インターセクショナリティとフェミニズム
フェミニズムって、もしくは日本のフェミニズムって何だろう、と考えるにあたって、前回も触れた『持続するフェミニズムのために -- グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』(江原由美子,2022有斐閣)に、「もともと女性問題は、インターセクショナリティの問題を伴いがちであった」(p191)とあり、たしかにそうだよなあ、と思ったということがあります。インターセクショナリティとは、「交差する権力関係が、様々な社会にまたがる社会的関係や個人の日常的経験にどのように影響を及ぼすのかについて検討する概念」であり、「分析ツール」「世界や人々、そして人間関係における複雑さを理解し、説明する方法」『インターセクショナリティ』Collins, Patricia Hill & Bilge, Sirma, 2020,Intersectionality, Polity, (= 2021、小原理乃、下地ローレンス吉孝訳『インターセクショナリティ』人文書院)p16)ということで、すなわち、人種やジェンダー、セクシュアリティなどさまざまなカテゴリーがこの社会には存在し、そこでの関係性や権力構造は、それらの相互作用で成り立っているという見方を意味します。『持続するフェミニズムのために』では続けて、「性別は他の属性や集団所属とクロスするような属性なのだ。その結果、『女性共通の問題』だとしてある問題を提起しても、状況を異にする女性たちから、『自分たちの問題とは言えない』と反発されることも生じる」「この概念が社会運動が直面している困難に、何らかの方向性を示せるのではないかという期待があることから生じているのではないだろうか」(p191-192)、これからのフェミニズムにとってインターセクショナルな視点がより一層重要となることへの指摘がなされています。

インターセクショナリティ

著者:パトリシア・ヒル・コリンズ

人文書院( 2021/12/01 )

フェミニズムは、女性が経験する差別や抑圧の問題から出発し、性差別の構造解明のための知を紡いだり動いたりしてきたものだと、とりあえずは私は思っています。で、その際に、そこでの女とはどういった存在のことを指すのか、抑圧されているのは誰か、しているのは誰か、さまざまな個人の社会的背景や事情について実際には簡単に図式化できるものではないことへの気づきや、その上でああでもないこうでもないと模索してきた歴史がありました。そういった流れの中、あるフェミニズムは、恵まれた強者の立場からの発言や理屈だと批判され、時には反フェミニズム的であるとさえ断罪され、しかしながら視点を変えればそうではない立場のほうが抑圧的な側面もあったりの、本当に複雑な関係性のもの存在し「続け」てきたのがフェミニズムであったと思うのです。 そしてその際に、フェミニズムの主体である者には、常に他者との関係において自分はいったいどの立場に居るのか、どこから発言しているのか、とポジショナリティを問うことが求められます。すなわち、「自己の想定する他者の姿は想像でしかないから、お互いの位置取りは常に変化し、修正を余儀なくされる」「誤解を修正しながら、コミュニケーションを進行させていく」「ポジショナリティを明示化したあと、自分の立場を他の場所において満足してしまうのではなく、そのこと立場自体を引き受ける、責任を引き受けることが必要」(千田有紀,2005,「アイデンティティとポジショナリティ:1990年代の『女』の問題の複合性をめぐって」上野千鶴子編『脱アイデンティティ』勁草書房.p284)ということが必要だということになります。

多様性を前提としたフェミニズム
さて、第1回で触れたような、いわゆる日本の「主流」ではないらしい草の根フェミニズムに潜り込みながら私は野良フェミニストをしていたわけですが、そこで出会ったさまざまな考え方にもまた、今から思えばインターセクショナリティの萌芽とも言えるようなものが多々ありました。前回書いたような、「もめごと」のほとんども、つきつめれば、「女性」が一枚岩ではないことがそのきっかけとなっていたと感じます。さらには、いくつかの活動に関わるようになりしばらくして、それらの多くが、ともに活動を行うメンバーも女性も多種多様な立場であり、権力関係を排したフェミニズムならではの「平場」を維持していくためには、だからこそその差異と向き合っていかなければという強い理念を持っていたことを知り、新鮮な驚きを感じた記憶があります。 当然、女性同士(とは限りませんが)だからわかりあえるという前提があるなどと思っていたわけではありませんが、おそらく、フェミニズム以外で出会う日常以上に、女性だからこうであるという物言いが少ないことにまず感心し、またはそれらの物言いがなされた際に批判や議論がセットになることが刺激的でありました。書き残されたものとしても、例えば日本女性学研究会では、「にせの大同団結より、ちがいのわかる連帯を。」(日本女性学研究会『voice of women』 1984/3)という一文がニューズレターにあり、「女性学の中でも怖い人がいるのにびっくりし自分でよく見、よく考え選べる自信ができた」(日本女性学研究会『voice of women』 1991/6)など、自分とは立場が異なるメンバーに同調しない文言や、ここでは詳細は省きますが幾度とない対立的なやりとりも残されています。

もめごと、調整、政治
対立は、運営に関する参加や発言をめぐって、活動を行う中である抑圧的な態度がとられたことに関して、どのような活動方針を選択するのかについてなど多種多様な論点で生じており、そしてその際、トップダウンで結論を急ぐのではなく(そもそも平場なのでそれは許されない)、また、誰かを抑圧者、誰かを被抑圧者と固定化し進めるのでもなく、それぞれの事情を共有した上で、どのような側面に着目すれば誰が有利となり、別の側面からはもしかしたら逆になるかもしれない、第三の方法をとればすべてではなくとも問題を解決できるかもしれない、プライバシーの公開を強制し誰かを抑圧することのない開かれた議論の仕方とはどうあるべきかなど、「対話が大事!」と軽々しくは言い難い、あまりに労力も時間も必要な、ある種の調整が繰り返されていた、というのが実感です。これらの営みは、事情や立場が異なるからこそ分かり合えないし、差別を批判する立場にあっても常に抑圧者となる可能性もはらむ関係性を、なるだけ誰かを切り捨てたりすることなく解決しようとする、ある種のリスクリダクション(公衆衛生においても、社会正義に関しても、譲れない何かはあるとしても、イチゼロで物事を判断しないこの考えは有効だと私は思っています)の営みであったともいえるのではないかと思っています。そして、多くの草の根のフェミニズム(だけではないかもしれませんが、男性が作ったヒエラルキーに抗してきたフェミニズムにおいては特に)、ふりかえればこういった実践がしばしばなされてきたことと思います。

もっとも、そんなキレイゴトでは片づけられない経験をされた方もいらっしゃったでしょうし、私自身、わだかまりを残したままの出来事などもありました。また、他者と出会う範囲が物理的に限られる時代も長かった中、そこまで境遇や社会的背景の異なる個人がともに活動するわけでもなかったかもしれません。しかしながら、少なくとも、フェミニズムの現場でなされていた実践には、そこにある抑圧、被抑圧の自覚とともに他者との調整を模索する経験が蓄積されていること、そこにインターセクショナリティについて、じゃあどうするか、のヒントが示されているような気がしてはならず、経験を続けながらキレイゴトを言い続けたい。そんな気持ちになってしまうのです。次回は、こういったフェミニズム的経験の続きとして、いわゆる第三波フェミニズムの世代として思うこと、を綴っていきたいと思います。