「女性史・ジェンダー史」の総合的入門書
姫岡とし子さんの新刊『ジェンダー史10講』には、第1講「女性史研究の始動」の中に「女性史研究の拠点としての地域女性史」という項目があり、ご希望によりWANのミニコミ図書館収蔵「全国女性史研究交流のつどい報告書」所収の写真が使われている。かつて「女性史はジェンダー史に発展解消するのか」という議論もあったが、本書では「女性史・ジェンダー史」というくくり方で、戦前の高群逸枝をはじめ、戦後の井上清『日本女性史』(1948)や村上信彦『明治女性史』(1969~72)なども紹介、「女性史はエリート女性の解放史か、庶民女性の生活史か」という「女性史論争」を経て「新しい女性史」が生まれる過程で、「在野」の女性史サークルが支えた「地域女性史」の果たした役割を指摘している。同時に「ジェンダー史」の提起は、従来の男性中心の歴史叙述に女性を「付け足す」だけではなく、「歴史学に根本的転換をもたらした」とする指摘はたいへんわかりやすく、「女性史・ジェンダー史の総合的入門書」(本書の帯から)と銘打ったことがうなづける。

「全体的な歴史像再構築」の試み
姫岡さんはドイツ史の専門家である。本書では、ドイツ史だけでなく広く西欧圏を中心にその歴史認識を問い直しながら、「新しい女性史」は第二次大戦後第二波フェミニズムの勃興を受け、「ジェンダー認識を欠いた歴史学」がいかに歴史の全体像を描けなかったかを明らかにする意味を持ったと言う。わたしも覚えがあるが、今日では自明となっているフランス革命「人権宣言」の「人」とは有産階級の成人男子のみを指し、女性は含まれていないことを1950年代初めの高校教育では誰も教えてくれなかった。その後はからずも歴史研究の道を歩くことになって学会や研究会の報告を聴くたびに「そこに女性はいましたか?」と質問するくせがついた。
その後「女性史・ジェンダー史」の提起が広がる中で、これまで一般史・普遍史として受け取られてきた歴史学は、ジェンダーの視点から読み直すときその歪みがあらわになり、全体的な歴史像の再構築を迫られることになる。本書で扱う範囲は「家族」「国家」「軍事」「身体」「生殖」「LGBT」「福祉」「労働」「植民地支配」「戦争」「レイシズム」等々あらゆる分野にわたっているので、そのすべてを紹介することはできないからこの本を読んでいただくことにして、以下にわたしの感想を書きたい。

わたしが70年前に書いた卒論の記憶
一つは、姫岡さんが本書第9講「労働」の項で『女工哀史』的な女工像からの転換を説き、そこで取り上げている1886年山梨県甲府の製糸工場で起こった「日本最初のストライキ」とされる「女工争議」のことである。わたしが1950年代に学生だったころ、井上清『日本女性史』が進歩的立場からの唯一の女性史として読まれていた。しかしそこではこの「女工争議」を評価しながらも、「製糸女工は若年短期労働者で労働者階級としては未成熟。重工業の発達により男子熟練 労働者が登場してその指導のもとに労働運動に参加して行く」と書かれ、これは当時の通説だった。わたしは納得できず、卒業論文でこの「女工スト」をとりあげた。指導者などだれもいなかったこの時代に、「水一杯飲むひまもない」状態で賃金を切り下げられたことに対し、ストライキという言葉も知らなかった100余名の工女たちによる職場放棄という「抵抗」がなぜ可能だったかを、当時の甲府製糸業が通勤工を主体とする都市の「器械製糸」と呼ばれた工場で行われていたことに着目し、「女工」が「労働者」として形成される客観的条件を論じたつもりだった。
わたしの卒論は70年近く昔のことゆえ未熟もいいところだったが、今にして思えばジェンダーとかリブという用語も知らなかった時代に「ジェンダー視点で歴史をとらえる」試みだったと思う。この点が本書の指摘とも一致したことに感慨を覚えた。

国際的なジェンダー史論がしめすもの
もう一つ、本書はドイツを中心に数多くの国際的なジェンダー史論の動向を紹介していて、有益である。わたし も姫岡さんが編集にかかわった『「ひと」から問うジェンダーの世界史』(全3巻・大阪大学出版会・2023~)の合評会にオンラインで参加したりして得ることが多々あった。そこではイスラム圏や中国、東南アジアなどの諸地域の動向も書かれているが、本書は新書という紙数の制約もあって深くは触れられていないのが少し残念である。 ついでに言うと合評会を聴いてわかったのは、この「ジェンダーの世界史」は高校の「歴史総合」教材をジェンダー史と結びつける取り組みとして行われた共同研究の成果だということだった。本書でも「歴史叙述とジェンダー」がとりあげられていることに留意したい。

「女性が平和をつくる」という命題は成立するか?
最後に一言。第10講「植民地・戦争・レイシズム」で戦争と性暴力や女性の戦争加担の問題がとりあげられ、ナチと性暴力、ドイツ女性のナチへの加担などが語られているところはさすが姫岡さんと思うが、それらを踏まえたうえでジェンダー視点からの「世界平和構築の可能性」についても触れてほしかった。これは歴史学の範囲を超える課題かもしれないが、最近のプーチンやトランプ等々の「暴力」言説に刷り込まれた「男性性」の本質は何か、「女性が平和をつくる」という命題は成り立つのかといった点について、「女性は平和的」といった「神話」ではなく、女性の政治参加及び政策決定参加の歴史として言及していただきたかったという気がする。
21世紀において平和構築における女性の役割はますます大きくなっているにもかかわらず、ウクライナでもパレスチナでも幼い子を含む無辜の市民が大量虐殺され、女性に対する性暴力も横行している。女性史・ジェンダー史はこの時代を切りひらく展望を持ちうるか、というのはわたし自身に対する問いでもある。この答えが見つからずに老衰して死にたくないからしっかり勉強しよう。この本をイチオシするゆえんである。

◆書誌データ
書名 :ジェンダー史10講(岩波新書)
著者 :姫岡とし子
頁数 :225頁
刊行日:2024/2/20
出版社:岩波書店
定価 :960円(+税)

ジェンダー史10講 (岩波新書 新赤版 2010)

著者:姫岡 とし子

岩波書店( 2024/02/22 )