第2期WANフェミニズム入門塾の第12回講座が2024年7月18日(木)に開催されました。
12回にわたった入門塾最後のテーマは「男性学」。講座生4名が自身の言葉で書き上げたレポートで、
当日の講座の様子が少しでもみなさんに伝わり、そして自分なりのフェミニズムを考えるきっかけに
していただければと思います。
第12回 男性学 受講レポート サファイア
私のチームでは「女性専用車両が逆差別だ!」という男性についての話題が出た。
このセリフは本当によく耳にする話で、さらに付け加えると「冤罪もある!」といったセリフを、正義感がある風に装っていう男性までいる。
息子は高校三年生だが、息子のクラスメイトにもこういった論点ずらしの男子が存在する。
その都度「男が痴漢やめればええねん!」と言う息子に対し、何も言えなくなる子、「俺はせぇへんし!」と言う子、等々。
「俺はせぇへんし!」はて?女性専用車両の話で、あなたが痴漢するしないは関係ないのでは?!と思ってしまう。あなたが痴漢するかしないかの話ではなく、まず痴漢は犯罪ね!
「そっか〜〇〇くんはそんなことしないもんね!すごい!」と言って欲しいのか?! (笑)
すごい!と言われたいのであれば、それは褒められることであるはずだ。
矢印の方向が間違っていることに気づかない人たちが世の中にはたくさんいて、「その矢印はあっちだよ!」ということを、私は日々コツコツやっている。
そして、「その矢印はあっちだよ!」といえる人が本当に増えてくれればいいと思っている。
清田隆之さんが『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』のあとがきでこう書いている。
(文脈が大事だと思ったので長文ですが引用します)
“世の中には「男は論理的、女は感情的」なんて俗説が流布していますが、はたして本当にそうでしょうか。そもそも「論理的」とはどういうことでしょうか。
例えば痴漢の醤や女性専用車両の重要性を訴える女性に対し、「俺を痴漢と一緒にするな!」「男だってえん罪被害がある!」と反論する男性が多いのですが、理屈で考えるならば、女性に被害与えているのも、男性にえん罪の恐怖をもたらしているのも、すべて「痴漢をする男性」なわけで、物を申すべき相手はこちらということになるはずです。
もちろん疑いの目を向けられるのは嫌なことですが、わき起こる感情といったん距離を取り、そこにある理路に沿って話を進める。もちろん感情も超大事なので、できるだけそのまま言語化し、相手に伝えていく。「論理的」とはおそらくこういった態度のことを指すのだと思います。
女性たちの語るエピソードには、耳をふさぎたくなるものや、「俺は違うよ!」と言いたくなるものもありましたが、その気持ちをグッとこらえ、可能な限り論理的に向き合うことを心がけました。自分の残念な部分が浮き彫りになって落ち込んだりもしましたが....それが自分という人間の現在地なのだと認め、ここから出発するしかありません。”
清田さんは「ここから出発する」と書いてある。女性を分かった風に捉えそれで終わらせるのではなく、自分を内省し、そこから出発すると。
これは、伊藤公雄さんが動画で話していた、男性が女性に対する「支配と依存」の脱却と同じ線上にあるのではないだろうか。
男性性と女性に対する支配(=権力行使)を支持するのは男性同士の競争とスライドにあった。
競争に加担し続けた結果、依存へと繋がるのだと理解した。
現在は男性同士のみならず、資本主義社会そのものが競争社会である。競争社会は分断をもたらす。「無意味な競争なんてまっぴら!」といえる人が少しでも増えるよう行動していきたい。
第12回 男性学 受講レポート ハル
そもそもわたしがWANフェミニスト入門塾の受講を希望したのは、男性がする、その性の優位性に乗っかった言動で、女性がひどく傷つけられることが多すぎて(しかも男性はそのことに気がついてすらいない)、なぜこんなに女ばかりが理不尽な思いをしなければならないのか、男ってなんだ、女ってなんだと思ったことがきっかけとなっている。
わたしは地方の男女共同参画センターで働いていて、ジェンダー平等を目指す取組を進めることが仕事である。そこに配属される男性たちは、ほとんどがジェンダー平等について考えたこともないという人たちだが、「仕事となった以上は」と関係書籍を読んだり、研修に参加したりと、まじめにジェンダーについて学ぼうとする(全く関心を示さない人もいる)。そうして学んだ男性は、自分はジェンダー平等についてよく知っているとばかりに理想論を語るのだが、言動には男女差別意識がはみ出てしまっている。まじめに学んでいるが故なのか、自分の性が圧倒的に優位であることに気がつかないままの人が多いように思う。性差別とはなにか、ジェンダー平等とはどのようなことか、頭では理解していても本質的に理解ができない男性は多く、わたしは、なぜ理解できないのか、どうすれば話が通じるのかとずっと考えてきた。彼らはけっして悪い人間ではないし、まじめに理解しようとして学んでいる。しかし、理解はできない。理解してほしいと心を尽くして話をしても、伝わらない。このような経験は一人や二人ではなく、多くの男性との関係でおきている。
かといって、通じ合えない男性ばかりではなく、理解しあえる男性もいる。理解しあえる男性も最初から性差別やジェンダー平等に理解があったわけではなく、後で学んだ人たちがほとんどだ。それなのにこの違いは何なのか。そのことを知るヒントがあるのではないかと、わたしはフェミニズムを学ぶためにこの講座を受講することにしたのだ。
男女共同参画について語るとき、「男女が共に参画する」=男性も女性も平等なサポートを受けるべき、という考え方で話をする男性たちがいる。私はそれに常々違和感があった。
例えば、DV被害者支援について、DV被害者の多くは女性であり、現在のさまざまな被害者支援は女性を想定した取り組みが多く行われている。それらの支援に対して、「男性差別だ」とか、「男性の被害者だっているのだから男性にも同様に支援するべき」などという意見が出されることがある。そういうときわたしは、女性のDV被害と男性のDV被害はそもそもの原因というか、根本が違うのではないか、根本が違うのなら支援の方法も違ってくるのでは、と疑問に思っていた。
しかし言葉で説明しようとしてもうまく言葉にならず、結果的には男性も女性も困っている人には支援が必要、というふうにまとめられてしまって、もやもやが残る、ということを繰り返してきた。
先日の講座「男性学」で、参加者の方が「女のつらさを語ると『男だってつらいんだ』と言われて違和感がある」と言っていて、それに対して上野さんが「女のつらさと男のつらさは非対称である」と述べ、ああ、これだったのかと腑に落ちた。
男性優位社会で起こるさまざまな問題は、やはり男性と女性とで分けて考えていかなければ本当の解決には至らない。男女共同参画だからといって、男女が同じ支援が必要なわけではない。そう書いてみたらこんなこと当たり前ではないかと思った。しかしこんな当たり前のことがきちんと理解されていないのが今の日本社会なのだと思った。
女のつらさと男のつらさは同じ土俵で語ることはできない。だから、男のつらさは女であるわたしにはどうすることもできないし、どうにかしてほしいなどと思わないでほしい。上野さんが言っていた「男の問題は男が解決してほしい」、本当にそのとおり。女に求めないでほしい。
わたしはこのフェミニスト入門塾で多くの知識と仲間を得て、したたかさを身に着けたように思う。女はつらい。つらいが、つらいと言える仲間がいるし、なぜつらいのかを語り合い、言語化することでそのつらさを前向きな力に変換することができるようになった。男だって、語り合い、自分の弱さに向き合って自分らしく生きる道を探ればいいのだ。そのための男性相談の充実は大賛成である。
有害な男性性への対処に有効な方法は、、、やはり男性が語り合うことしかないのではないかと思う。しかも話を聴くのは女性ではなく男性であってほしい。話を聞くのが女性だとそこに「優越」「所有」「権力」が発動され、性別による有害な格差が助長してしまう。男性が男性同士、寄り添って話を聴くことができるとき、そこには本来の男性の癒しがあるのではないか。
現状では、そのような場所は、女性を対象とした同様の場所に比べて圧倒的に少ないが、少しずつでもそういった場所が増えているようにも思う。そういう場所が必要だ、と男性たちが声を上げて行動することでますます増えていくと思うが、いや、男性自身はそんな場所が必要だと気づくことは難しいのか、男性が気づくのを待ってはいられないし、それなら女性が動いて男性の居場所づくりを行うことで、結果的に女性の支援につながるのだろうか、、、など、まだまだ結論のようなものにはたどり着けそうにない。
結局、私がこのフェミニスト入門塾に参加したきっかけの問いには、まだはっきりとして答えは見つからないままだ。すぐに解決できるものではないだろうけれど、小さな問いを放置せず、面倒くさいけどいちいち話し、聴き、心地よく過ごせる場所をつくっていきたい。
第12回 男性学 受講レポート 白虎スーグ
旧版の別冊の解説で触れられて印象に残っていた『男性神話』を読みました。戦時下の兵士たちの蛮行や従軍慰安婦について、男性の書き手によるさまざまな文章を引用して、彼らが実際に行ったこと、考えていたであろうことを読み解き、批評するものです。
引用されたのは軍医の記録や報告書、当時の目撃証言、戦後20年ほど経ってからぽつぽつと出てきた将兵の回想、流行小説とその批評など、さまざまですが、肝心な国の公式記録はありません。「従軍慰安婦」に関する資料を、敗戦直後に軍が潔く処分してしまったとのこと。それで研究に時間がかかったり虚偽情報が出たりする余地を与えてしまったのでしょうが、現存する資料からはどんな状態で何が起きていたか、国が占領軍と世界の目から全力で隠そうとしたことが何か、わかります。
「それは仕方ない/暗黙の了解である/兵士の士気を最良の状態にするためである/お上も許可している」等、しれっと正当化する違和感を挙げて、その理屈の根拠が自分勝手で幼稚な、「修養の低い」、刷り込まれた男尊女卑思想の上にしか成り立たない、と指摘していく著者が男性であることに、驚きと安堵を覚えました。
それにわずかでも、略奪に反対したり、被害者に申し訳ないと感じる心の持ち主がいたと知ることができる記述が残っていることは、男性にとっても重要なのではないでしょうか?
そんな蛮行が繰り返される理由を挙げている当時の記録に対し、著者は「1990年代(出版当時)の『経済大国ニッポン』とあまりにぴったり」と書いています。私には、現代の「俺強ぇ」と同義に読みとれるものもあります。著者は、そんなふうな男性が半数以上なのかと問うています。私も全くわかりません。2024年現在、「金と力」を持てずに社会的に苦しい状況を強いられる男性がいて、抱える苦しみを「女」に慰められることがないまま「女全体」を憎み、凶悪事件の動機にする。そんな男性はもちろん極端で、少数だと思います。でも、そうでない男性の半数以上は現代的なジェンダー感覚を持っているのか、いないのか。いざとなったら欲望を解放するのか、頭を切り替えられるのか。安心してください少数です、と証明するならそれは男性/男性学の役目でもあります。
さらに、その状況にうっとり酔いしれるような表現を、好まない者は無視するけれど好む者は盛んに盛り上げるため、サブカルチャーの中に流れ出して、世の中を「そういうものだ」と説得していきます。ルパン三世の上着が赤くなった頃、峰不二子が「しずかちゃん」になっていったことを私は覚えています。
そんなことに辟易して、小説を読まなくなった女性たちがいることも、残念な結果です。
金や暴力でしか女を「モノにできない」男がいる。対個人で向き合っていくのが面倒だから、自信がないから、勇気がないから。その表明である強姦は、恥ずかしいのは加害者。「なるほど男性が言うんなら間違いない」と言ってみます。
戦後79年、戦争を知らない私と体験した母との間の知識と常識の溝、私と私から生まれた子どもとの間の知識と常識の溝の深さに戸惑い、途方に暮れてしまいます。話題に出しにくいことを出さずに済んできた平和な時代もいつか終わる。近い将来出現するかもしれない超大型巨人に備えたいなら、失われる前に先人に学ぶことがたくさんある、急がなければ、と思いました。
もう一つ、これはまったく素人丸出しの考えですが。
世界史の中でも現代でも、戦場での性処理は様々な形態で存在しています。核の抑止があり化学やAIやドローン技術が進んで無人の戦争の可能性が増しても、戦場に兵士が赴くことに変わりはないなら、性処理の方法にデジタル技術を導入できないでしょうか。バーチャルセックスやセックストイはすでにあります。新素材の端末やセンサー、セキュリティも創意工夫して、戦場に適した形にできないか。公認・非公認など中途半端にせず、国連で「性処理デジタル環境の完備」を項目化して、各国に兵站の義務として、援助などもしては。あまりに酷すぎる女性の被害を防ぐのが目的です。
第12回 男性学 受講レポート tw
16歳のとき、地元の新聞の投書欄に「『保護者』って父親だけなの?」、「夫婦は平等のはず。『主人』はおかしい」といったテーマの投書を立て続けにした。19歳のときは、全国紙の投書欄で「嫁不足」を嘆く商家の老年男性の投書に対し、「商家の嫁不足、考え方に問題」というタイトルで、男性のあなたの考え方をあらためるべきだと反論した。
わたしにとっては、この性差別社会が変わるために変わるべきなのは男性であり、女性が男性のようにふるまうのではなく、女性がやっていることの価値を高め、男性が女性のようにふるまうべきだと考えていた。男性が戦争にいかなければよい。男性が家事・育児をすればよい。男性が競争社会からおりればよい。そのほうがよっぽど自然だし地球のためになる。
変わるべきなのは女性ではなく男性。この考え方が強かったこともあり(そしてわたしの無知と偏見から)、わたしはつい数年前まで「フェミニズム」とか「ジェンダー」といった世界からはあえて距離をおいていた。近づこうとしなかった。ちょっと触れてみようという気になったのは、投書時代から30年ほど歳をとった2019年、上野千鶴子さんの東京大学入学式の祝辞の一文「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」を読んだときだった。
決して強者になりたいという思想ではないというところに大いに共感し、そして「女性」という言葉が使われていないというところで、わたしがフェミニズムに対して持っていた偏見、フェミニズムとの間に築いていた壁が少し崩れ、そこで(ようやく)フェミニズムを勉強してみようと思い始めた。そしてフェミニズム塾に入塾し今に至る。今となっては、もっと早くから学んでおけば良かったと思うが、これもまた適時というものがあるのだろう。
このような経緯から、「男性学」は、わたしにとってより関心のあるテーマの一つであった。男性が男性について研究する。そのトピックのひとつに「男はつらいよ言説」というのがあり、今回の講座でも出てきた。男性のつらさ、生きづらさは、男性集団における周縁化作用にあり、男性内の権力関係と競争性から来ているということ。なるほどと思った。そういう見方があるのかと。
ただ、だからといって、男性の場合は自業自得だからつらくても仕方がない、がまんしろ、というのは違う。女性であれ男性であれ、人としてあるいは生き物として「つらい」という感情は共通しているはずで、つらさの理由はどうであれ、つらいという気持ちに共感することはできないのか。そして男性学という「ツール」を通じてわたしたちは、性別やすべての属性を超えた「弱者が弱者のままで尊重されることを求める社会」をつくっていくことができないのか。
「新編日本のフェミニズム」シリーズに男性学が加えられた意味を想像する。フェミニズムは、男性批判が目的ではないはずだ。それよりも、男性とともに男性をどう変えていくかをもっと考えることができないか。共存とはいわない。共学の機会(一つのスペースで共に学ぶという意味ではなく、女性も男性もフェミニズムや男性学を学ぶ機会)がもっとあってもよいのではないか。そんな段階に来ているのではないか。あるいはこれは、わたしの無知さゆえの理想なのか。
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2024.08.18 Sun
カテゴリー:新編「日本のフェミニズム」
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