女の本屋

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自分で自分のこと「オバサン」と言っちゃうときのひっかかり『「オバサン」はなぜ嫌われるか』

2011.12.19 Mon

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「女性」と「年齢」というものは切っても切れない関係にあるように思われている。しかも、それは「年齢なんて関係ない、性別なんて関係ない、同じ人間」というタテマエの世界では見えないようにされてしまっている。「気にさせる」くせに「気にするほうがおかしい」と言われる風潮。本でも述べられているように、女性の価値は、結婚という男性との対の中では、生殖、女性役割としての男性の看取り(一方的に看取れだなんて自分勝手!)、男性のプライド(自分より年齢年収の低い女性を好む低方婚)といったジェンダー構造によって年齢と不可分なものになっている。また、働く現場、芸能界、結婚、その他の日常、社会における様々な場面で、年齢による女性の価値付けは行なわれている。本書では、女性の年齢がいかに、生物学的な年齢とは別に「作られた」区分であり、ジェンダーをとりまく社会によって意図的に意味づけされてきたものであるかが、様々な角度から紹介されている。

また、均等法以降少しづつ高まってきた、女性性から自由になったという意味での「オバサン」への肯定的な評価についても、コミュニケーション能力としての「ずうずうしさ」などの視点から積極的に評価されるが、年齢を重ねた女性のライフスタイルの現状肯定でもスティグマのから肯定でもなく、そこから男女ともに必要なことを学ぶことの重要性が強調される。たとえば自分に置き換えて考える場合、女性であることを気にせず生きているならば、「オバサン」のアイデンティティを持ったほうが楽、でもそれって、わざわざ年とった女は女性としての価値が無いことを認めているだけになるのでは?別に自分は女性としての価値なんていらんけど、他の女性を貶めることになるのでは、といろいろ気にしてしまう。本書は、そういうモヤモヤした気持ちを吹き飛ばし、女性性から自由になることも、「女性性」を生きることも否定せず、女性にのみ主に振り分けられる年齢の刻印を可視化し考えることのヒントになる。(robierobie)








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タグ: / 老い / 女性性 / 加齢