フェミニズムと出会ってしまった私

最近、とある場に参加させていただき、そこで、フェミニズムとは結局何なのだろう、という(日本の、と頭につけたとしても)壮大な問いがぐるぐると気になりはじめる、という経験をしました。

とはいえ、そんな壮大な問いの答えがこんなちっぽけな私に見つかるはずもなく、さしあたっては、それをきっかけに思いだしたあんなこんな、自分が経験してきた半径3メートルのフェミニズムについて思うことをつらつらと書かせていただければと思います。

まず、そんなことよりおまえ誰やねん、って話だと思いますので少々自分の話をさせていただきますと、あまりこれといった肩書もない、しがない野良フェミニストです。フェミニストらしき日常としては、関西一円で非常勤講師として女性学やジェンダー論などを教えたりもしておりますが、基本的には、女性学や女性労働、女性と政治に関する複数のグループにてぼちぼち活動する、という感じです。WANのお手伝いもたまに少しだけさせていただいたりしております。

さて、わたしがフェミニズムというものを意識するようになったのは、2004年に開催された日本女性学会大会「ウーマンリブが拓いた地平」シンポジウムとその後のいくつかの分科会への参加でした。それまでもジェンダーやフェミニズムに関心を持ち、本を読んだり話を聴いたりはしていましたが、大学院のゼミで、その類の研究をしたいのだったら女性学会には一度行っておいたほうがよい、と指摘され、講座のみんなで高速バスのチケットを取りいそいそと向かった、ということでした。詳細はその年の『女性学』に載ってると思いますので省略しますが、そこでわたしは、さまざまな意見の対立や、世代による温度差が感じられ、フェミニズムとはこんなにも一枚岩ではないものなのかと衝撃を受けました。例えば、セックスワークなどいくつかの論点をめぐってフェミニズムの中にも対立する主張があることは知識としては持っていましたが、もっと複雑に、アカデミズムなのか草の根なのか、どの女性の目線に立つのか、さまざまな方法論や経験をめぐり、フェミニストどうしでも意見が合わない状況が目の前で、またはその後のいくつかのやりとりで生じていました。

主流派フェミニズム、そうでないフェミニズム

それはそうと、その当時か、少し後ぐらいかに、「主流派フェミニズム」なる言葉をしばしば耳にするようになりました。日本においてそれは、行政やアカデミズムと結びついたフェミニズムが主流派だということだそうです。例えば、「行政にコミットして政策への影響を持つ」(伊田久美子,2008,「特集にあたって」『女性学』15,日本女性学会.p8-12,p10)ような、はたまた「政府と協調してフェミニズムが制度化され」「フェミニズムと権力の関係が複雑化して」いく(【嶋田美子,2023,『おまえが決めるな!東大で留学生が学ぶ《反=道徳》フェミニズム講義』白順社.p91】といった状況が生じていたり、「マイノリティ女性の抱える問題を『あなたたちの問題』として他者化してしまうその主流のフェミニズムのまなざし」(金井淑子,2008,「バックラッシュをクィアする――フェミニズムの内なるフォビアへ」『女性学』15号,日本女性学会.p50-58,57)があることが懸念されたりしておりました。

おまえが決めるな!東大で留学生が学ぶ《反=道徳》フェミニズム講義

著者:嶋田美子

白順社( 2023/04/25 )

最近、江原由美子さんが、ナンシー・フレイザーのポストフェミニズムの認識への疑問を呈する形で、具体的な根拠を上げ、「『社会民主主義がグローバルなネオリベラリズムの圧力の下で揺らぎだ』したというフレイザーの見方は普遍的に言いうることなのか」(江原由美子,2022,『持続するフェミニズムのために -- グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』有斐閣. p113)と述べられています。普遍的にフェミニズムやそれを取り巻く社会状況、行く末を論じることに慎重さが必要ならば、日本においてそれらを考える際にも、同じことが言えるのではと思います。日本のフェミニズムを主流派フェミニズムと呼ばれる動きのみと捉え、ざっくりした社会状況を分析することは可能であるとは思いますが、そこで起こっていたこと、いることをもう少し踏み込んで知りたいなら、それとは異なる立場や様相のフェミニズムのあり方に目を向けてもよいのでは、という気がします。

持続するフェミニズムのために: グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ (単行本)

著者:江原 由美子

有斐閣( 2022/10/11 )

実際、件の女性学会大会以降の私のフェミニズム的経験は、主流派フェミニズムだけに目を向けていたら知るに至らなかったさまざまな側面を持っていたように思えます。それを、取るに足らない草の根フェミニズムの営み、と切り捨てることは可能でしょうが、それらは、わたしの個人的経験であったのみならず、おそらくは日本のフェミニズムと社会を考える上で、(「主流」ではないにせよ)なんらかのひとつの現象、すなわち日本の社会が経験したこととして、位置づけられてもよいのではという思いがあります。

フェミニズムのもめごと

さて、その2004年、わたしは正直混乱し、同時に、自分の知る、メディアなどで語られているものとは違うこのリアルなフェミニズムというものを見届けたい、そんな思いをその時持ちました。

そのあとどうしたかというと、関西に、(日本女性学会よりさらに)いろんな対立や議論があったグループがあるらしいよ、と風の噂で耳にし、気がつくと、そのグループ、日本女性学研究会に居た、ということでした。ちなみに名前が似ているこの二団体は、それぞれ1977年、79年に設立されたわけですが、会員の方にも混同されたり、違うほう宛てのアンチなメール(フェミ団体あるある)がもう一方に来たりということがあったりもします。

最初は、上記のような思い、すなわち知りたいからという参与観察的な気持ちで入会したのですが、いつの間にか『女性学年報』の編集委員に、さらには運営委員会に、それぞれ参加する運びとなり、その後20年近く、自身のアイデンティティともなるほどに活動に関わり続けることとなります(俗に言うミイラとりがミイラとなるというやつですね)。

女性学会大会での経験と同様、日本女性学研究会でもまた、しょっちゅう意見の対立があり、それは単なる対立ではなく、今行っている政治的な行為(=フェミニズムの活動)の主体がどのような立場(の女性)か、それは異なる立場を抑圧していないか、その選択は一部の会員の利益のみにつながらないか、など、ジェンダー構造のもとでの抑圧・被抑圧の関係性に抵抗し、それとは異なる平場の関係性やシスターフッドを目指してきたフェミニズムの活動ならではのものでもありました。言い換えれば、それらの「もめごと」そのものが、政治的経験と言えるのでは、というほどに、そこから考えさせられる機会が多かったです。その場にいない方には些細なことに思えるかもしれないし、実際その瞬間は、なんでこんなことで!?と思うことでも、よくよく考えたら、そんな意味があったのか、それってフェミ的な問題やん!て気づくような、そんなこんな。

と、いうことで次回は、そんなこんなの経験や、そもそもフェミニズムって複数的、インターセクショナル?といったことを綴ってみたいと思います。