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「女が強くなった」では済まされない、誰も幸せにしない「ジェンダー構造」『新潮45』特集「女のひとり勝ち」

2012.04.04 Wed

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.かつて、非常に私が不快に感じていたものの一つに「女性が強くなった」(以下「女強」)という言い回しがあった。昔ながらのフェミニストの人なら、「まだまだ差別は続いているのに、まやかしの『女性解放』はいらない!」なんて強く言うのかもしれない。そこまでは思わなくても、たしかに「強くなった」「解放された」であろう一部の女性を、女性の代表のように位置づけるという女性のカテゴリー化、それによって性別により異なった規範が課される社会構造に関する議論を封じ込める効果という問題は見え隠れする言い回しはやっぱり気持ち悪い。

「女強」の一方で、「女性の貧困」も取り沙汰される。そっちのほうがずっとずっと、社会の問題として取り上げるべきことでしょう。「女性の貧困」は自己責任で、「女強」は問題のあること(あからさまに書かれることはないと思うけど)なんて、ダブルスタンダードにもほどがある、ほんと。

本特集も、媒体も媒体なので、なんとなくそういう気構えで読んだけれど、「社会が女性化」する、という文脈で書かれたいくつかの論稿は、議論していく価値のあるものなのではないかと感じる。最近の一部のフェミニズムでも同種の提案がなされているが、競争原理や二者択一的な「男性的価値」に沿って社会を構築していくのではなく、多様性や持続性といった「女性的価値」に沿って社会を作っていく流れにある、という。もう社会がそうなりつつある、と言ってしまう希望的観測の強さがフェミニズムの議論とは少し違うところなのかもしれないけど。古市氏、湯山氏、有働氏、越氏の記事は社会構造が視野に入れられていて、興味深く読めた。

ただ、それらの論稿とともに、やはり「女強」もしくは、女性原理、女性賛美的な論稿もやっぱりあって、こういう持ち上げ方はあまり深く考えなきゃ気分よく読める人もいるのかもしれないけど、やっぱり「そういう女じゃないし」という気持ちのほうが先にきてしまって、とともに、女性の多様性という観点からも、あまりよろしくないのでは、と思う。「まだまだ差別されてるし!」とかの全否定はしないまでも、やはり現状から考えると、「こういう幸せな女性も増えている」と、少し用心深く書く必要があるような気がする(そうするとインパクト無くなるんだろうけど)。

速水氏のアエラに関する記事は、「アエラってそうだよねー」と思っていたことズバリで面白かったけど、なんとなく、「女性の関心があること」は(男性も含んで)社会的に議論すべきでないような雰囲気(そんなこと書いてないと言われそうではある深読みかもだけど)、ちょい小馬鹿にしたような雰囲気がひっかかる。放射能への不安にせよ働く女性のライフスタイルや身体の問題にせよ、なぜ他の「男性誌」では真正面から取り上げられないテーマなのか、他の男性誌は同様の問題をどう扱ってるのかまで含めて議論しないと、アエラの問題だけ批判(もちろん前向きな批判だと信じているけど)して済むことでもないのじゃないかな、と感じた。それらはアエラの中だけに存在しているわけじゃなく、「社会的な」問題であるはずだし。(robierobie)








カテゴリー:わたしのイチオシ / robierobie

タグ: / フェミニズム / ジェンダー / 女性の貧困

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