2012.06.22 Fri
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 原発事故をめぐるメディアの対応には、もう触れたくもないくらいうんざりしている人が多いはず。
官邸前での原発反対のデモが、連日参加者の数を増していこうが、チェルノブイリ原発事故後強制移住となった地域よりも高線量の地域に住民たちを放置していることが、データをはじめ多くの市民たちの努力で周知の事実となっていようが、お構いなしにマス・メディアは都合の悪いことを無視し続ける。
「真実」を「中立」に、そして「迅速に」伝えるというマス・メディア、とりわけテレビの役割を、スポンサーの意向にどっぷり漬かる民報だけでなく、わたしたち市民のお金で制作されているはずの、「公共放送」NHKでさえ、裏切り続けている。
本書は、3.11から1週間のテレビ原発報道の徹底検証を通じて、たとえば「慰安婦」問題などから一部の人には気づかれていた日本のマス・メディアの腐敗ぶりを、これでもか、これでもかと、当時のアナウンサーたちの声を忠実に再現することで、明らかにしている。
日本のテレビ番組は、厳しい規制のために、巨大資本の独占状態にあるといっていい。もはや公器としての役割を放棄したかのようなテレビと今後、わたしたちはどう付き合っていけばいいだろう。節電のために、テレビは廃棄処分にするか。
3.11原発事故以降一週間という、日本の未来に大きな傷痕を残すであろうこの時期の報道をつぶさに見ることは、日本の民主主義の終焉を見るほどの、絶望的な気持ちになる。しかし、これが日本の現実なのだ。この現実をバネに、わたしたちの手で情報発信する術を、今後真剣に考えないといけないだろう。
3.16日の段階で、それでもまだ、「人体に影響が出る値ではありません」と報道したメディア。しかし、その時、30キロ圏内での取材活動はすでに、各メディア報道機関によって「自主規制」されていた。この矛盾に、日本メディアの体質が悲しいほどに、よく表現されている(moomin)