのがないか」など、相談が持ち込まれたりする。探して、あるいはよく知っているところを紹介する。そのことで、お互いに連携にも繋がり、結果的に木次乳業の商品も売れていくといういい循環を生み出してもいる。加納一美さんは「人と人との繋がりを大切に」がモットーだ。

店頭に立ちティスティングを薦め味と背景を伝える

 加納さんが木次乳業に入ったのは平成元年(1989年)。もとは町役場の臨時職員だった。
「産業課にいて木次乳業がチーズ室の機械の増設の補助金を申請されていて、それにともなう事業のやりとりをしていた。図面をもって行ったり、書類を受け付けていた。当時、木次乳業の受注事務の方が出産予定で代わりの方を探しておられた。そんな頃、私が会社に頻繁に出入りをしていたので、そこで目を付けられたようです。私が知らないうちに佐藤貞之さん(当時の専務)が、町長と掛け合ってあの子が気に入ったから木次乳業に入れるので契約を切ってほしいと話をされていたようでした」

 当時は、佐藤忠吉さんが社長で貞之さんは専務だった。今は、三代目で佐藤毅史さんが代表となっている。貞之さんはもともと役場の職員だった。30代のとき家業を継ぐこととなった。役場につてのあった貞之さんは、加納さんに話をする前に、役場と「どうしても加納さんに来てもらいたい」と交渉していたという。加納さんは、同じ役場の人と結婚した。だが当時は、夫婦で同じ職場で仕事をすることは禁じられていた。そのこともあり、役場を離れることとなった。

「うちの主人も役場に勤めていて私より先に町長から話を聞いて知っていて木次乳業に入るような段取りになっていた。11月に結婚し翌年5月に木次乳業に入りました。木次乳業の受注事務の仕事の引き継ぎをしていただく方が1週間で産休に入られたので、そのときは本当に苦労しました。受注事務というのは、県外のお店の注文を聞いて箱にどう入れるか考え札を書いて製造にわたす仕事。当時はパソコンがなく箱計算や伝票を1枚1枚手書きで作る時代。総務課と製造課、配送課と農業部門はあるのですが、営業をする専門職はありません。営業部もなかった。忠吉さんが県外の営業のメインで貞之さんと一緒にされていた。県外の営業は経営者だけがされていて、ほかの人は一切していなかった」

加納さんは入社して間もなく電話の注文を受けるようになる。その際に、前の注文内容を確認すると同時に次の注文を確認し、さらに、ほかの商品があることもさりげなく相手に伝え、販売を増やすということをしていた。それが、貞之さんの目にとまり、営業へと繋がることとなる。

「地産地消の仕事人」の視察で牧場の解説をする佐藤貞之さん(右)そのすぐ左の書類を抱えているのが加納一美さん(2011年)


「当時、消費者団体グループのつきあいが多く、関西の消費者団体の年1回総会に、「ついてこい」と言われ貞之さんに連れていかれました。いろんな方に会ってお話をしたら、今後は半分営業、半分は受注注文をするようにと言われたのです。でも受注事務は毎日のことだから半分にするなんてできない。しばらく掛け持ちでしないといけなかった。それがものすごく大変でした。ほかの仕事で私が抜けたとき誰かが穴埋めをしなければならない。『営業の仕事なんかしないで』と現場では言われるし、営業サイドからは『あなたがしないと誰がするの』と、どっちつかずになった。仕事を家に持ち帰ってまでやっていましたね。どちらかに専念させていただきたいと言って営業になって営業課ができた。入社5年目の頃です」。

 それから加納さんの仕事は営業一筋となった。現在、営業専属スタッフは3人。うち女性は1人だ。ほかにルートセールスというトラックで商品を運ぶ人が11名いる。島根県を中心に広島、岡山、九州など車で行けるところと地元を男性が担当している。加納さんはそれ以外の県外を担当。佐藤忠吉さんが関西を中心に消費者団体と繋がりを築いていたことから、それを引き継ぎ広げていった。

京都の㈱安全農産供給センター(「使い捨て時間を考える会」)は今も唯一お付き合いが残っている消費者団体。ここは会社組織にしたから残った。ほかのところは会社組織にしていなかったので、やろうと言った人たちが年をとっていくとやがて解散されました。消費者団体が兵庫、大阪に4つくらいあって、みんな繋がっていましたた。そういう方面とあとはお店があった。パスチャライズ牛乳の販売をして1番最初に取り扱って下さったのが安全農産供給センターでした。忠吉さんが営業されたところです」

 大阪では、もともとある取引のある店で牛乳、ヨーグルトに加え、プリン、チーズとできるだけ商品の品数を増やして売り上げアップをはかることを行った。
「牛乳の宅配店を初めて大阪で作りました。大阪の販売店が扱う商品を探されていて、木次乳業に電話があり、たまたま貞之さんが電話をとった。その日に私は大阪出張中で貞之さんから会うように言われてあって色々話を聞いたのが始まりでした。当時は瓶牛乳は小瓶しかやっていなかったけど、要望されたのは大瓶で、それがきっかけでパスチャライズの900ML瓶を新たに作り、大阪に木次の販売店を作ることになったんです」

 瓶で配達をすると瓶の回収が必要になる。広島県呉市中央の運送屋さん「株式会社ムロオ」と交渉し配達し、そのあと瓶を回収するシステムを作ってもらう。そのルート上に販売店があると効率がいい。営業をして販売店は兵庫を含めて5軒となった。

「一番大きいところはお客さんを1500軒くらいもっている。小さいところ100軒あるかないか。 昔だと小瓶の毎日配達だった。それが小瓶を3日に一回、三本から五本という持って行く形に変わった。それでも冷蔵庫の場所をとる。そこから大瓶900MLを家族で飲むという風に変わった。それを週に二回配達というのが基本です。ひとりで飲むなら一週間に一本でいいと方もいてニーズにあわせ週1回配達というのも混ぜている。この牛乳と一緒に、ヨーグルトや卵、たまに正月お餅を届けるようにしている。そうするとお客さんも毎年当てにされるようになってくる。事前に注文をとってやることをしています」

 販売店にも売上が増えるようにギフト商品も組み込んだ。サラリーマンだとボーナスがあるが自営業にはない。 少しでも収入が増えて、販売店が潤うようにという配慮もあってのことだ。ギフトを知り合いに送りたいという人のためにチラシを作成。お客さんにギフトチラシを配り注文を受けて商品をこちらから送るように仕組みも作った。そうすれば販売店の売り上げも増えるというわけだ。

売り場の担当者と徹底したコミュケーションを築く

 加納さんは、月に1回は大阪、東京にきている。 3日から5日をかけて各店舗を巡る。今では、紀ノ国屋、明治屋、クイーンズ伊勢丹、ナチュラルハウス、クレヨンハウス、三浦屋、東急プレッセ、こだわりやなどで商品が扱われている。最初の取り組みは紀ノ国屋で行われた島根県ブランド推進課が手掛けた「島根フェア」。「出展しませんか」と県から話があり、加納さんは真っ先に手をあげた。20年以上前のことである。

「紀ノ国屋にはどうしても入れたかった。最初は佐藤貞之さんと出かけました。でも断られた。牛乳を運ぶにも2日間もかかり、それで扱いたくないと。物流がよくなったら来てくださいと言われました。尤もな話でした。そのあとに島根県から紀ノ国屋での『島根フェア』の話があり採用されて紀ノ国屋の店舗に立つことができた。間もなく物流がよくなりヤマトの宅急便で出荷日の翌日に届くようになった。その年から紀ノ国屋の島根フェアに毎年でることとなりました。お客さんも徐々についてくださり直接取引をさせてくださいとバイヤーさんにお願いし、やってみようかということになりました。クイーンズ伊勢丹は新宿の1店舗と取引があり、そこでのバイヤーとの出会いがあり地方のいいものが欲しいと言ってくださった。そこから多店舗展開をしました」

牧場の風景 

デパートやスーパー取引では、熱心な担当者が扱って売れるようになっても、人事異動があり人が替わると売れなくなってしまうとは、よく聞く話。加納さんにも尋ねてみた。

「チェーン店でも本部のバイヤーが入れると言ったらできる。ところが実際発注するのはお店の担当者なんです。現場の担当者さんが気に入らなかったら頼まなくなってしまう。それで本部のバイヤーだけではなくお店の担当の人にも営業をかけて回った。いろんな店で試食販売をして担当の人と仲良くなって味を見てもらう。『おいしいね』と言ってくださり、 お客さんの評価もよかったりして、 引き続き可愛がってくださいねと言うと長続きする。そこで担当が変わったとしてもお客さんがついているので簡単に切れないというわけです。お客さんがつくまでは各店を回って頑張っていく。お店の担当者は変わることがあるので一回行ったからいいやっていうふうにはいかない。話をしに行くと『じゃあ試食販売をして』って言われるので受けてやっていました。大体2日とか3日やります」

「 試食販売をするとほぼ動けない。お店に貼り付いてないといけない。だからほかの店に一切いけない 。交通費・宿泊費かけても一店舗で牛乳の売上というのは知れている。そればかりをやると会社の方が赤字になってしまう。最初は自分で広げてその後はマネキンさんにお願いする。マネキンさんも自分の気に入った人で一緒にやって社員同様に説明ができるような方に立ってもらう。そうすると朝だけ店にいて打ち合わせをしたら。後の時間は私はほかのところに歩けるわけです・非常に効率が良いので 当分そうやってました」
マネキンとは人材派遣の専門会社から派遣される人のこと。
「紀ノ国屋さんとかになるとマネキンさんも売り場や商品のこともよく知ってるベテランの人が入っている。『バイヤーさんが変わったよ』とか教えてくれる。結局人と人の関係ですよね。『木次乳業のことを加納さんから教えてもらってあの牛乳しか飲めなくなっちゃった』と言ってくださってプライベートでもお付き合いしたり。ご飯食べに行ったりしてます」

 加納さんの営業の力を支えているものは、地元の農業の力だ。結局は、どんなに都市が栄えても、そこで食べられる食は地方からのもの。いい食材を地域で揃えれば結果、都会でも売れるということを木次乳業は教えてくれる。お互いが助け合い、豊かで持続できる仕組みが築かれている。

「農業を大事にしています。地域の方と一緒に地域ぐるみでいろんなことをしようとしているんですね 。一人とか一社でやろうとしても地域全体で良くならないと発展して行かない。 農業や酪農を通して、それぞれの人の気持ちを理解して一緒になってやろうと言うことがすごくいいと思いますね」

 酪農に関しては地域の30軒あまりが協力をしている。そのためのヘルパー制度がある。導入は30年前。家族経営での酪農家ではなかなか休みがとれない。そこで酪農家さんの代わりに働ける人代行するというもので木次乳業が最初に始めた活動だ。いったんヘルパーさんに社員になってもらい仕事を覚えてもらい各酪農家と顔合わせを行い仕事を助けてもらうというもの。そのあとJAでも取り入れられてヘルパー制度が定着した。

「従業員さんを雇わずに夫婦でやっていらっしゃる方が多い。娘が結婚式だからと言って乳を搾らないというわけにはいかない。そういう時にヘルパーさんがいるとその日に乳を搾って餌を与えてくださる。最初にヘルパー制度を導入するときは木次乳業が酪農家さんのためにそれをしなきゃいけないということで、こちらで面接をして酪農家さんのところも何軒も回って農家さんの気に入った人でこの人なら任せてもいいという人を知ってもらいました」

平飼いの鶏

卵は平飼いで健康な鶏から育てている

 加納さんが販売しているものにはチーズもある。これも売り場にたってみると、1800円のプロボローネチーズしかなかった。なかなか手にとってもらえない。そこで小さいサイズの手ごろな価格のチーズを作って販売につなげるようにもした。また養鶏からの卵や、そこからのプリンなども手掛けている。

「卵は平飼いです。卵は入社してからずっと担当だった。いきなり卵担当にさせられて最初は戸惑いました。その時、養鶏家さん(故人)が、すごく可愛がってくださって色々教えて頂いた。卵のことが詳しくわかって卵を強く推すようになりました」。
卵はゼロ日齢と言う生まれたばかりの雛を導入している。 「生まれて一日ぐらいは何を食べなくても雛は生きていけるから、生まれると同時に飼い始めれば、一生涯の食べ物の管理ができるわけです」。
卵を産むようになった鶏から飼うのが養鶏家にとっては一番簡単。でもそれまでにどういう飼い方をされて、なにを食べていたかわからない。
「つまりゼロ日齢で入れるということは一生涯のその鶏の食べ物の管理ができているということです。もう一つは、雛の時から平飼いをしているから飛び跳ねてとても元気なんです。卵を産み始めるまでに四、五カ月かかる。それまで鶏はただ餌を食べるだけなんです。その間に病気して死んじゃったらもうアウトですよね。餌のこと水のことをずっと説明してします」

生みたて卵

 スーパーで安く売られている鶏の卵の多くはケージ飼いといって、狭い籠で何段も積み重ねたところで大量に卵を生産できる仕組みになっている。
卵が安いのは大量に飼育できるからだ。全体の9割以上を占めていると言われる。採卵鶏の戸数は1880戸。1戸平均7万4800羽が飼われている。うち10万羽以上を飼っている農家は334戸となっている。年々農家戸数は減り、大型化の傾向となっている。(農林水産省・鶏(採卵鶏)の飼養動向 令和3年

「通常の鶏のケージ飼いは檻の中に閉じ込めているので、一生涯走ったこともなければ自由に歩き回ることもしてない」。食べることと卵を産むことしかしない。
檻を何階建のビルのように上に伸ばすことでたくさん飼える。一方、平飼いは鶏が運動する面積がいるので多くの羽数が飼えない。
「鶏は運動するところにエネルギーを使うので一日1個も卵を産まないんです。説明すると皆さん『その卵が食べたい』とか言われる。相手に自分が思っている気持ちを共有してもらう話をしています」

 実際、いただいた卵は、スーパーでよく売られている一般の卵と比べ、黄身の弾力性もあり、まったく異なるようなうま味と味わいと風味とまろやかさをたたえていた。

「チーズについては熟成の過程の味の違いを説明します」と加納さん。
今ほとんどのチーズは熟成を途中で止めてあるものが多い。「本物のチーズは熟成をしていくので味の変化が楽しめます。 最近、有楽町の島根県のアンテナショップ『日比谷しまね館』で学生の企画で一緒にコラボして商品紹介をしました。お店の売り場にはチーズが結構古いものが残っていて、私が持ってきた新しいチーズとずいぶん日に賞味期限に差があった。そこで熟成の違いの味わいをお客さんに説明したんです。」
「『チーズを買って帰りたい』とお客さんに言われたときに、『いつ召し上がれますか』って聞いて、『すぐ食べらんだったらこれが一番おいしいですし、 ちょっと先に食べるんだったらこれがいいですよ』と言ったら『すぐ食べるから』と賞味期限が短いものを買ってかえられる。
お客さんが一番おいしいと思われるように薦めてあげると、賞味期限が短いからと値引きするっていうようなことがなくなる。
お店の人もすごく喜んでくださった。『賞味期限切れの商品が全然なくなったわ』って言ってくださった」。
チーズの説明をして理解をして購入していただくとすごく喜ばれるという。「うちはチーズを社内で作っているので食べ比べとかしたら同じものが変化していくっていうのがわかります。その日の 気温とか湿度によってもチーズづくりは調整していかないといけない。チーズ職人の仕事を私は現場で見ていて知っているのでお客さんに伝えるわけです」

「 チーズは牛乳をぎゅっと凝縮し 1/10にしたものなんです。 チーズが美味しいということは いかに原乳がいいかという証明になる。 原乳がよくないと凝縮した時に悪いところが目立ってくる。 嫌な苦味が出てくる。 おいしいチーズを作れる原乳を持っているということは一番大事なんです。 ナチュラルチーズというのはパスチャライズ 牛乳からしか作れない。うちの強みなんです。 そういうことがなかなか理解していただけないので、 いかに原乳の質が良いかということを ストーリー的に説明すると ファンになってくださる確率が高い」

 加納さんの話には、木次乳業と地元の食への愛が溢れている。足元をしっかり固めていけば、外に広がることも、地域に人を呼ぶ力になる。なにより地域での持続的な社会を創っていける。そう思わせた加納さんたちの取り組みだ。