1 民法親権規定の改正
2024年5月17日、参議院本会議で離婚後親権について今までの単独親権に共同親権の選択肢を加える改正が成立した。改正法は2026年までに施行される。
この改正には当事者女性をはじめ、離婚事件を多く扱ってきた弁護士など離婚現場の実態から反対の意見が強かった。全国の複数の弁護士会も反対声明を出している。成立までに反対署名は24万筆近くに達した。なぜ、こんなに多くの人が反対したのか、それにも関わらず成立させられてしまったのか。
法制審(法制審議会)の議論をはじめ、問題点が詳しく報道されてきたわけでもなかったので、主な問題点を以下で紹介する。
2 親権とは
歴史的に見ると家制度の下では父親の単独親権であった。子は家に帰属していたので、親権者は父親であった。そもそも結婚は妻が夫の家に入ることであるから、離婚となれば子どもを父親の下に残し母親が家を出ることになった。
戦後憲法が「人権」という概念を認め、14条は男女平等を規定し、24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めた。
これにより婚姻中は共同親権となったが、離婚後は単独親権とされた。戦後しばらくは離婚後も父親が単独親権者となり家を出た母に代わって子どもは家にいる父親の母である祖母が育てることが多かった。3世代同居は普通の家族形態であった。
ところが、1970年代に入り母親の単独親権が増え始めた。女性に対する教育の結果として女性の経済力が向上し、母親が子どもを引き取ることができるようになった。3世代家族も減少した。父親には自分の母親等の手助けなしに子どもを一人で育てることは難しいという事情もあり、離婚では母親が子どもを連れて家を出るという形が普通になった。その家族の形態には子と同居して日常的に子育てをする母親の単独親権が実際的であった。
親権の内容は民法に以下のように定められている。
820条(親権の効力)親権を行うものは、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
821条 子は、親権を行う者が指定した場所に、その居所を定めなければならない。
823条 子は、親権を行う者の許可を得なければ、職業を営むことができない。
824条 親権を行う者は、子の財産を管理し、かつ、その財産に関する法律行為についてその子を代表する。
ところで、親権の「権」という言葉は明治時代(民法は明治31(1898)年制定)からのもの。当時は親権は親の子に対する支配権・管理権を示していたから内容にふさわしい名称でもあった。懲戒権はここから発想されたものであったが2022年に削除された。
今では子のための親の養育義務・責任と再定義されてきており、日常の子育て(監護・養育)を中心とする内容が強調され、身上監護と財産管理がその内容である。
今回の共同親権議論では、「親権」という言葉は大して議論なくそのまま残った。
3 共同親権の選択すると
共同親権を選択すると、原則、親権の内容・効力がすべて共同行使となり、婚姻中と同じである。別居しながら親権に関しては婚姻中と同じとなる。その結果、子どもに関する重要事項(進学先、働く先、転校、受験の願書、医療上の同意、子どもと住む場所(居所指定))などの決定が共同行使(共同で決める)を求められる。
例外的に単独で行使できるのは、「急迫の事態」があるときと「監護及び教育に関する日常の行為」である。何が「急迫の事態」かは国会審議を通じて明確になったわけではない。そのため、相手方と争いがある場合に単独行使すると相手方の親権の侵害として相手方が損害賠償を求めることがありうる。
子どもを連れて逃げた事案で、逃げるように母親に助言した弁護士と母親が損害賠償請求され、1審から最高裁まで敗訴した(離婚成立前なので父親の親権侵害とされた)例があった。今後は明白な単独親権でない限り争いになろう。
① 協議による共同親権
原則は、離婚のときに二人で協議して単独か共同かを合意する。協議で単独と決まれば従来通りとなるが、ここで夫がごり押しして共同親権の「合意」が可能になる。今までの協議離婚の実態からごり押し事案は容易に想像がつく。なぜか離婚となると婚姻中に共同行使の実態がなかった父親でも共同親権者になりたい人は当然それを強く主張するだろうし、婚姻中に共同行使の実績もあまりなかったが、「親権者」というタイトルに固執したい父親はいるだろう。
私の経験した離婚事案でも育てるのはできないし嫌だが「親権者」でありたいとごねる父親がいた。また、養育費を払いたくないのでという理由で親権者に固執する父親もいた。ある事例では父親ははっきりそう主張した。
② 家裁が担えるのか
DVや虐待がある場合は共同親権ではなく単独親権となるという設計であり、合意できなかったときは家裁が決める。
今の家裁が妻や子の権利を尊重できるかについては疑問がある。家裁にそれを担う力があるのか?それが可能な条件は整っているのか、疑問は絶えない。
家裁には、本庁と支部がある。例えば、静岡市にある静岡家庭裁判所(本庁)と沼津市の沼津支部という形になっている。どこの家裁が担当するかは当事者の住所によってあらかじめ決まっている。支部は、単独の建物を持たず、地裁支部の建物に同居している。私がよく行っていた静岡家裁沼津支部は、静岡地裁沼津支部の建物に同居していた。建物が別々になっていないだけではなく、裁判官も地裁の裁判官と兼務であり、専任の裁判官はいない。こういう人的・物理的制約がある。
家裁が暇でないことは明らかなので、そこへ新たに親権者決定という仕事が加わると対応できないのではないか。成年後見の仕事が加わって家裁は多忙になったが、高齢化はますます進行するであろうから、その仕事は増えることはあっても減ることはあるまい。そこへ共同親権決定の仕事が加わる。これはそもそも当事者間で話し合いができない事案であるから成年後見の仕事よりも時間がかかることは目に見えている。
加えてもっと困った問題は、家裁の裁判官は虐待やDVを見抜く力があるのかという心配である。
DVでも身体的暴力で写真やカルテなどの目に見える証拠がある場合はDVと認定できようが、問題は精神的暴力の場合である。実はDV事案では単純な身体的暴力よりは精神的暴力の方が多いのではないか。
私がよく経験した例は、夫が寝るころになって妻を正座させて朝まで延々説教をするという事案だ。夫はたいてい翌日は休みなので睡眠不足を解消できるが妻は翌日も通常勤務であったりすると睡眠不足でフラフラで出勤せざるを得ない。こういう暴力は目に見える証拠は残らない。妻の訴えだけが証拠となるが、裁判官はその訴えを聞いて理解できるだろうか。
DV防止法上の保護命令に精神的暴力が入ったのは24年4月のことだ。これまでも離婚裁判では精神的DVの主張に対して慰謝料が認められることはまれであり、それだけ裁判官は精神的DVを認めたがらなかったといってもよい。
家裁の裁判官は地裁の民事・刑事の扱いを経て家裁に転勤してくるが、DVなどについて特別の研修を受けているということはないのでは。その成果のようなものに出会ったことはなかった。暴力は支配の問題であるというイロハのイを知っているのだろうか。社会の多くの人もこの認識はほとんどない。
家裁の裁判官も同じではないかと心もとない限りである。家裁事件では民事事件などとは違って代理人が付かないことの方が多い。本人の説明で裁判官はどこまで理解できるのだろうか。弁護士でも、家裁の扱う事件は、民事事件よりは簡単だと誤解している人が多い。何しろ、女・子どもがらみの誰でも経験する「普通の生活の話」だからと誤解されている。家族の関係も社会の人間関係も複雑になっている現代社会では、人間関係の争いは簡単に理解できるものではない面を持っている。
10年前に聞いた記憶だが、アメリカでは家裁で日本の調停委員に当たる仕事をするには人間行動学の修士に相当する資格が必要とか。日本の調停委員の資格は40歳以上で常識のある人程度だ。採用には面接があるようだが、副検事を定年退職した男性の調停委員に あったときは困った。被疑者を尋問するような調子が抜けておらず、隣でいちいち口をさしはさむしかなかった。
家裁の大改革がなければ共同親権の正しい運用は期待できないが、司法予算(裁判所の人件費、施設費、国選弁護人費用などすべて)は国家予算の0.3%程度でしかない現実を見ると、ますます不安になる。予算ゼロでできる改革はない。司法予算は1980年度は0.423%、2018年度には0.329%と減少している。国が軍事予算を増やし続けていることは周知のことだがその勢いの中で司法予算が増えるという話はきかない。
最高裁の戸倉長官は民法改正をめぐる記者会見で「(家裁が)表面的なことだけではなく背後まで見ることができるかが、大きく難しい問題だ」と指摘したと報じられている(東京新聞5月18日)。これは新しい仕事を持ち込まれる裁判所の正直な思いであろう。
弁護士への調査(弁護士ドットコム、新婦人しんぶん24年4月6日号)では家裁が機能するのは無理と答えた人が8割、機能するとしたのはわずかに1%であった。
③ 協議とは何か、その実態
協議と言えるには、二人が対等の立場で十分に意見交換ができることが大前提だ。日本の離婚の9割が協議離婚である実態から見えてくるものはこの前提が無視されていることではないか。
実際には二人が対等平等でなくても協議の外見は作れる。協議離婚では時間と費用がかからない利点がある。話し合っても結局強者(夫)の言い分で押し切られるという現実の前にとにかく離婚という結論を手にしたいと諦めた妻が一刻も早く夫から離れたいと選んでいる例も多い。ジェンダー不平等な社会で平等な関係の夫婦はどれだけいるか?多くは夫が圧倒的に経済的強者であり、すべてにわたり強者になれる。
家裁の裁判官はDVや子どもの虐待に関して特別な訓練を受けているわけではないことを示す出来事があった。私が実際に遭遇したのだが、ある高名な刑事裁判官は次の昇進までの足踏み期間の消化に家裁所長になったとしか思えなかった。彼の審判書は、調査官報告書のコピペのようなものであった。しかもそれは子ども虐待について間違った判断をしたものであった
私は後にこの判断に起因する損害賠償請求事件を担当した。4歳の娘と父親との泊りがけでの面会交流中に父親の性加害の疑いが生じた。母親は娘を精神科医に見せて、その疑いが強いとなり、面会交流の中止を調停委員会が決めた。
以後数年にわたり中止のままであったところ、父親が突然その精神科医に2000万円の損害賠償を請求してきた。彼女が間違った判断をしたために面会交流が長期に中断され、父親は娘と死別させられたも同然の精神的苦痛を被ったというのが理由であった。この事案では、4歳の娘が実父の実家へ泊りがけで行っていた。その時の父と娘の喜々とした交流状況を撮影したビデオが父親側から交流はうまくいっていた証拠として出された。私もビデオを見て困惑した。娘は過剰に“歓待”されていたが、素人目には問題には映らなかった。そのビデオを小児精神科医に検討してもらったところ、不適切交流、ほぼ虐待(maltreatment)と診断された。私も調査官も虐待と判断できなかったどころかうまくいっているとしか思えなかった。小児精神科医の意見書と証言で裁判の結論はこちらの勝訴となった。
その裁判の過程で裁判官による審判書は調査官報告書のコピペの内容であることが判明した。もともと刑事裁判官としての研鑽は積んできた家裁裁判官(所長)には不適切交流とは見抜けなかった。
この問題でも考えさせられたが、調査官の能力は変質しているのではないかということがある。かつては調査官は心理学、社会学出身の人で人間関係調整を学んでいた人が原則であった。今は圧倒的多数が法学部出身と聞く。裁判官ももちろんほとんどが法学部出身である。調査官も裁判官も、人間関係調整の専門家ではなく、「法律」しか知らないといっても過言ではあるまい。
実は、家裁の仕事は裁判の中でも一番難しいのではないか。複雑な人間関係、親子関係の調整を求められる。その技術と知識は、法学部、法科大学院、司法研修所でも教えてない。
私は法科大学院で「ジェンダーと法」を教えたが、司法試験科目ではないので、単位そろえに利用することが起きた。当然と言えば当然だが、試験に出ない分野を勉強する学生は少ないし、私も学生であればきっとそう行動したと思う。合理的思考をする学生を批判できまい。
従来のDV離婚での裁判官を見てきた経験からすれば、彼らは、暴力が支配の問題という基本的構造を知らない。性的DVを見分けることができるか? 刑法「不同意性交罪」への理解は進んでいるのか。性行為の強要で妊娠した場合も、セックスをしていたんだから良好な関係とされかねない。配偶者による強姦は長いこと法律家の間では認められてこなかった事実がある。刑法にそのことが注意的に書き加えられたのはついこの間の事である。
④ 子どもの意見を聞く手続きがない。
このことは多くの指摘がある。
子はこの問題の当事者であり直接不利益を被る存在であるという認識が欠けたままである。
⑤ 父と母の合意ができない(多くはだから離婚したはず)
現場に長期にわたって子どもがさらされることで子供が受ける不利益、精神的苦痛は大きい。
⑥ 単独親権ですでに離婚した人も、改めて共同親権への変更申立ができる。
これの必要性は不明であるし、弊害への無理解に驚く。単独親権で母と(多くの場合)の生活で安定していた子どもの生活が乱される。なぜ、こんな変更が必要か理解に苦しむ。変更手続きの過程で秘匿していた住所や通学している学校などを知られる危険と恐怖が大きい。
⑦ 共同親権になるといままで一人親として受けていた公的な支援(経済的な
問題はどうなるか。
そのまま継続されないのでは(赤旗4月21日、参議院本会議)、一人親でも父母の収入合算されるのではないか。低収入の母子家庭に突然高収入のもう一人の親権者が現れることになる。政府は影響調査をしていないことが国会の審議過程で明らかになっている。
4 そもそも、共同親権はなぜ提唱されたのか
2000年代初めからの、Father’s Rights 運動から始まったようだ。
非親権者で子どもと同居していない父親から、「子どもをとられた」「子どもに会わせてもらえない」との不満が表明されてきた。実際には民法766条で面会交流について家裁で決めてもらえる(調停、審判)のにそれをしてないのではないか。その申し立てをしたのに交流不可となったのであれば、理由があるはずだ。面会に危険が伴うなどだ。
実際に面会交流の場での子殺しや妻殺しが起きている。被害者の母親への圧力、支配の回復としての利用なども憂慮される。
共同親権は家父長的な男性支配家族への回帰を求める勢力の願望ではないか。自民党の推奨する家族の形、家父長制の家族への回帰願望が根源にあり、「新しい戦前」のメンタリテイーの回復を求めているのではないか。
親は離婚しても、子どもは両親に愛されるべき、両親から育てられた方が子どもは幸せに違いないという根拠のない「信仰」がある。「外国ではそうなっている」論がされているが、外国での親子法制に詳しい小川富之大阪経済法科大学教授は、2021年の法制審家族法部会第5回会議で、オーストラリアとイギリスの経験をひきながら、日本と同様の親権、特に離婚後に親権を共有し共同で行使するところはないと説明している。
5 憲法違反の疑い
子育ては生き方の選択の問題である。それは憲法19条の思想・良心の自由
の問題である。父や夫の支配する家族は憲法24条が否定した家制度である。
共同親権制度がもたらすものは憲法が保障している基本的人権の否定でもある。今回の共同親権はいったん廃止にして出直すべきである。
2024年6月2日記
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