年の瀬は、いつも忙しい。お掃除と片づけとお正月用のお飾りと、おせちづくりに追われる日々。その合間に12月28日夜、京都コンサートホールへ行く。ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱つき」。指揮:大友直人、演奏:京都市交響楽団。大友直人は譜面も指揮棒ももたずに指揮台に立ち、力強く繊細な指先での指揮に、楽団員一同、息を合わせて、バリトンの「Freude フロイデ(歓喜)!」と歌う声が満員の会場に響き渡る、すばらしい演奏会だった。

 翌29日は四条のタベルト、三条の八百一、近くのコープへ買い物に走る。寺町三条の三嶋亭の牛肉は30日、長蛇の列を1時間ほど並んで娘が買いにゆく。タベルトで、数の子とタラコ、海老、ニシンの昆布巻、サワラのみそ漬け等、新鮮な魚類とハムとチーズを。八百一では丹波の黒豆、甘栗、白味噌、蒲鉾、厚焼き卵、ゴマメを。コープでは雑煮用の小大根、金時人参、子芋、栗きんとん用さつまいも、柿なます用大根など野菜類を。小餅は60個ほど近くのお米屋さんに予約済み。今年は夏の暑さのせいか、栗が少々高かった。

 30日は朝からおせちづくり。毎年、同じ品々だけど、やっぱりお正月に食べるとおいしい。日持ちのする品から順につくり始める。フライパンに半紙を敷き、ゴマメを乗せて、から煎りして砂糖と醤油、味醂と酒で甘辛くからめる。黒豆は丹波産が一番。鍋でじっくり茹でて包んだ古釘を入れて煮ると皺一つなく、ふっくらと仕上がる。柿なますは昔、京都の義母が使っていた古い木製のおろし金で大根、金時人参をすりおろし、市田柿を刻んで、お酢とお砂糖とお酒と熊本から従姉妹が送ってくれた母の家の庭の橙を絞って柚子の皮少々と合わせて混ぜる。雑煮用の小大根、小人参、頭芋は鍋で湯掻いて柔らかくなったら、そのまま外で冷やしておく。金時人参の甘煮も、つくり置きして。娘が買ってきた牛肉のしぐれ煮は、糸こんにゃくと九条ネギを甘辛く炊き合わせて柚子を振りかける。数の子とタラコは薄味でじっくり下味をつけておく。海老の煮物とたたき牛蒡は娘がつくる。栗きんとんは茹でたさつまいもを潰して栗を中に包んでラップで結ぶ。これは孫も手伝ってくれる。筑前煮は同じマンションの男友だちが、たっぷりとつくってくれるので、お任せ。

 31日はお重に品々を詰めて南天を飾って出来上がり。あとは年越し蕎麦を準備するだけ。午後、近くの娘の家へ重箱や荷物をもって大移動。別室に住む叔母の分を取り分け、お餅を喉に詰めないように、とお願いして一泊、家を留守にする。除夜の鐘を聞きながら今年も無事に終えることができたことに感謝して眠る。

         長楽館

         八坂神社


 元旦の朝、お屠蘇と昆布茶、白味噌仕立てのお雑煮と重箱を並べて「あけましておめでとうございます」とお祝いをする。娘と孫娘は元夫の家へ年賀に出かける。元夫は12月1日、首の近くの神経が脊髄の骨に触るとかで足が思うように進まず、名医の手術を受けて退院。何とか元気に過ごしているとか。1年前の秋は骨折で手術後、リハビリ病院で多分、コロナに罹り、救急搬送されたが、無事に回復。私もちょうどその時、先日、中村メイコがそれで亡くなったという肺塞栓症で救急搬送され、5日で退院できたことを思い出し、今年はみんなで元気でいようと願った。

 娘と孫と三条で待ち合わせて八坂神社へ初詣にゆく。お天気もよく大勢の人出だった。毎年恒例の八坂神社近くの長楽館でお正月のケーキ、ガレット・デ・ロアと、おすすめのクラシックモンブランを紅茶でいただく。帰りは家まで歩いて今年も元日から15000歩を達成した。

      ガレット・デ・ロア

      クラシック・モンブラン


 ほっと、ひと息ついてテレビを見ていたら能登半島で大地震とのニュース。京都でも震度4くらいだったかな。「津波が来ます。急いで逃げてください」とアナウンサーが叫ぶ。元旦から予期せぬ出来事が続く。

 2日は四条の東急ハンズでお買い物の後、夕刻、男友だちの囲炉裏のある部屋で、お重を広げて、みんなでもう一度、お正月。96歳の叔母も元気で過ごしてくれるので、ほんとに助かる。男友だちの弟さんが金沢市に住んでおられるが、地震も何とか無事だったらしい。よかった。

 3日は久しぶりの大阪へ劇団四季の「バケモノの子」を見に行く。細田守監督の長編アニメ映画の劇場版。すばらしい歌と演技。ラストシーンに孫は号泣する。人間世界には心の闇や裏切りがあるが、バケモノの世界には、それはないのかな?

 七草粥をいただいてお正月も終わる。でも能登半島の避難所におられるみなさんは、この寒さと雪の中を、どのように過ごされているのだろうか。

        バベットの晩餐会


 9日、京都シネマへ「午前十時の映画祭」デジタルで蘇る永遠の名作から「バベットの晩餐会」(1987年、デンマーク)を見に行く。確か35年ほど前に一度、見たことがあったように思う。

 アイザック・ディーネセンの小説の映画化。アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞した作品。時代は19世紀。ユトランド半島の片田舎でルター派の牧師を父にマチーネとフィリパの姉妹が貧しく、つつましく暮らしている。二人は若い頃、謹慎中の士官ローレンスとバリトン歌手のパパンに、それぞれ求婚されるが、彼女たちは共に求婚を断り、神への信仰と伝道に生きることを選ぶ。やがて父の死後、二人のもとにパリ・コンミューンで家族を亡くし、フランスから亡命してきた女性・バベットがやってくる。「家政婦として働きたい」と申し出て二人の暮らしを支えていく。

 十数年後のある日、フランスからの手紙で、バベットが1万フランの宝くじが当たったことを知る。父の生誕100年の晩餐会を考えていた姉妹に、バベットは「晩餐会の食事を自分につくらせてほしい」と願い出る。荷車に積んだ食材の生きたウミガメやウズラを見て姉妹はビックリ。招待された村人たちに食事について話すことを禁じる。しかし豪華な料理と銘酒のワインを飲むほどに姉妹も村人たちも心があたたかくなってゆく。招待客の一人、かつてマチーネに求婚した元士官で今は将軍となったローレンスは、バベットの見事な料理の腕前に、彼女が、フランスの有名レストラン「カフェ・アングレ」の女性シェフであったことを確信する。

 晩餐会は終わり、「パリに戻っても、あなたのことは忘れないわ」という姉妹に、バベットは「私はすべてを失って、ここへやって来ました。これからも、この地にとどまるつもりです」と告げる。

 ああ、そうなんだ。この映画は二人の姉妹とバベットとの「シスターフッド」を描いた作品だったんだと、改めてそう思った。

 日常は淡々と時を刻んで通りすぎてゆく。人が生きていくために、食べることが、それを支えてくれる。しかし時には、思いもかけぬ予期せぬ出来事が起こることもありうる。そんな時こそ人々の間で、互いに、あたたかい気持ちが生まれてくるのかもしれない。能登の避難所で過ごされている方たちも、そんな思いで日々を送っておられるのではないかと思う。「どうか、ご無事で」と、心から願うしかないけれど。

 あたりまえの日常を、私もまた、これからも淡々と生きていきたいと願っている。
 みなさま、今年も、どうぞよろしく、ね。

「バベットの晩餐会」
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