2011.12.08 Thu
共依存の母娘関係にDVをみる~信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(2008年、春秋社)、『一卵性母娘な関係』(主婦の友社、1997)の再読(4) 杵渕里果
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Ⅳ 「ハカモリ」にみる母の不自由
本書の「墓守娘」というタイトルだが、ふたつの由来がある。「ハカモリ」という言葉の時代錯誤なかんじが、信田の印象に強くのこるようなケースが重なったからだ。
ひとつは相談者の娘の、「お母さんみたいな人生を送りたくない、こんな家のお墓を守って生きるなんていやだ」という言葉。(p3)
この母娘は、盆と正月に親戚一同が訪れるような本家の女たちで、娘ひとりが母親の味方、愚痴の聞き役だった。娘はそのストレスで摂食障害になったらしい。
あともう一つは、カウンセリング相談者ではない、信田が仕事でであった編集者の女性、健康に社会生活をおくる女性のはなしだ。
その女性は、三十歳過ぎて都会でしりあった外人の恋人を、実家につれていった。ところが後日、母親に「孫がハーフなんて親戚に顔向けできない」と泣いて反対された。以後、法事のときだけ実家にもどり、親戚のてまえ仲の良い親子を演じるのみの関係になる。疎遠になった母親が、「もう何もいわないからね。ただ、墓守はたのんだよ」と囁いてきて、ぞっとした、という。
『一卵性』『墓守娘』にある、団塊世代の母親たちは核家族を生きてきたはずだ。彼女らは〈見合い結婚から恋愛結婚へ多数派が移行した七〇年題半ばに結婚した/66〉。
なのに、「ハカモリ」の語がでるような、封建的な「イエ制度」をおもわせる親戚づきあいに汲々とする「嫁」の立場にもいるようだ。
とはいえ、親戚一同といっても、やはりそれも、核家族の集合体だろう。母親ひとりの裁量でどうにかなる「親戚づきあい」にもみえる。娘が「外人の恋人」をつれてきたといっても、娘のほうも、実家の親族の傾向にまったく無知ではあるまい。
『一卵性母娘』で信田は、〈母娘とも自分の友だち関係が薄い/i-125〉傾向があると観察している。
母親は〈趣味のサークル、カルチャー教室…主婦同士のつきあいを超えるほど、親密なつきあいはできない〉。娘のほうも、〈遊園地向き、コンサート向き、バーゲン向き/p12〉と、広く浅くだという。だからこそ互いを深く知る「親友」を、母は娘に、娘は母にもとめている、という。
表面的な交友関係しかないなら、異なる価値観を許容しあう経験も乏しいだろう。冠婚葬祭のおり、家族の奥深いところにとどく「親戚の目」は、「友だち」以上に付き合いが浅いぶん、なおさら不安の源泉になりそうだ。
編集者の女性は、結婚はとりやめ、都会にもどり、〈用心深く、決定的な断絶を避けるように、刺激しない程度のつきあいを続けて/p6〉、母との関係を調整できた。これがもし、家庭外と孤立した娘なら、「こんな家のお墓を守って生きるなんて」と失調をきたすほかなさそうだ。
母親は「こんな家のお墓」を気にするわりに、小さな核家族のおんなあるじでしかない。稼得能力に乏しく家庭内に孤立し、母(親)という権威や母性愛幻想しか彼女を支えるものがない。そうした母親の狭量な気苦労を、母に対する娘、親に対する子といった優劣に乗じて押しつけられるのが、「墓守娘」にみえる。
Ⅴ 共依存からの「回復連鎖」
『一卵性母娘』によると、かつて親に虐待された人が、自分の子にも虐待関係を繰り返す「世代間連鎖」が起こることがあるが、親との病的な「共依存」に気付き、〈自分をACだと自覚し、それとは異なる家族関係を意識的につくりだすこと/p104〉で、虐待の連鎖を断つ、「回復連鎖」にもちこむことができるという。
それなら、母娘の共依存も、病的だと自覚した娘が、または母が、自分の行為や感情を自覚し、意識的に対応することで、自分たちじしんの将来への連鎖を、なくすことができるはずだ。
先に、母娘関係をDVに準えてみた。
母娘の支配関係に、DVの夫婦と同じ構造があると仮定するなら、信田の〈処方箋〉のうち、母娘の二者関係に、父親を、母親のパートナーとして招き入れよう、というアイデアは、娘をますます「子ども」化し、立場を弱くしてしまいそうだ。母娘関係に父を呼び込み、「正しい核家族」の関係や夫唱婦随の指揮系統の再構築をすすめるのは、DVの夫婦に、「正しい夫婦」の指揮系統の再構築を勧めるようなものに思える。
重要なのは、まちがった関係性そのものを見つめて、それを繰り返さないことで、いまある関係を、抽象的な“ありうべき関係”に組み替えることではない。
信田の〈母への処方箋〉〈娘への処方箋〉には、DV加害者や被害者へのプログラムと同じものがある。母親には、娘を恣意的に動かそうとすること、コントロールの瞬間を自覚するよう勧め、娘に対しては、母親へのネガティブな感情を自覚してみよう、と勧めているが、それでじゅうぶんなのではないか、と思う。
あとひとつ、印象的なエピソートがある。
結婚して母親と別居すると、母親がうつ病になり、二世帯同居をよぎなくされた娘のはなしだ。娘は関係のおかしさに気付くと、母が〈妖怪のように/p37〉みえ、距離をおきはじめる。すると母親は、今度は子ども(孫)の面倒をさかんにみはじめる。ところが、孫のほうは母親にとりあわず、適当にあしらう。それをみて娘は、〈こころからほっと〉する。
つまり、母親のコントロールといっても、実は娘にしか通用しないのだ。
共依存関係の磁場と、離れた誰か(母娘にまるで関与してこなかった父が、それに該当する場合もあるだろう)を信用してみること。関係の外側とつながってみることが、大切に思える。
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