昨年は、訃報が続いた。それもわたしの敬愛してやまない人たちである。そのひとり森崎和江さん(1927-2022)が昨年6月15日に亡くなられた。享年95歳。
『現代思想』が11月臨時増刊号を総特集で森崎さん追悼集に充てた。そこに寄稿したエッセイを、版元の許可を得て、以下に転載する。
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わたしたちはあなたを忘れない
『森崎和江コレクション 精神史の旅』全5巻[森崎2008-2009]が刊行されたとき、頼まれて推薦文を書いた。
まだリブもフェミニズムもなかった頃。
おんながおんなの経験を語るおんなだけのことばが、喉から手が出るほどほしかった。
そこに蜘蛛の糸のように降りてきたのが、森崎さんの紡いだことばだった。
ジェンダー、セクシュアリティ、ポストコロニアリズム…最近になってカタカナで知られるようになった知識のすべて
が、自前の言葉で語られ、生き抜かれている。
このひとには、男のつくった学問も外国からの輸入学問も必要なかった。
このひとからどれほどの衝撃を受けたことだろう。植民者として朝鮮の人と風土に育まれたことの原罪意識。植民地朝鮮の男たちの視姦的なまなざしが彼女を女にしたこと。戦争中に英霊になれない屈辱を少女が味わったこと。妊娠中のおんなが「私」という一人称を使えなくなったこと。出産して身ふたつになったとたんに、赤児に「あなたはあなただけのもの」と呼びかけたこと。閉経してからの性を、「子をなさなくてもよいのびやかな性」と述べたこと。…女が自分の経験をこんなに繊細に、そして犀利に表現したことがあっただろうか。
植民地朝鮮で生まれ、異郷であった日本で敗戦を迎えたとき、これまでの男のことばは一切信じまいと決意した。女とは何か、に向き合い、女とは何者かを世に伝えるために書いた。植民者であった歴史に向きあい、日本とは何かを探し求めた。
女とは誰か、日本とは何か、を考えるとき、森崎さんの格闘したことばの数々が、わたしの前にあった。それがどんな救いだったことか。
日本のリブ以前に、森崎さんという女性がいて、たったひとりで徒手空拳の格闘をしてくれていたことを知って、どんなに励まされたことか。
うんと若かった頃。
未知のひとだった森崎さんに宛てて、長いながい手紙を書いた。持ち歩いて、ついに投函せずに終わった。男との葛藤に苦しんでいた。
同じ頃、わたしと同世代の女たちのなかには、大きなおなかをかかえて、森崎さんの筑豊の家を訪ねた者もいた。予告もなしに訪れた彼女たちを森崎さんは黙って受け容れ、食べさせ、泊まらせた。息子さんの話によれば、家にはいつも見知らぬひとたちがいた、という。
若い女たちは、行き暮れていた。
「わたしも行き暮れていたのよ」と森崎さんは言う。
それから20年後。1990年になってわたしは初めて森崎さんと対面した。
創刊したばかりの『ニュー・フェミニズム・レビュー』[上野1990]の第1号、それも「恋愛テクノロジー」と題した特集号の責任編集者として、巻頭の対談に臨んだのだ、それも「見果てぬ夢---対幻想をめぐって」というタイトルで。
対談の冒頭でわたしは「森崎さんの評伝を書きたい、書くのはわたししかいない」と発言した。そう言っておけば、他の人を牽制できるだろうと思った。その後、内田聖子さんによる評伝『森崎和江』[内田2015]が出たが、もちろんわたしは満足していない。内田さんは谷川雁に惹かれ、あとから谷川のパートナーであった森崎に出会った。自分の身体の内側を斬り裂くような切実さがない。森崎さんの評伝はまだ誰にも書かれていないと思う。わたしにも書けるとは思わないが、この先、いったい誰が書くだろう?
評伝は書けなかったが、のちに『<おんな>の思想』[上野2013、2016]のなかの一章を森崎さんに割いた。「わたしの血となり、肉となったことばたち」を得た読書体験を記すのに、森崎さんを欠くことは考えられなかった。全貌を論じることは断念して、1冊の本を選んだ。『第三の性』[森崎1965、1992]だ。その中で、彼女は妊娠中のある日、なにげなく使っていた「わたし」という一人称が使えなくなるという経験を語る。
この経験を彼女はくりかえし他の著作でも書く。
ある日、友人と雑談をしていました。私は妊娠五ヶ月目に入っていました。
笑いながら話していた私は、ふいに「わたしはね…」と、いいかけて、「わたし」という一人称が言えなくなったので
す。(中略)
「わたし」ということばの概念や思考用語にこめられている人間の生態が、妊婦の私とひどくかけはなれているのを実
感して、はじめて私は女たちの孤独を知ったのでした。それは百年、二百年の孤独ではありませんでした。また私の死
ののちにもつづくものとおもわれました。ことばの海の中の孤独です。[森崎1998:23-29]
わたしはそれを「産の思想」と呼んだ。そして思い知ったのだ、男たちの培ってきた思想がどれもこれも「死の思想」または「死ぬための思想」であることを。孕むことも産むことも動物的な自然だと考えられてきた。女はただ黙って家畜のように孕み産んできたわけではない。ことばがない、ことばが圧倒的に足りないのだ。なぜなら女を取り囲む「ことばの海」はすべて男ことばばかりだったから。それを森崎さんは女の歴史的な「孤独」と呼んだ。
男たちが「俺は」というときの個体で完結する「単独な我」を指して、彼女は「一代主義」と呼ぶ。対談の中でこんなやりとりがある。
上野 「産」の思想というものが無い、無いとしたら誰かが作る必要がある、それを作るのは誰だろうか、私もその一
翼を担うのだろうか、と思ったこともあるけれど。
森崎 ええ、担うべきでしょうね。
上野 でも、現にわたしは産まない女になって…。[上野編1990]
と言ったときのことだ。森崎さんは突然激して、こう返したのだ。
森崎 そんなの関係ないでしょう!私、そういうこと言ってるのと違いますもの、ね。そう言ってしまえば、男はみん
な同じことを言って逃げますよ。そんなことと違うんだよ。ねえ。そうじゃなくて。そりゃ、男と一緒にやりたいこと
って対しかないですよ。対幻想がどこに依拠しているかと言うと、そういうふうにして、対であることによって新しい
生命---次の時代---に具体的につながる行為が持てるってことでしょ。産まんかったら対の思想化を感じなくていいっ
て言ったら、私怒っちゃう。泣く。そういうことと違う。[上野編1990]
そのときの森崎さんの口ぶりを、わたしは今でも覚えている。
「それは思想の問題ですね、経験の問題ではなくて」と返したわたしに、森崎さんは「女たちの思想の弱さ、ようするに言語化のよわさ」だと指摘した。
わたしひとりが産んでも産まなくても、生命は続く。わたしが死んだ後にも、世界は残る。
あとになってわたしはそれを「生き延びるための思想」と呼んだ。そしてそれを長い教員生活の掉尾を飾る最終講義のタイトルにした。
その中でこう述べた。
こんなふうに言ったひとがいます。「生きるために思想はいらない。死ぬために思想はいる」。だが、わたしたち
人間の間違いは死ぬための思想ばかりをつくってきたということではないでしょうか。わたしたちは生き延びるた
めにこそ、言葉と思想を必要としています。[上野2012:360]
わたしのことばの背後には、森崎さんの声が残響している。
わたしはこの講義をこのように締めくくった。
わたしはわたしの前を歩いた女たちから、その言葉と思想を受け取ってきました。わたしの前の女たちから受け取って
きたものを、みなさん方にお渡しすべき時期がわたしにもまいりました。…バトンというのは受け取ってくれる人がい
なければ、そこに落ちてしまいます。わたしは前の女たちから受け取ったものを、みなさんがたにこうやって受け渡し
たいと思います。
わたしの最後の言葉はこれです。
….どうぞ受け取ってください。[上野2012:360]
同じ歌を、違う声で、何度でも、いつまでも歌い継がなければならない。なぜなら、わたしは、わたしたちは、たしかに受け取ったのだから。
子どもを産んだあと、彼女はふたりの子を連れて婚家を出た。三井三池闘争の工作者、谷川雁と同居するために。性愛と思想とを少しのごまかしもなく結びつけるために。
「ぼくらの子どもを産もう」と言う谷川を拒んで、彼女はこう言う。
「もうわたしたちにはふたりの子がいるじゃないの。」
誰が産んだ子どもでも、子どもは子どもだ。そして生まれ落ちたとたん、「あなたはあなただけのもの」、誰のものでもない。たったいま自分たちはふたりの子どもを育てている、それでじゅうぶんではないか、そうやっておまえは父になれ、と彼女は男に要求した。
だが炭鉱闘争のさなかに、身体を張って実力行使する大正行動隊の男性労働者が同じ労働者仲間の女性を強姦殺人するという事件が起きる。警察権力と対峙する緊張の中で、リーダーである谷川は組織防衛のために事件を隠蔽し、加害者を除名して終わる。
「女の抱き方を知らん労働者は、本質において労働者をしめ殺しよる。それをかくして何が家族ぐるみね」「女に関することは闘争と別と思っとろう」[森崎1963、1970:172、175]という森崎さんの必死の訴えは、谷川に届かない。「たかが強姦ごときで…」「大事の前の小事」として、女の声は葬り去られる。
からだは正直だ。この時から彼女は谷川に対してからだがひらかなくなる。三池闘争の敗北の後、谷川は東京へ去った。わたしには、谷川が「性の争闘」の現場から耐えきれずに逃げだしたと見える。谷川ならずとも、どんな男が彼女の全身全霊をかけた対決を、逃げずに受け止めることができただろう。
対談のテーマは「対幻想をめぐって」だった。吉本隆明が『共同幻想論』[吉本1968]で提示した「対幻想」という概念について、「性が政治に匹敵すべき問題だというのが『対幻想』という概念が提起した衝撃」だったと対談のなかでわたしは語っている。森崎さんは吉本が「対幻想」ということばを生み出したことを「ありがたいこと」と述べて、「女性解放は対の解放だというところへ私自身が入り込んで」行ったという。「対の解放」とは、いまのことばでいえば、「男と女の関係の解放」というべきだろう。そして「対を生きてくれ」と男に要求するのは「男の戦列から脱落してくれという要求」と同じだったと。
対談には「見果てぬ夢」というタイトルがついていた。わたしはようやく夢から覚めようとしていた。それは見果てぬ夢、不可能な夢だったかもしれない…と述懐するわたしを、森崎さんは肯定してこう言ったのだ。
森崎 自由になりたくて、対はその方便だったかもしれませんよ、私にとっては。
命がけで対の思想を生きようとしたひとのこの言葉を聞いてわたしは衝撃を受けたが、なるほど、対であることより自由であることの方がもっと大事だったのだと、今ならわかる。
1959年に創刊されたこのひとの個人誌、『無名通信』を、ご本人の同意を得て、わたしが関わる認定NPO法人ウィメンズアクションネットワークのサイト上にある「ミニコミ図書館」に収録できたのがわたしの誇りだ。 なぜ「無名」かといえば、「妻・母・主婦」という女に割り当てられた指定席をすべて返上したい、という思いがこめられていたからだ。
その創刊の辞にこうある。
わたしたちは女にかぶされている呼び名を返上します。無名にかえりたいのです。なぜならわたしたちはさまざまな名
で呼ばれています。母・妻・主婦・婦人・娘・処女...と。
リブの女たちが、「婦人」も「女性」も拒否して、あかはだかの「おんな」という呼称を選ぶに至った過程に先駆けた声が、ここにも響いている。
1976年、それまで一部の読者にしか知られていなかった森崎さんは『からゆきさん』[森崎1976、1980]で大ブレークした。それまでの自分だけのことばを手探りで求めるようなやや生硬な表現は、誰にでも通じるやさしい文体になった。わたしは森崎さんの文体が変わった、と感じた。文体の変化は読者の層を拡げた。その後1993年に、さらに『買春王国の女たち』[森崎1993]を出した。
男と女の関係の歪みは、買春に典型的にあらわれる。「対の解放」をめざした彼女が、昨今の「セックスワークはワークだ」という皮相な議論を聞いたら、どう反応するだろうか?きっと「女の抱き方を知らん男は、本質において人間をしめ殺しよる」と言うだろう。「女の解放と自由というとき、犯しあうことのない性の空間が現実につくれるか」と問いつづけたひとなのだから。セックスワーク論はリアリズムにもとづいている。だが現実を追認するよりも、女性解放の理想を手放さないほうがよい。理想を手放したとたん、あらゆる思想は堕落するからだ。セックスワークを否定しても、娼婦を差別したことにならない。森崎さんほど慰安婦やからゆきだった女性たちに、深い同情と敬意を払ったひとはいないのだから。
森崎さんは晩年、壮健とはいえないからだを圧して、全国の辺境を訪ね歩いた。島へ、海へ、半島へ。彼女は移動する民、周辺にいるひとびとに関心をもったにちがいない。炭鉱町で出会った地下を生きる坑夫たちも、流浪するひとびとだった。そしてそのなかに日本の原像を探し求めた。やさしさと勁さ、生き延びる知恵が、かれらのなかにあった。
晩年、森崎さんは施設に入って過ごされた。認知症だったという。
あれほどのひとが、とことばを失った。
息子さんからのお手紙にこうあった。
「母はいま、森崎和江からも降りて、おだやかに過ごしております。」
対談のなかで、ご自分の発言を覚えておられない森崎さんに向かって、わたしはこう言った。
「私が、あなたを覚えています。私があなたを覚えている間は、あなたは生き続けています。」
『<おんな>の思想』の副題、「わたしたちはあなたを忘れない」はここから来ている。
森崎さん、あなたが日本の近代思想史に残した巨きな足跡をわたしたちは覚えている。たとえそれを男たちが「思想」と呼ばなくても、それはたしかに女ことばで紡がれた自前の思想なのだ。
森崎さん、あなたがわたしたちの前を歩いてくれていて、ほんとうにありがとう。
わたしは、わたしたちは、あなたを忘れない。
参考文献
上野千鶴子編1990『ニュー・フェミニズム・レビュー』Vol.1, 「恋愛テクノロジー」学陽書房
上野千鶴子1991『性愛論 対話編』河出書房新社/1994河出文庫
上野千鶴子2013『<おんな>の思想 わたしたちはあなたを忘れない』集英社インターナショナル/2016集英社文庫
上野千鶴子2006『生き延びるための思想---ジェンダー平等の罠』岩波書店/2012新版、岩波現代文庫
内田聖子2015『森崎和江』言視舎
森崎和江1963『非所有の所有---性と階級覚え書き』現代思潮社/1970新装版
森崎和江1965『第三の性---はるかなるエロス』三一書房/1992河出文庫
森崎和江1976『からゆきさん』朝日新聞社/1980朝日文庫/2016『からゆきさん---異国に売られた少女たち』朝日文庫
森崎和江1993『買春王国の女たち---娼婦と産婦による近代史』宝島社
森崎和江1998『いのち、響き合う』藤原書店
森崎和江2008-2009『森崎和江コレクション 精神史の旅』全5巻、藤原書店
吉本隆明1968『共同幻想論』河出書房新社/1982角川文庫
追記:『買春王国の女たち』は近く上野の解説つきで論創社から再刊される予定である。
(出典:『現代思想』2022年11月臨時増刊号「総特集 森崎和江」青土社)
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